「やってみせるっす……!努力は、必ず報われるんだから!」
プロフィール
キャッチコピー | - |
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誕生日 | 4月10日 |
身長 | 159cm |
体重 | 増量中 |
スリーサイズ | B76・W55・H80 |
靴のサイズ | - |
学年 | 高等部 |
所属寮 | 栗東寮 |
得意なこと | - |
苦手なこと | - |
耳のこと | - |
尻尾のこと | - |
家族のこと | - |
マイルール | - |
スマホ壁紙 | - |
出走前は… | - |
得意科目 | - |
密かな自慢 | - |
よく買う物 | - |
ヒミツ | ①慣れた場所なら目をつむっていても歩ける / ②しじみの身を残すのは許せない派 |
自己紹介 | - |
CV | 月城日花 |
健気でひたむきな、スポ根ウマ娘。
勝利を掴みたいという強い気持ちはあるが、失敗すれば人並みに落ち込むこともある。
けれど七転八起、挫けても必ず立ち上がる。
物語を輝かせる主役……プリンシパルをめざし、日々たゆまぬ努力を続けている。
(公式ポータルサイトより)
ソロ曲
止まらない想いや憧れの裏で 育った劣等感も 力に変えて!
『どこまで走れば』
作詞・作曲・編曲・yoss
概要
ウインバリアシオンは、メディアミックスプロジェクト『ウマ娘プリティーダービー』に登場するウマ娘。モチーフは11世代の三冠馬"金色の暴君"オルフェーヴルに挑み2着を取り続けた競走馬「ウインバリアシオン」号。
3周年に合わせて2024年2月22日の「ぱかライブTV」で追加が発表された9人の内の1人。
「ウイン」冠名で知られる一口馬主クラブ「ウイン(愛馬会名義はウインレーシングクラブ)」所有馬をモチーフとしたウマ娘の一本槍として発表されているが、重賞馬としての成績はGⅡ1着が2回のみ。
しかしそのシルバーコレクターっぷりは凄まじく、特にオルフェーヴルが居なければ圧倒的着差の勝利だった道悪の2011年に日本ダービーなどは後世に語られている。数多の重賞レースで2、3着となり、他のウイン冠GⅠ馬を押し退けてクラブ内賞金額1位の座を得ていることからも、その安定した実力が窺い知れる。11世代は日本の短距離最強候補の他にもGⅠ馬を輩出しているのだが、こと中長距離の世代二番手となるとウインバリアシオンの名を挙げる人も少なくない。
さて、ウマ娘でのウインバリアシオンにはバレエ要素が取り入れられている。
これは馬名の由来である「バレエのソリストによる踊り」や母スーパーバレリーナからの着想であると思われ、バレエ団のトップ階級ダンサーにあたる「プリンシパル」を目指すキャラクター造形になっている。バレリーナは爪のケアに悩まされがちという点も嫌に親和性がある要素。
落ち着いた口調であるものの、時折語尾に「っす」を付けることがある。これはスポ根精神を表現したものだろう。怪我を負ってもレースでの闘志を失わなかった実馬の逸話が反映された形となる。実際、濃すぎる周囲に怯んだりもしながら、「それでも」と一歩踏み出して行動する一面もある。
- 同室のシュヴァルグランとは同期に対する劣等感、そして勝ち星に手が届かない故の自己嫌悪という面で似た者同士。先輩のバリアシオンが過干渉を避けたがるシュヴァルグランを見守る関係性であるらしい。なお、二人の実馬は父がハーツクライ繋がりでもある。
- サウンズオブアースは同じG1善戦マン繋がりではあるものの、彼女の「1着を取ることより素晴らしいレースをすることに重きを置く」姿勢には共感できないなど、特定の相手に挑み続け叶わなかった故のコンプレックスが根深いことを窺わせる。
紹介文には七転八起とあるが、入厩当初体が緩かったためによく躓きかけていたことが取り入れられた可能性がある。
また異説として、度々脚部不安に見舞われた史実を踏まえたものかもしれない。クラシック期は裂蹄に悩まされ、屈腱炎から二度も復帰したものの、ゴールドシップが念願の天皇賞(春)を勝利した裏で競走能力を喪失する重度の故障が生じるなど、その競走馬としての馬生は傷だらけのものであった。
