概要
競馬関係者ではない一般家庭に生まれたものの、中山競馬場でパートで働いていた母から、背の低さを生かして騎手になることを勧められ、ジョッキーを志した。
馬事公苑騎手養成所最終世代にあたる1984年に騎手デビュー(同期には鹿戸雄一や木幡初広などがいる)。デビュー当初は振るわなかったものの、翌1985年から39勝を挙げて騎乗を増やした。
GⅠ2勝を挙げたヒシアマゾンや「最後の個性派」ことツインターボの主戦を務め、その後は関東の上位ジョッキーとして、1990年代から2010年代前半までコンスタントに勝ち星をあげた。
2015年に騎手を引退、調教師に転身した。前述の馬事公苑騎手養成所出身者で最後の中央GⅠ優勝騎手だった(なお、最後まで現役だったのは同期の木幡初広で、2018年に引退。)。
騎手として
現役時は逃げ戦法に定評があり、『逃げの中舘』という異名でも知られていた。逃げでの騎乗を意識するようになったのはデビュー4年目の1987年の事で、年初から4ヶ月未勝利に終わったところ、師匠であった加藤修甫調教師(アイネスフウジンやオフサイドトラップを管理。)から、「追込馬でも何でも逃げで行ってみろ」との助言をもらったことがきっかけだという。
また、現役後半以降は得意とした福島や新潟をはじめとするローカル競馬場での騎乗を増やし、「ミスター・ローカル」の異名をとった。実力ある騎手であったにもかかわらずローカルでの騎乗を増やした理由としては、2002年まで「1000勝騎手は調教師免許試験の第一次が免除される」という規定があり、調教師転身を踏まえて勝利数を稼ぎたいという動機に加えて、「どんなレースでもひとつひとつ勝つことができると嬉しい」という思いがあったと語っている。
そのため、通算1,869勝をあげた一方で、重賞勝利数が34、GI級が4勝と極端に少なくなっている。
主な騎乗馬
- ヒシアマゾン…1993年阪神3歳牝馬ステークス、1994年エリザベス女王杯など
- ツインターボ…1993年七夕賞、オールカマー
- アストンマーチャン…2007年スプリンターズステークス
- アサカディフィート…2004年中山金杯、2008年小倉大賞典。トウカイトリックと並んで10歳での平地重賞競走勝利記録を持つ競走馬。
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増沢末夫 - 中舘以前にローカルでの騎乗が多かった騎手。特に福島を得意とした。