「すごいウマ娘ばっかりだけど、いつか主役に!……なれるといいなぁ、なんて」
プロフィール
キャッチコピー | |
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誕生日 | 4月19日 |
身長 | 163cm |
体重 | 自信なし |
スリーサイズ | B90・W60・H88 |
靴のサイズ | - |
学年 | -等部 |
所属寮 | -寮 |
得意なこと | - |
苦手なこと | - |
耳のこと | - |
尻尾のこと | - |
家族のこと | - |
ヒミツ | |
自己紹介 | |
CV | 福嶋晴菜 |
他人に頼まれたらついつい付き合っちゃう、お人よしなウマ娘。
自分に自信はあんまりないけれど、いつまでも走れたらいいな、と思ってひたむきに努力している。
流されやすいため、個性的な同期たちによく振り回されているようだ。
物腰が柔らかく周りへの気遣いができる、お人よしなウマ娘。
個性的な同期たちによく振り回されながら学園生活を送る。
才能にあふれるジャングルポケットやアグネスタキオンに引け目を感じながらも、レースでの勝利は決してあきらめない。
優しい瞳の奥に芯の強さを秘めており、大きな舞台で輝く自分を目指してトレーニングに励む。
概要
ダンツフレームは、クロスメディアコンテンツ『ウマ娘 プリティーダービー』に登場するウマ娘。
モチーフは実在の競走馬『ダンツフレーム』号。アグネスタキオンやジャングルポケット、マンハッタンカフェの同期で、2001年の皐月賞・日本ダービーで連続2着となった後、2002年の宝塚記念を制したものの、それ以降は不遇の現役生活を送った悲運の名馬である。
2024年2月22日のぱかライブTVにおいて発表された9人の新ウマ娘の一人として登場。同時に2024年5月に公開される劇場版『新時代の扉』に登場することが発表された。
お人よしで自分に自信をあまり持っていないが、それでもひたむきに努力しているウマ娘。一方で流されやすいタイプらしく、何分同期たちが個性的な面子なだけあってよく振り回されているらしい。
担当声優の福嶋晴菜は、舞台ウマ娘「〜Sprinters’Story〜」にて、アンサンブル(モブ兼バックダンサー)のウマ娘役を演じていた。
容姿・デザイン
ジャングルポケットに代表される同期ウマ娘3人と比べて恵体の印象を強く受ける体格。
身長とバストはあのダイワスカーレットと同じ、ウエストとヒップは彼女よりそれぞれ4、6ずつ大きい。身長とスリーサイズの全てにおいて同期3人組を一回り以上凌駕している。
これは、史実馬が「牛」と評されるような丸い馬体で入厩してきたことに由来すると思われる。
鹿毛由来の髪色に、両耳にはメンコ由来となるピンク色の耳カバーを着用。右耳付近に勝負服カラーの布飾りがある。
右の額だけが見える髪形で、もみあげの部分に流星が再現されている。これは実馬が鼻先に向けて広がる流星の持ち主だったこと、レース中はメンコを着用したため上部の流星が見えなかったことに由来すると思われる。
立ち絵では性格を窺わせる、柔和で明るい笑顔を浮かべていることが多い。
勝負服
メンコ由来であるピンクのシャツやパンツ、その下に黒袖勝負服由来の黒服を着用している様子。
袖の色が元の勝負服要素である「桃と緑の元禄(四角模様の2色が交互に配置される柄)」となっている。パンツに巻いたベルトから左右と前に垂れ下がるように長いベルトが伸びている。
季肋部を包むように白い布が巻かれており、デザイン上の大きなアクセントになっている。
全体的に柔和な印象を受けるピンクのイメージが強い衣装だが、一部ファンからはモブウマ娘の勝負服と似ているとの指摘が出ている。後述の名画の肖像を意識したものだろうか?
競走馬『ダンツフレーム』
次の幕こそ
真ん中に立てないことを
思い悩んでいるのなら
君にこう問いたい
舞台の端や後方であっても
命がけで演じただろう?
いまの力で成し得る
最良の結果を残しただろう?
