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概要編集

日本の騎手

公営兵庫県競馬でデビューし、現在はJRA所属。

次男の岩田望来も2019年にJRAで騎手としてデビューした。


略歴編集

1974年3月12日、兵庫県姫路市で誕生。実家は姫路競馬場の近くのお好み焼き屋だった。


1991年、兵庫県競馬組合の清水正人厩舎に所属し騎手となる。同期に山田信大岡田祥嗣などがいた。


1996年、ケイエスヨシゼン兵庫アラブ三冠を達成。小牧太(8年連続リーディングジョッキーを記録)と共に、「園田の2本柱」と呼ばれた。


2000年、小牧を上回り、初めて兵庫リーディングジョッキーとなった。以後2002年、2004年、2005年に兵庫のリーディングを獲得。NARグランプリでは1996、1997、2002で優秀騎手賞を、2005で特別賞を受賞している。

中央競馬に移籍するまでに地方競馬で2941勝をあげた。


2002年、ビリーヴセントウルステークスを勝ち、JRA重賞で初勝利。


2004年、デルタブルース菊花賞を勝ち、地方競馬所属の騎手として初のクラシック制覇。


2006年、JRAに移籍。1年目は126勝。


2012年、ディープブリランテ東京優駿を勝ち、ダービージョッキーとなる。年末は香港に遠征してロードカナロアで日本馬初の香港スプリント勝利。


2023年、JRA通算15,000回騎乗を達成。


人物編集

優れた勝負勘を持ち、大舞台では強烈な騎乗も見せることもあるトップジョッキー。成績が低迷した馬を激走させることも多々あることでも知られる。


荒っぽい騎乗スタイルや、良くも悪くも感情の起伏が激しい性格で問題行動も多く起こしてしばしば制裁対象になっていることから、騎手の中では非常に批判が多い。

騎乗スタイルそのものは幸英明蛯名正義など他の騎手にも影響を与えたが、本人は批判の多さに「もうやめようかな」とこぼしたことも。一方で競馬評論家となった田原成貴は岩田の騎乗スタイルについて「汚い」と指摘しつつも、岡本太郎に準えたり「汚さの中に美しさがある」と評価したりもしている。

また大舞台に強い割にはプレッシャーに弱く、兵庫アラブ三冠制覇が懸かった六甲盃の前には吐いてしまったことも。


近年はインタビューで不器用ながらもそれを貫く愚直な姿勢を表明し、評価も持ち直しつある。

岩田は田原の調教師時代に管理馬に騎乗した事があり、よく田原の動画を視聴しているようで、勝利インタビューでは田原が岩田を評価する際に使う「ジーニアス」「ファンタスティック」という言葉を頻繁に使用するようになった。

騎乗フォームが「焼きそば乗り」と呼ばれる事から、ファンとの交流イベントでは焼きそばを作った。

2022年の有馬記念枠順抽選会では「(有馬記念当日が)クリスマスなので」ということでトナカイの被り物を被って登場。抽選会では1枠2番の絶好の枠を引き、本番では騎乗するイズジョーノキセキを13番人気の低評価ながら4着に滑り込ませている。


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