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概要編集

1985年4月5日生まれ、父は菊花賞プレストウコウ、母マーチフアスト、母の父マーチウインド。毛色は芦毛

1987年5月に笠松競馬でデビューし、中央競馬高知競馬と流転し1992年まで現役を続け通算成績は55戦10勝。主な勝ち鞍は岐阜王冠賞(地方重賞)。

笠松競馬時代のオグリキャップにただ一頭だけ勝利した、オグリの最初のライバルであった。

※地方競馬では「マーチトウシヨウ」と表記。


デビュー〜笠松競馬時代編集

1987年5月に笠松競馬でデビューし、新馬戦でオグリキャップにクビ差勝利。更に3戦目、オグリキャップとの2度目の対戦でも勝利する。

オグリキャップがマーチトウショウに敗れた2度のレースはダート800mのレースで、短距離戦では大きな不利に繋がるとされる出遅れがあった。また、デビュー当初のオグリキャップの蹄は蹄叉腐乱を起こしていた。

その後もオグリキャップと6回対戦し、オグリの2着5回、4着1回。


オグリキャップの笠松時代の成績は12戦10勝2着2回。オグリに笠松競馬で唯一勝利した馬がマーチトウショウである。


オグリキャップが中央競馬に移籍してからは、地方重賞である岐阜王冠賞(ダート1900m、良馬場)を含んで2勝。

笠松競馬時代の成績は22戦4勝。デビュー戦、3戦目を含む7戦を原隆男騎手、他を川原正一騎手が騎乗した。


中央競馬に移籍〜笠松に出戻り編集

1989年にオグリキャップの後を追うように中央競馬に移籍するも、移籍初戦は16着、2戦目は12着といずれも大差の最下位となる(騎手は作田誠二)。ダート1400m重馬場、ダート1800m稍重馬場であったのだが…。

3戦目は後にオグリキャップにも騎乗する南井克巳を鞍上に招き、芝1600m良馬場で走ったがやはり大差での最下位(16着)。

1年2ヶ月の長い休養に入り、翌1990年春の4戦目を900万下でダート1400m不良馬場で走ったが、これも大差での最下位16着だった(騎手は小谷祐司)。

出戻るように笠松競馬場でダート1400m不良馬場で走るも、最下位10着であった(騎手は東川公則)。


高知競馬時代編集

高知競馬に移籍し、移籍初戦で2着、その後4戦ほど着外だったが、5戦目で勝利、6戦目、7戦目と勝利し三連勝する。調子を取り戻したのかその後も好走し、1991年に5勝を含む11戦連続連対(2着以内)を記録した。

しかしクラスが上がってからはなかなか勝てないレースが続き、1992年1月25日福寿草特別レース(ダート1300m、良馬場)が最後の勝利となった。

1992年夏に引退。

高知競馬時代の成績は28戦6勝。移籍初戦を含む25戦を鷹野宏史騎手、他3戦を花本正三騎手が騎乗した。


引退後編集

引退後、マーチトウショウは愛媛県の牧場で乗馬として親しまれていた事がわかっている。

少なくとも2006年(21歳)頃までは存命で、真っ白になった馬体で「すっかりお爺ちゃん」と呼ばれる頃まで乗馬を続けていた様子。

その後の詳細や死没日は不明。

2010年7月3日にこの世を去ったオグリキャップ(25歳没)より長く生きたか否かもわからない。


ウマ娘シンデレラグレイにて編集

ウマ娘プリティーダービー』シリーズのスピンオフ漫画作品『ウマ娘シンデレラグレイ』にて、マーチトウショウをモデルとしたウマ娘フジマサマーチが登場する。

主人公オグリキャップの最初のライバルキャラクターとして人気が高い。

だが、モデル馬のマーチトウショウと同じくフジマサマーチも中央移籍が描かれるとしたら、彼女には苦難の運命が待っている…。

フジマサマーチの中央参戦


関連タグ編集

競走馬 88世代


オグリキャップ

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