ならば悲観することは無い
次は大きな役を用意した
君のために開演ベルは鳴る
1998年4月19日生まれの鹿毛の牡馬(01世代)。父ブライアンズタイム、母インターピレネー、母父サンキリコという血統。
父のブライアンズタイムはアメリカのGⅠを2勝した後日本で種牡馬入りし、1990年代にサンデーサイレンス、トニービンと共に輸入種牡馬御三家を形成した大種牡馬。対して母系ははっきり言って地味な血統である。
管理調教師は中央競馬時代は山内研二(栗東トレセン所属)、地方競馬時代は宇都宮徳一(荒尾競馬所属)→岡田一男(浦和競馬所属)。
主戦騎手はこれといっておらず流動的で、中央競馬時代は藤田伸二(最多となる9回騎乗)や武豊(5回騎乗)、池添謙一(4回騎乗)、河内洋(現調教師、2回騎乗)、福永祐一と本田優(いずれも現調教師、共に1回づつ騎乗)が騎乗した。
見た目があまり優れず調教師や生産者からの評価はあまり良くはなかったが、それでも2000年6月にデビュー。オープン2勝を含む4戦3勝(うち2着1回)というなかなか優秀な成績を納めると、3歳となった2001年に始動戦のきさらぎ賞(GⅢ)でアグネスゴールドの2着となり、続くアーリントンカップ(GⅢ)では中団待機からの追い込みで逃げるキタサンチャンネルをハナ差で捉えて重賞初制覇を飾る。
当初はこの後NHKマイルカップ(GⅠ)から安田記念(GⅠ)というローテの予定だったが、予定を変更してクラシック三冠路線に乗り込み、一冠目の皐月賞(GⅠ)に出走。ここではアグネスタキオンとジャングルポケットの二強に次ぐ3番人気だったが、実際はタキオンとジャンポケがいずれも1桁オッズだったのに対し単勝16.8倍と少し落ちる評価だった。それでもレースでは中団につけ、進路を塞がれたり他馬と接触したりといった不利を受けつつも直線で好位追走から抜け出したアグネスタキオンを追いかけ、外から追い上げたジャングルポケットとの競り合いを制して半馬身差の2着となる。
続く東京優駿(日本ダービー)(GⅠ)ではジャングルポケット、NHKマイルカップを快勝したクロフネに次ぐ形でまたもや3番人気。本番では中団で待機した後、最終直線で上がり最速の脚を使って追い上げるも、同じく上がり最速で追い上げたジャングルポケットに1馬身半屈して2着となった。
夏季休養の後は神戸新聞杯(GⅡ)から始動するも4着、続く菊花賞(GⅠ)ではジャングルポケットに次ぐ2番人気に支持されるも夏の上がり馬であるマンハッタンカフェの5着、初の古馬混合戦となるマイルチャンピオンシップ(GⅠ)も5着となる。
古馬となった2002年は京王杯スプリングカップ(GⅡ)で始動するも4着、安田記念(GⅠ)ではアドマイヤコジーンに半馬身屈して2着と今一つ勝ちきれないレースが続くが、宝塚記念(GⅠ)においてツルマルボーイとの競り合いを制し、悲願のGⅠ初制覇を挙げた。しかしその後は秋の始動戦となった毎日王冠(GⅡ)で5着となるも、天皇賞(秋)で3歳馬ながら乗り込んできたシンボリクリスエスの裏で初の2桁着順となる14着、マイルチャンピオンシップ(GⅠ)ではブービー17着と惨敗。
5歳となった2003年はマイラーズカップ(GⅡ)で始動して4着、続く天皇賞(春)(GⅠ)で5着といずれも入着した後、新潟大賞典(GⅢ)を59kgのハンデを背負いながらも1着となって久しぶりの勝利を挙げるも、その後は安田記念(GⅠ)で5着、連覇を懸けた宝塚記念(GⅠ)でヒシミラクルの7着となり、夏の休養を経てオールカマー(GⅡ)で復帰予定だったものの右前脚浅屈腱炎を発症して一度目の引退となった。
引退後は2004年より種牡馬入り…の予定だったが、春先の種牡馬リストに一切名前が載らず競馬ファンからは行方不明になったようにしか見えなかったため物議を醸した。真相は闇の中だが、父ブライアンズタイムがマイナーな牝馬から大物を出す傾向があり、孫世代が期待されたほど活躍していない状況があったこと、ダンツフレーム自身の母方が地味な血統であったことは種牡馬入りに関して大きな障害になっていた可能性がある。
屈腱炎の治りが良かったことやオーナーの希望から地方競馬での現役復帰が決定。
同年10月に荒尾競馬場(2011年に廃止)のオープン戦・かんなづき特別で復帰して2着に入るも、浦和競馬移籍後に浦和記念(GⅡ(現Jpn2)・的場文男騎乗)・東京大賞典(GⅠ・見沢譲治騎乗)、年明け2005年の川崎記念(GⅠ(現Jpn1)・見沢譲治騎乗)と出走するもそれぞれ9着・14着・11着と惨敗。結局同年6月に今度こそ引退となった。
2度目の引退後は種牡馬になれず、栃木県の地方競馬教養センターで乗馬として供用されることとなった。
しかし川崎記念後より熱が安定せず、センターで体調回復のために放牧するも回復しなかったことから精密検査を実施した結果、重度の肺炎を患っていたことが判明。検査時点で既に症状は施しようがなく、同年8月28日に肺炎のため死去した。7歳没。没後は教養センター内に墓標が建てられている。
同期のアグネスタキオン、ジャングルポケット、マンハッタンカフェ、クロフネがいずれも種牡馬として成功を収める中、不遇の晩年を送ることとなった。