現役期間は長かったため、ゴールドシップを始めとして史実で対戦したことがあるウマ娘は多い。2着になったレースの1着馬モチーフのウマ娘がアプリ内で登場していたりもする。
容姿・デザイン
赤髪のロングヘアを、後ろ側で赤黒のリボンで結んだ細い二つ結びとなっている。
実は既存の育成ウマ娘にはここまで「赤色」と断言できる髪色のキャラクターはおらず、赤髪ツインテールに加え左目に髪が被さっておりややメカクレのように見える。この点は額を大きく空けているライバル・オルフェーヴルと対照的である。
両方の耳には勝負服の袖にあたる白赤の耳カバーを付けている。
また、右目と右耳の間に羽飾り(バレリーナの頭羽がモチーフ)を付けている。前頭部には細長い流星のような白毛があるが、実馬の流星とは形状が大きく異なる。
落ち着いた雰囲気で、一歩間違うとダウナーにも見える印象を受けるが、これは実馬がパドックでマイペースだったことが一因か。一コマ漫画ではパドックで目を閉じている様子が描かれているが、これは当然史実再現であり京都記念などでは目を閉じたまま周回。ファンから「寝ている」と指摘されたりしていた。
- 勝負服
バレリーナを意識した衣装に、馬主であるクラブ法人のウインの勝負服(赤、黒縦縞、白袖赤一本輪)のデザインを落とし込んでいる。縦に黒い線が3本入った、クラシカルな赤を基調とし、肩には白いフリルの付いた赤いリングを付けている。
チュチュを意識したハリのあるスカート、背中が大きく空いているなどバレエ衣装の特徴が強い。脚にはタイツを着用している。
ゲーム版
アプリゲーム『ウマ娘 プリティーダービー』
2024年2月24日のアプリ3周年記念ストーリーにて初登場。濃すぎる同世代たちに対抗心を燃やしている。引け目を感じつつ、それでも突然現れアピールする姿に乙名史悦子記者は笑顔を見せていた。
また、同日実装されたサポートカードのイベントにも一部登場している。
競走馬『ウインバリアシオン』
2008年4月10日生まれの鹿毛の牡馬(11世代)。父ハーツクライ、母スーパーバレリーナ、母父Storm Bird。
母父は世界で活躍したストームキャットを輩出した愛国出身の種牡馬。父は国内でかのディープインパクトに唯一先着し、大物食いな産駒を数多く輩出した名種牡馬。バリアシオンはハーツクライにとって初の重賞ウィナーであり、ウマ娘ではシュヴァルグランに続き二頭目のハーツクライ産駒となる。
一口馬主のウインで募集価格1800万円(400口、一口4.5万円)とされ、ナイスネイチャの主戦として知られる松永昌博厩舎に入厩。松永師は2011年にエイシンアポロンでマイルCSを制しているものの、引退前のインタビューでは忘れられない馬としてバリアシオンの名を挙げている。
入厩当初から体質が弱く、加えて爪が薄いなど不安を抱えた馬であった。しかし調教に入ると素質を感じさせるものがあり、福永祐一騎手からデビュー戦の逆オファーを受けるなどしている。
2010年8月1日に小倉競馬場の新馬戦に出走し1着デビュー。続くOP戦 野路菊Sも勝ち連勝している。その後はゆっくりと調整し状態面を考え皐月賞は目指さず。重賞を転戦しラジオNIKKEI杯4着、きさらぎ賞4着(3着オルフェーヴルと初対戦)、弥生賞7着。
- 青葉賞勝利、そしてダービーへ
ダービーへの出走権を賭けてトライアルレースの青葉賞に参戦。鞍上には新たに安藤勝己を迎えた。重賞での敗戦歴から6番人気であったものの、後方待機から鮮やかな豪脚で差し切り、念願の重賞初勝利となる。
…ただし、青葉賞というレースはダービートライアルにもかかわらず、「勝ち馬がダービー馬にならない」という縁起の悪いジンクスが存在していることで有名である。ウマ娘でも青葉賞・ダービー1着で「ジンクスブレイカー」なる称号が得られるほどのものであり、その運命は容赦なくウインバリアシオンに降りかかることとなった。また、弥生賞頃から発生していた裂蹄が悪化しておりダービー時は青葉賞よりも状態が悪く、ダービーでは蹄から血を吹き出しながら走っていたという。
