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概要編集

1965年7月22日、東京都荒川区生まれ。

競馬関係者ではない一般家庭に生まれたものの、中山競馬場でパートで働いていた母から、背の低さを生かして騎手になることを勧められ、ジョッキーを志した。


馬事公苑騎手養成所最終世代にあたる1984年に騎手デビュー(同期には鹿戸雄一木幡初広などがいる)。デビュー当初は振るわなかったものの、翌1985年から39勝を挙げて騎乗を増やした。

GⅠ2勝を挙げたヒシアマゾンや「最後の個性派」ことツインターボの主戦を務め、その後は関東の上位ジョッキーとして、1990年代から2010年代前半までコンスタントに勝ち星をあげた。

2015年に騎手を引退、調教師に転身した。前述の馬事公苑騎手養成所出身者で最後の中央GⅠ優勝騎手だった(なお、最後まで現役だったのは同期の木幡初広で、2018年に引退。)。


騎手として編集

現役時は逃げ戦法に定評があり、『逃げの中舘』という異名でも知られていた。逃げでの騎乗を意識するようになったのはデビュー4年目の1987年の事で、年初から4ヶ月未勝利に終わったところ、師匠であった加藤修甫調教師(アイネスフウジンオフサイドトラップを管理。)から、「追込馬でも何でも逃げで行ってみろ」との助言をもらったことがきっかけだという。


また、現役後半以降は得意とした福島新潟をはじめとするローカル競馬場での騎乗を増やし、「ミスター・ローカル」の異名をとった。実力ある騎手であったにもかかわらずローカルでの騎乗を増やした理由としては、2002年まで「1000勝騎手は調教師免許試験の第一次が免除される」という規定があり、調教師転身を踏まえて勝利数を稼ぎたいという動機に加えて、「どんなレースでもひとつひとつ勝つことができると嬉しい」という思いがあったと語っている。


そのため、通算1,869勝をあげた一方で、重賞勝利数が34、GI級が4勝と極端に少なくなっている。


主な騎乗馬編集


関連記事編集

JRA 騎手 調教師


増沢末夫 - 中舘以前にローカルでの騎乗が多かった騎手。特に福島を得意とした。


外部リンク編集

荒川区芸術振興文化財団によるインタビュー

競馬ラボ - 中舘英二騎手インタビュー

UMAJIN - 中舘英二/福島競馬のツボ

競馬ラボ - 3月より厩舎を新規開業!中舘英二師の戦略と挑戦

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