第82回菊花賞
これはいっとうけたがちがった
※:メイン画像は本レース優勝馬のタイトルホルダーとセイウンスカイ(ウマ娘)。彼女のモチーフとなったセイウンスカイ号は同じように菊花賞を逃げ切り勝ちした他、タイトルホルダーの鞍上・横山武史騎手の父である横山典弘騎手が主戦を務めていた。
1 ワールドリバイバル - 津村明秀
4 ロードトゥフェイム - 丹内祐次
5 レッドジェネシス - 川田将雅
6 ゼファーラジエル - 鮫島克駿
7 ディープモンスター - 武豊
8 エアサージュ - 藤岡佑介
9 ヴェローチェオロ - 幸英明
10 モンテディオ - 横山和生
11 ディヴァインラヴ - 福永祐一
12 ノースザワールド - 和田竜二
13 アリーヴォ - ミルコ・デムーロ
15 ヴァイスメテオール - 丸山元気
16 グラディアス - 松山弘平
17 ヴィクティファルス - 池添謙一
18 オーソクレース - クリストフ・ルメール
悪く言えば主役不在。しかし、それ故に混戦模様を表していた。
皐月賞馬エフフォーリアは、日本ダービーでの敗戦から、天皇賞・秋へ。そのダービーでエフフォーリアを下してダービー馬となったシャフリヤールは神戸新聞杯の敗戦から、ジャパンカップへ。さらに、その他のGⅠ馬ダノンザキッド、グレナディアガーズ、シュネルマイスターは別路線に行ったため、GⅠ馬不在。さらに、昨年はコントレイルの無敗三冠がかかっていたということもあり、馬券の売上は大きく落ちること間違いなしと言われていた。
さらに、翌週の天皇賞・秋はコントレイル、エフフォーリア、グランアレグリアの3強対決というのもあり、翌週のほうが注目されていた。
しかし、この世代はソダシが札幌記念を、ピクシーナイトがスプリンターズステークスを勝っており、この世代の強さが明らかになっていた。
1番人気はレッドジェネシス。神戸新聞杯2着の功績がある他、ステイヤー向きの身体、鞍上の川田将雅騎手、好枠などが相まった。
2番人気にはステラヴェローチェ。その神戸新聞杯の勝ち馬であり、皐月賞、ダービーでも3着と安定した成績を残している。
3番人気にはオーソクレース。ホープフルステークス2着の実績を残すも、骨折で春のクラシックには出られず、復帰戦のセントライト記念で3着と好走。鞍上クリストフ・ルメール騎手もあって、大外ながらこの人気になった。
4番人気にタイトルホルダー。弥生賞の勝ち馬であり、皐月賞2着の実績も持っているが、横山武史騎手を鞍上に前哨戦であるセントライト記念に臨むもブービー負け。さらに菊花賞は逃げ馬の実績が乏しいということもあり、この人気になった。
この4頭が単勝8倍以内。他にはセントライト記念の勝ち馬アサマノイタズラや、牝馬ながら挑戦したディヴァインラヴ(オークス3着のハギノピリナも登録していたが、無念の除外。)などが出走。
スタートからワールドリバイバルがハナを取ろうとしたが、タイトルホルダーがハナを主張。結局、タイトルホルダーの単独逃げの形となった。
大きくリードを取ったタイトルホルダーは最初の1000mを60.0秒というハイペースで通過。普通、ハイペースとなれば、差し馬、追込馬の方に展開が向くことになり、逃げ馬のタイトルホルダーにとっては不利な展開になる。実際、タイトルホルダーと後続の差はみるみるうちに詰まっていき、4馬身以上あった差は第4コーナーの時点で、3/4馬身程まで縮まった。
しかし、直線に入ると、タイトルホルダーが二の脚を使い、再び後続勢を突き放した。オーソクレースとステラヴェローチェが迫るが、前にいるディヴァインラヴとの2着争いまで。ゴールした時にはタイトルホルダーと5馬身の差が付いていた。
こうして、タイトルホルダーは第82回菊花賞馬の栄光に輝いた。
1着 タイトルホルダー
2着 オーソクレース
3着 ディヴァインラヴ
4着 ステラヴェローチェ
5着 ディープモンスター
熾烈な2着争いはオーソクレースに軍配。しかし、ディヴァインラヴも3着に粘り、牝馬としてはグレード制導入後初の複勝圏内に入った。なお、1番人気のレッドジェネシスは13着に大敗。
何故、タイトルホルダーは直線で二の脚を使って伸びたのか。それは1000mから2000mの中1000mのペースにある。実はこの1000mは65.4秒という恐ろしいほどのスローペースになっていた。つまり、差を詰めてきた時点で、既に彼の作戦にハマっており、直線向いた時にはもう彼を追いかける分の脚は残っていない。実際、このレースの上がり4Fは46.8、3F35.1(常にタイトルホルダーが逃げていたので、レースの上がりタイム=タイトルホルダーの上がりタイム)であり、上がり3F最速のステラヴェローチェ、アサマノイタズラとわずか0.4差。そして、この2頭は後方からの競馬である。この2頭でさえ、600mで3馬身くらい差を狭めたかどうかくらいであり、この時点で勝負は決していたと言っても過言ではない。
このレースによって、数々のドラマが生み出された。まずタイトルホルダーだが、父ドゥラメンテがケガで取れなかった最後の1冠を取り、親子で三冠レース全てを制した(ただ、ドゥラメンテは凱旋門賞挑戦プランが挙がっており、骨折なしにしても出ていなかった可能性があったのは言ってはいけない)。また、ドゥラメンテはその年の8月末に病のため早世。まさに父に捧げる菊花賞となった。
また、先述の通り、菊花賞における逃げ馬の成績は乏しく、直近の勝利は23年前だった。そのレースこそ1998年の第59回菊花賞。セイウンスカイが3000mを逃げて勝ったレースである。場所こそ違えど、レース展開は非常に似ており、ハナを主張したセイウンスカイが最初の1000mをハイペースで逃げ、そこから1000mをスローペースにすることで脚を休ませ、直線で突き放してゴールした。この時の鞍上は横山典弘騎手であり、タイトルホルダーの鞍上である横山武史騎手はその息子。さらに、横山武史騎手はその年に誕生している。
事実、第59回のセイウンスカイと今回のタイトルホルダーのレースは1000m毎のラップタイム(セイウンスカイ:59.6→64.3→ 59.3、タイトルホルダー:60.0→65.4→59.2)及び走破タイム(セイウンスカイ:3分3秒2、タイトルホルダー:3分4秒6)と非常に近く、場所と時こそ違えど横山武史騎手は父の騎乗を見事に再現して見せたと言える。また、横山武史騎手は菊花賞のときのセイウンスカイを参考のひとつにしていたことが後に判明。このドラマは必然だったのかもしれない。
・1週間後に菊花賞と同じ阪神3000mのレースで行われた古都ステークスで、タイトルホルダーの半姉メロディーレーンが勝利し、オーブン入り。有馬記念では、メロディーレーンがファン投票で優先出走権を獲得し、姉弟対決が実現した(結果はタイトルホルダー5着、メロディーレーン15着)。
・このレースの複勝圏内の馬の鞍上の3人で、1週間後の天皇賞・秋で再び複勝圏内を独占した(横山武史騎手→エフフォーリア、福永祐一騎手→コントレイル、C.ルメール騎手→グランアレグリア)