ちなみにダービートライアルのレースにはプリンシパルステークスというウマ娘のウインバリアシオンが目指しそうな名のレースもあるのだが(格付けはリステッド競走)、そちらには出走していない。
優勝馬の中には(オープン特別時代も含めると)サイレンススズカ、ルーラーシップ、スピルバーグなど後のGⅠ馬や重賞馬が複数いるのだが、如何せんこちらも青葉賞同様勝ち馬がダービー馬になったことがない。
- 2011年、泥だらけの日本ダービー
2011年5月29日。梅雨に台風2号の影響も加わって激しい雨が降り続く。
決戦のダービーは「不良馬場」と発表され、波乱を感じさせる様相であった。1番人気は皐月賞を勝ったオルフェーヴル。「東京開催の皐月賞馬」という特殊な立ち位置故にダービー自体への適性はあると見られたものの、極悪馬場への順応を疑問視されてややオッズを落とした。一方、ウインバリアシオンは10番人気。
しかし、ウインバリアシオンにとってこの馬場はプラスに働いた。彼が苦にしていた裂蹄であったが、この緩い馬場であれば柔らかく包み込んでくれる。オルフェーヴルをマークする後方に位置取り、あちらが窮屈な内に入っていくのを見ながら外へと持ち出し突き抜ける。
道悪に苦戦する人気馬たちを余所に、ウインバリアシオンは馬群を置き去りにしてゴールイン。3着馬ベルシャザールに7馬身差を付ける圧倒劇であった。
……勝者、オルフェーヴル。後続を置き去りにしたのはウインバリアシオンだけではなかった。内で何度も接触し、黄金の馬体は泥に塗れ、それでもなおオルフェーヴルは勝ち切ってみせたのである。仮にウインバリアシオンを抜くとベルシャザールとの差は9馬身差以上で、これは1941年に初代三冠馬セントライト・1955年に同年年度代表馬オートキツが記録したダービーの最大着差8馬身差を大きく凌駕する。さらに言えば3着ベルシャザールは芝での実績もありながら後にGⅠジャパンカップダートにてワンダーアキュートに勝つなどダートで開花したパワー自慢の馬である。バリアシオンの走りは立派だったものの、与えられたのは「2番手」の称号であった。
記録上の着差は1と3/4馬身差だが、オルフェーヴルはより踏み荒らされた内を進んでバリアシオンと距離が詰まらなかった。強すぎたライバルの後塵を拝しつつ、秋に向けて放牧に出される。
- 秋、ライバルの背
2011年9月の神戸新聞杯に合わせて帰厩。放牧中に懸念点であった裂蹄は癒えていた。
神戸新聞杯ではウインバリアシオンは2番人気。1番人気はオルフェーヴルであり1~3着まで人気通りの着順で入線。オルフェとは2馬身程の着差を付けられている。
迎えた秋の大目標であった菊花賞。1番人気は三冠目を賭けて挑むオルフェーヴルで単勝1.4倍。母父メジロマックイーンでスタミナの裏付けがあり、1強ムードとなっていた。2番人気ウインバリアシオンは単勝7.8倍、3番人気トーセンラーが単勝12.2倍。
結果はというと、神戸新聞杯に引き続き1~3着まで人気通りの着順。これでダービー以降オルフェ相手に3戦3敗の全て2着になってしまい、すっかりシルバーコレクターになってしまった。
その後、有馬記念へ向かったオルフェとは別路線を目指しジャパンカップを選択。しかし1か月間隔では古馬相手に苦しかったか、ブエナビスタとトーセンジョーダンの争いから少し離れた5着入線。とはいえ青葉賞以来オルフェ以外の同世代には先着を許さなかった。以降休養に入りクラシックシーズンを終える。
有馬記念はオルフェーヴルが豪華メンバー古馬に挑み、不利な展開ながら豪快に追い込み戴冠。世代最強から現役最強へとのし上がった。
- 2012年
年明けの2月12日に京都記念で復帰。2番人気に支持されるものの道中足を滑らせたことが響き、足捌きが乱れて追わず6着に敗れる。
これ以降乗り換わりが頻繁に行われており、安藤騎手にとっては最後の騎乗になった。
3月24日の日経賞でも2番人気。1番人気は1つ先輩の有力馬ルーラーシップ。古豪の天皇賞馬マイネルキッツやオークス馬サンテミリオンなども参戦し豪華な顔ぶれとなった。
レースでは最後方に控え、ラストに猛然と追い込みルーラーシップをクビ差抑え2着。……あれ?
