概要
1986年3月17日生まれ、滋賀県出身。
父はJRA調教師の藤岡健一、弟に同じくJRA騎手の藤岡康太がいる。
この年35勝を挙げ最多勝利新人騎手を獲得する。
2005年、父親の厩舎の馬であるアズマサンダースで京都牝馬Sを勝ち重賞初制覇、2007年〜2010年ではスーパーホーネットの主戦騎手として重賞戦線で活躍するも、同馬とはGⅠを制する事が出来なかった。
2010年、サマーウインドでJBCスプリントを勝ちGⅠ級初制覇、2012年サマリーズで全日本2歳優駿を勝ちGⅠ級2勝目。
2018年、NHKマイルカップをケイアイノーテックで勝利し、デビュー15年目でついに中央GⅠ初制覇。スーパーホーネットで果たせなかった中央GⅠ制覇をついに達成する。
そこから重賞で活躍するも長らくGⅠは勝てない状況が続いたが、2024年、フェブラリーステークスをペプチドナイルで勝利し、約6年ぶりのGⅠ勝利を挙げた。
しかし同年4月、弟の康太騎手が落馬事故に遭い、意識戻らぬまま同月10日に死去するという悲劇に見舞われている。
その後同年6月の帝王賞をキングズソードで勝利し、GⅠ5勝目を挙げると共に亡き弟に勝利を捧げた。
騎手としての特徴
スーパーホーネットを管理した矢作芳人調教師はその騎乗技術について、自著で「どの馬に乗せても折り合いの心配がないと言ってもいいくらい馬を折り合わせるのが上手い」と評価した。一方で矢作調教師は、「その馬が自分に合わないと思うととたんに自信のない乗り方になってしまうことがある」とも指摘している。
人物
本人曰く「石橋を叩いて渡らない慎重で臆病な性格」とのこと。プレッシャーにも弱く、騎乗馬が一番人気とメンタルに来たり、大声を出されたり怒鳴られるのも苦手という。
一方でその人柄は競馬関係者からも非常に高く評価されており、若手時代から騎手クラブの仕事を多く任されるなど幅広い交友関係の持ち主でもある。netkeibaでの自身の連載コラム「with 佑」では多くの競馬関係者がゲストとして出演しており、その評価の高さを窺い知ることができるだろう。
ちなみに弟の康太騎手もその人柄を周りから非常に高く評価されており、亡くなった際には国内外問わず多くの競馬関係者から追悼コメントが寄せられた。
通常、競馬学校の騎手課程には毎年10人前後が入学してそのうち1~2名が退学・留年するが、佑介騎手ら競馬学校騎手課程第20期生は15人が入学するとともに2人が留年していたため特に厳しいスパルタ教育がなされ、結局卒業できたのは佑介騎手含め僅か8人だけだった。そんなこともあって20期生はライバル意識が他期生と比較して非常に強い一方でかけがえのない友人でもあるという。
特に同期である川田将雅は親友。川田騎手は心が折れかけた競馬学校在学中、佑介騎手との出会いが特に大きい財産になったそうで、インタビューで佑介騎手について「初めて名前で呼んでくれた存在」と言及している(...もっとも佑介騎手本人は「先輩たちがユーガと呼んでいたから自然とそうなったのかな」という反応だったが)。