概要
馬名 | ディープブリランテ |
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英語表記 | Deep Brillante |
生年月日 | 2009年5月8日 |
性別 | 牡 |
毛色 | 鹿毛 |
父 | ディープインパクト |
母 | ラヴアンドバブルズ |
母の父 | Loup Sauvage |
競走成績 | 7戦3勝 |
馬主 | サンデーレーシング |
生産牧場 | パカパカファーム |
調教師 | 矢作芳人 |
生涯/戦績
誕生〜デビューまで
父は2005年に無敗のクラシック三冠を達成した名馬ディープインパクト。ディープブリランテは2年目の産駒で、2009年のセレクトセールでノーザンファームが生産元のパカパカファームから購入し、社台グループの所有馬となった。このセールには本馬に一目惚れしていた矢作師も参加していたが負けてしまい、どうしても諦めきれなかった師がノーザンファームに頼み込んで調教師になったというエピソードがある。
2歳になり2011年10月1日の新馬戦で岩田康誠を鞍上にデビュー。ここでは5馬身差の圧勝。続いて東京スポーツ杯2歳ステークスに出走し3馬身の差をつけて完勝。翌年のクラシックの有力候補となる。
3歳〜クラシックまで
年が明けて最初のレースとなった共同通信杯では圧倒的な一番人気に支持されるも、後にクラシックタイトルを分け合うことになるゴールドシップに敗れて2着。その後もスプリングSでグランデッツァに負けて2着と勝ちきれず、なかなか期待通りの成果を得られないままクラシック本番に向かう。
皐月賞、そして東京優駿へ
クラシック初戦の皐月賞ではグランデッツァ、ワールドエースに次ぐ3番人気。逃げ馬2頭を追う3番手でレースを進めるが、連日の雨で荒れた内ラチ沿いを嫌ってコーナーで外回りしている隙に、その荒れ様を苦にもせずインコースを突き進んできたゴールドシップに交わされ(詳しくはゴルシワープの記事を参照)、更に大外からはワールドエースが猛追し、差されて結果3着。粘りはしたもののライバルに水をあけられてしまい、善戦マンの称号が余計についてしまった。
そして迎えたクラシック二冠目の東京優駿。皐月賞2着のワールドエース、1着のゴールドシップに次ぐ3番人気。本命視はされていなかった。
レースではこれまで同様先行し、4番手の好位で追走。ワールドエースとそれをマークしていたゴールドシップが仕掛け遅れるのを尻目にそのまま最後の直線で抜け出すと、外から伸びてきたフェノーメノの猛烈な追い込みをハナ差凌ぎ切り見事1着。ディープインパクト産駒では2年目にして初のダービー馬となり、同時にゴールドシップに懸かっていた2年連続の三冠馬誕生を第2戦で阻んだ。
手綱を取った岩田騎手、調教の矢作師にとっても初めてのダービー勝利(序でにディープにとって初のダービー父子制覇)であり、写真判定の末に結果が確定すると岩田は右手を高々と上げ雄叫びを上げると、馬上で彼の首筋に顔を埋めて号泣した(岩田は同年のNHKマイルCで池江厩舎所属のマウントシャスタ騎乗中に斜行してしまい失格処分と騎乗停止を喰らった為、岩田を信じて調教含め騎乗させてくれた矢作師に対する感謝も含んでいる)。
まさかの海外遠征、そして早すぎる引退
一躍世代の顔となったディープブリランテだが、陣営は次走としてなんと英G1競走のキングジョージⅥ世&クイーンエリザベスSを選択。
そこには前年優勝馬にしてエクリプスS勝ちのナサニエルや前年の凱旋門賞馬デインドリーム、のちのドバイシーマCでジェンティルドンナを凌いだセントニコラスアビーなどの世界でもトップクラスの古馬たちが参戦しており、レース結果はトップから大きく離された8着。世界の壁を感じる敗戦であった。
そして帰国後、来るクラシック3戦目の菊花賞へ向けて調整を進めていたが、レース直前に屈腱炎を発症してしまい、菊花賞を回避。そのまま復帰叶わず引退となった。
引退後は種牡馬として社台スタリオンステーションに入り、産駒がポツポツと勝利している。2017年にセダブリランテスが中央重賞を初制覇した。
評価
彼が属する2009年生まれの世代は、クラシックを競い合ったゴールドシップやフェノーメノに加え、ブリランテと同じ父ディープインパクトの牝馬三冠馬ジェンティルドンナなど、古馬になっても大活躍した馬が多かった強い世代であり、ダービー馬ながら引退の早かったブリランテはその中にあって地味、影が薄いと言われることもある。
しかし国内で掲示板を外したことはなく、短い現役生活の中、安定した走りでG1レース勝利を掴み取ったことは評価されるべきことであり、本馬も競馬史に名を刻むに値する優駿の一頭であるのは間違いない。
余談だがクラシックを走ったディープ産駒の牡馬は故障が多発し次々と戦線を去り、古馬G1勝利を達成したのはダービー14着のスピルバーグただ一頭になってしまった。