実は有力馬が牽制しあったことでスローペースながら大逃げ状態になった馬がいたのである。その名もネコパンチ!有力馬がオッズを吸いまくり単勝100円でも16,710円返しの万馬券。競馬界に笑撃をもたらす事態を演出してしまった。
同時期には手ごわかったオルフェーヴルが阪神大賞典で衝撃の珍走劇(阪神大笑点)をやらかしたり、後に因縁を深める白い奴が"ワープ"したりと、競馬史に残る珍事件が頻発している。
波乱を予感させる天皇賞(春)だったがここでも1番人気オルフェ、2番人気バリアシオンとなる。しかし本番は14番人気の伏兵ビートブラックが一世一代の走りで勝利。14番人気-3番人気トーセンジョーダン-2番人気ウインバリアシオンの順で入線し、ここでも15,960円の単勝万馬券に関与してしまった。
ちなみに単勝1.3倍を背負ったオルフェーヴルはまさかの11着と大敗。ウインバリアシオンにとって初めての先着となった。
続いて6月24日の宝塚記念に出走。3番人気を背負うがオルフェーヴルの復活劇から離された4着。しかもオルフェーヴルが欧州遠征で留守になった秋戦線は調整中に屈腱炎を発症。出走叶わず長期の戦線離脱を余儀なくされる。
- 2013年、ライバルは譲らない
復帰戦は2013年11月30日の金鯱賞。すなわち1年以上の間隔が空いており、屈腱炎のダメージも心配されたため8番人気。しかし彼の闘志は衰えていなかった。カレンミロティック、ラブリーデイという名を挙げる馬たちに次ぐ3着に入線する。
2013年12月22日。この日、有馬記念では大きな話題があった。即ち、ここを引退レースとする三冠馬オルフェーヴルと、ひとつ下の二冠馬にして同じステマ配合、前年度覇者のゴールドシップが生涯一度きりの直接対決を行うレースだったのである。
他の現役有力馬が回避したこともあり1番人気オルフェーヴルは単勝1.6倍、2番人気ゴールドシップは4.4倍。3人気は14.4倍と完全に二強ムード。やや蚊帳の外のウインバリアシオンは4番人気にて単勝16.1倍となった。
一方、バリアシオン陣営は燃えていた。天皇賞春での先着はライバルに対する勝利と言えなかった。復調し、引退に向けて並々ならぬ覚悟で臨む同期の三冠馬を打倒できるチャンスはもう有馬記念しかない。内心では素質は決して劣らないと信じつつ、さりとて脚の爆弾を軽視するわけにはいかず難しい調整を迫られていた。
かつての鞍上安藤勝己が解説として見守る中、レースが始まる。二強は後方に位置取り、ウインバリアシオンは中団後方のインを確保。向こう正面では内のバリアシオン、隣にゴールドシップ、外にオルフェーヴルが並ぶ場面もあった。先にオルフェーヴルが仕掛ける。抜き去られたゴールドシップも負けじと仕掛ける。馬群に邪魔され、ゴールドシップの外を回すバリアシオン。
4コーナーで早くも先頭に立つオルフェーヴル。ゴールドシップはスタート直後や早仕掛けで思うほど足を使えず。より脚色の優れていたバリアシオンはゴールドシップの視界を遮るように内に切り込み好敵手を追う。
……しかし、オルフェーヴル陣営には負けられない理由があった。引退レースであり次のレースなど最早意識せずともいい。制約を取っ払い、オルフェーヴルは一切後ろを顧みずひたすら進んでいく。
勝者、オルフェーヴル。二着ウインバリアシオンに付けた着差は圧巻の8馬身であった。仮にバリアシオンを無視すると3着ゴールドシップに付けた着差は9馬身1/2となり、シンボリクリスエスが記録した有馬記念最大着差&ジャパンカップでタップダンスシチーも記録したグレード制導入以降のG1最大着差9馬身差を更新する計算。ダービーに続きまたしてもオルフェーヴルの記録をウインバリアシオンが阻んだ形であった。
オルフェーヴルの破格の走りの前に屈してしまったものの、翌年も有馬記念3着に好走するゴールドシップを相手取って負けなかったこと、なにより同世代で二番手に甘んじ続けた彼が屈腱炎を乗り越え、最後の最後までその座を譲らなかったことは大きなドラマであった。
- 2014年
明くる年の3月29日、二度目の日経賞に挑み1番人気に支持される。
その期待に応え2年前の雪辱をはらす勝利。重賞二勝目にして生涯最後の勝利を上げる。3年近く苦汁を舐めた末に味わう勝利だった。
春の大目標であった天皇賞(春)は4強の内の3番人気。1人気は初対戦のダービー馬キズナ、2人気ゴールドシップ、離れた4人気に日経賞で破った前年覇者にして後輩青葉賞馬フェノーメノという趨勢だった。
有馬記念で負けたオルフェーヴルは引退し日経賞は快勝。陣営もファンもここがG1初制覇最大のチャンス………と期待していたが、ここでもとてつもない不運に見舞われる。まず前々走から騎乗していた岩田康成が1週間前に騎乗停止処分となり、急遽騎手変更を余儀なくされる。なんとか短期免許来日中のA.シュタルケを確保してレース当日を迎えたものの、なんとその当日にシュタルケが落馬負傷で騎乗不可能に。最終的に武幸四郎が代打の代打で当日テン乗りという、少なくともG1では他に類を見ない形で騎乗することとなってしまう。
レースはゴールドシップ、キズナが遅れた追走。バリアシオンは中団後方に控え向こう正面の坂で各馬緩やかに仕掛ける流れになった。
最終コーナーを曲がりバリアシオンを先頭に追い込んでくるキズナ・ゴールドシップ。そこにインから京都のコーナーを利して中ほどに出してきたフェノーメノが並ぶ。フェノーメノとバリアシオンは激しい叩き合いに突入し、僅かにフェノーメノの脚が勝る。ウインバリアシオンは2着に敗れ、フェノーメノは天皇賞(春)連覇を達成した。
この時点でGⅠ2着4回。オルフェーヴル相手に3回、そしてフェノーメノの勝利で全てステイゴールド産駒に敗れている。
なおフェノーメノとの着差は僅かクビ差。ただでさえ長距離は人馬のコミュニケーションが特に重要な上、G1での当日テン乗りは2023年まで勝利した例は一度もなかった。この最大級のアクシデントがなければ……と悔やむ声は今でも多い。
続いて宝塚記念に参戦。前走を評価されてなんとジェンティルドンナ(3人気)を抑え2番人気に支持され、1人気ゴールドシップ、4人気メイショウマンボと4強を形成した。しかしレース本番では7着敗戦。一応、ジェンティルドンナらには先着したものの、1着ゴルシ、2着カレンミロティック、3着ヴィルシーナと2、3着に人気薄がくる決着となった。
不幸なことに宝塚記念後再度の屈腱炎が発覚。軽症だったため半年の休養を挟んだものの、復帰戦に再度選んだ金鯱賞は15着の惨敗。豪華メンバーの有馬記念もジェンティルドンナの花道を飾る12着に甘んじる。そもそもウインバリアシオンは2桁着順に沈んだことがなく、年末における二戦で引退も意識されるようになった。
- 2015年 3度目の日経賞、そして引退
翌年の3月28日、1年前に勝利した日経賞に三度目の出走を決断。鞍上には2歳時~3歳初期に鞍上を務めた福永祐一氏に戻った。
近走の低調ぶりから5番人気まで評価を下げるものの、4人気アドマイヤデウスの2着に滑り込み、低評価を払拭する堅調ぶり(とシルバーコレクターっぷり)を世に示した。ただ、全盛期ほどの力は出せていないことは明白であった。
去年のリベンジとして、春の大目標は3度目の天皇賞(春)。3番人気アドマイヤデウスを下回る6番人気となった。1番人気は去年同様キズナ。
しかしこのレース、主役は2番人気ゴールドシップであった。長距離戦に出てくるお利巧な馬たちの中でゲートに入るまいとゴネまくる。数分掛けて目隠しをして漸く入る有様。一騒動あった後、16番のウインバリアシオンが最後にゲートへと入った。
レースはゴールドシップが一応出たもののやる気を出さず、スローペースで進んでいく。このまま末脚勝負かと思いきや、ゴールドシップ鞍上の横山典弘は後ろポツンから内枠の利を投げ捨てる横ポツン、さらに向こう正面の坂前から鞭を入れて超ロングスパートという掟破りの騎乗を敢行。これによってレースは大混乱に陥り、ゴルシに釣られた馬が坂で仕掛ける禁忌を冒すなどスタミナ色の強い展開になってしまう。
ウインバリアシオンにとっても寝耳に水の事態ではあったものの、落ち着いて最後の直線へ進入。
しかしここで福永騎手は異変を察知する。強く追わずゴール後に下馬。
下された判定は浅屈腱不全断裂での競走能力喪失。命に関わりかねない怪我であり、この故障によって彼の傷だらけの競走生活は終わりを告げることとなった。このため、ドゥラメンテ世代とは走る機会がなかった。
気付けばクラシック三冠上位3着のメンバーでその後にGⅠを勝てなかったのは、皐月賞3着のダノンバラードとウインバリアシオンのみ。サダムパテックとトーセンラーは武豊に導かれマイルCSを制覇。ベルシャザールはダート転向でJCD制覇と、いずれもオルフェーヴルと龍王の居ないGⅠでの勝利であった。
ウマ娘ウインバリアシオンのキャラソン『どこまで走れば』にて「"投げだせば楽になる"なんて過ぎるのは何回目 見渡して呟いた 私だけ」と歌われるのは、何度もオルフェーヴルに挑み敗退し、それでもなお古馬王道GⅠを諦めなかったことを指しているのかもしれない。
- 引退後
最終成績がGⅡ2勝であり、引退後の進路は二転三転した。最初は乗馬とされていたが種牡馬入りと発表、しかしウインレーシングより誤報と発表され混乱が生じた。この時まだ父ハーツクライが若かったこと、ハーツクライ産駒なゴルシの友達が種牡馬入りしたことが大きいだろう。
最終的には「青森の馬産を盛り上げる」ということで種牡馬として引き取られている。繋養先の牧場では種付けの設備をゼロから作り上げる状況で、実践的なノウハウはバリアシオンによって得られたようだ。オンオフがハッキリした賢い馬であるらしく、優等生として扱われている。親譲りの部分だろうか……。前述の経緯より将来が不安視されていたものの、現状は「GⅠ級の馬が青森に来てくれた」と歓迎ムードの中で種牡馬生活を送っているようである。
フロックと呼ばれた馬がGⅠ勝利の栄光を受ける一方、GⅠで勝ち負けできたにもかかわらず強すぎた同世代の影に隠れたウインバリアシオン。しかし全盛期の彼の走りは見る者を魅了するものだった。
青森産馬はかの「TTG」の一角グリーングラスが去ってから1度もGⅠ勝利を掴めていない。ウインバリアシオンの灯した火が青森の馬産を盛り上げることを願いたい。
余談
ウインバリアシオンのウマ娘化前の本項目の記述
かつては「もしもゲーム『ウマ娘プリティーダービー』に、競走馬『ウインバリアシオン』を元にしたウマ娘が存在したら…?」をコンセプトに、pixivユーザーの有志により制作・投稿されている二次創作・非公式のタグとして本項が利用されていた。
竹邑厩務員
ウインバリアシオンの担当厩務員だったベテランの竹邑氏は、それ以前にも瀬戸口厩舎時代にラインクラフトなどを担当していた。ラインクラフトの趣味であった日向ぼっこでも時折エピソード内でその名に触れられている。ラインクラフトは現役中に放牧先で逝去、オグリキャップの半妹である桜花賞馬オグリローマンも繁殖で忙しかったこともあり、引退後に会うことができなかった。そのような中でウインバリアシオンは命が危ぶまれる重傷こそ負ったものの奇跡の種牡馬入りを達成、引退後の再会を果たしている。
ちなみに竹邑氏からは「バリやん」と呼ばれていたとか。
名誉カノープス?
史実ではウインバリアシオンはオルフェーヴルのライバルとして知られる。相手が強すぎたためにG1勝ちがなく名脇役止まりになっており、善戦マンとしてカノープス入りするのではないかとも噂されている。特にウインバリアシオンの松永調教師は騎手時代にナイスネイチャの鞍上を務めており、その繋がりは深かったりする。
ゲーム新OPムービー「「U.M.A. NEW WORLD!!」」では食堂で食べ比べを見物するペアとしてナイスネイチャと共に映っており、ゲーム内でも関係性があるものと考えられる。
一方、現状カノープスメンバーらと比較してレースにおける切実さが大分異なっている点は留意したいところ。度重なる敗戦から強い劣等感に苛まれており、カノープスの面々と比べ温度差がある様子が多い。
ステイゴールド産駒との因縁
ウマ娘で言えばエイシンフラッシュ、トーセンジョーダン、ジェンティルドンナ、ヴィルシーナなどとも対戦経験があるウインバリアシオンだが、史実ではステゴ産駒たちとの因縁が深かった。
ウインバリアシオンのGⅠ2着の全てでオルフェーヴル、フェノーメノというステゴ産駒が戴冠しており、その因縁は根深いものになっている。
また、ウマ娘ではお馴染みのゴールドシップについても関係性は深い。
2013年の有馬記念では引退するオルフェーヴルと前年覇者ゴールドシップの二強対決に割って入り、「オルフェーヴルの後ろは譲らない」と言わんばかりに2着に入線し、着差こそ極めて離されたもののG1級の実力を誇示した。
一方、引退レースとなった2015年天皇賞(春)ではゴールドシップ鞍上横山典弘が常識外れのレースを敢行。向こう正面から追い始める超ロングスパートによってそれまでのスローペースが一変、乱ペースのスタミナ勝負になってしまった。元々脚部に爆弾を抱えていたウインバリアシオンにとっては過酷なレースとなっていた可能性が否定できないだろう。二度目の屈腱炎についてもゴルシが連覇した宝塚記念前後のタイミングであり、筋肉痛ぐらいしか目立った怪我のないゴルシとは真逆の道を進んでいる。
OPムービー「U.M.A NEW WORLD!」ではレース中に進出するウインバリアシオンに隣のゴールドシップが視線を向ける一幕がある。それまでの位置取りからバリアシオンが内に切り込んでおり、左回りではあるものの有馬記念での走りを連想させるものとなっている。
関連イラスト
関連項目
バリアシオン…同じく競走馬ウインバリアシオンを由来とするキャラクター。
関連ウマ娘
同期(11世代)
・カノンミルフィーユ……モチーフ馬カレンミロティック(ハーツクライ産駒)
ハーツクライ血統
・黄色い勝負服のウマ娘……モチーフ馬が父ハーツクライ
・シュヴァルグラン(ウマ娘)……ハーツクライ産駒、寮の同室。
・カノンミルフィーユ……モチーフ馬カレンミロティックがハーツクライ産駒
松永昌博調教師繋がり
・ナイスネイチャ(ウマ娘)…騎手時代の代表騎乗馬。因みにウインバリアシオンの誕生日トークでネイチャがお祝いに訪れ、小倉談義に花を咲かせるが、これは実馬が小倉競馬場で勝利していること、中の人が福岡県出身(両者北九州弁を披露している)の共通点があることが理由らしい。
・バンブーメモリー(ウマ娘)…主に武豊騎手が騎乗していたが、39戦中12戦で松永騎手が騎乗していた。また、語尾に「っす」を付ける共通点がある。
出走した3歳三冠競走全てで2着繋がり
・ヴィルシーナ(ウマ娘)…牝馬三冠(桜花賞、オークス、秋華賞)全てでジェンティルドンナの2着。ウインバリアシオンとは2戦1先着。
ライバルが強すぎた者繋がり
・メイショウドトウ(ウマ娘)…テイエムオペラオーが強すぎた。