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概要編集

シュヴァルグランの育成ストーリーに登場するウマ娘。元ネタは恐らく同じ放牧先で共に過ごすことが多かったアドマイヤデウス

シュヴァルのトレーナーからはおっとりと優しそうと思われ、シュヴァルは小さな頃からずっと僕の前を歩いて優しく手を引いてくれた存在と考えていた。


シュヴァルとは距離適性が近く親交も深いため2年目の夏合宿で練習相手になったほか、阪神大賞典天皇賞(春)ではライバルとしてシュヴァルと競い合う。

他に目標外ではあるがクラシックのジャパンカップ有馬記念にも出走している。


詳細編集

シュヴァルとは同じジュニアクラブに通っていた幼馴染であり、諸事情で違うクラブから移籍してきたシュヴァルの走りに感心して自分から話しかけて親友となった。

シュヴァルもシャインのことを尊敬し、シャインがいたからそのクラブで頑張ることが出来たと話している。


トレセン学園においては一つ上の学年かつ一年早くデビューを果たしており、シュヴァルのデビュー戦では応援に駆けつけてその声援のおかげでシュヴァルは落ち着いた走りが出来た。

シュヴァルとの阪神大賞典天皇賞(春)を経た後、挑み続けるシュヴァルに勇気をもらい高みを目指してトレセン学園からオーストラリアへの転籍を決意。会長理事長との相談の末にその年の8月にはオーストラリアへと行くこととなった。


シュヴァルから勇気をもらった話で彼女を元気づけた後、8月の出発前にジャパンカップにて再戦しようとシュヴァルと誓い合う。8月シュヴァルに見送られて空港からオーストラリアへと向かうと現地でトレーニングを重ねる。

しかしトレーニング中に靭帯の重度の損傷というアクシデントに見舞われ、場合によっては歩けなくなるほどの難しい手術を迫られる。


手術への恐怖を滲ませるシャインだったが、“偉大なウマ娘”へと成長したシュヴァルの勝利宣言やジャパンカップでの見事な走りによって再び勇気づけられて手術を受けると決断。無事に成功してシュヴァル達に喜びと安心を届けた。

シュヴァルのノーマルエンドではリハビリが順調に進んでいることや自分の夢に向かってまだまだ頑張るつもりだということが語られている。


競走馬『アドマイヤデウス編集

2011年生まれの栗毛牡馬14世代)。

アドマイヤドン、母ロイヤルガード、母父サンデーサイレンスという血統。父アドマイヤドンは1993年の二冠牝馬ベガの産駒で、2001年の朝日杯フューチュリティステークスを制した後にダートに転向し、2002年のJBCクラシックを初めダートGⅠを6勝した名馬で、半兄には1999年の日本ダービー優勝馬でウマ娘化もされているアドマイヤベガや2000年のセントライト記念勝ち馬のアドマイヤボスがいる。種牡馬としてはこれをいった結果を残せず、代表産駒となるアドマイヤデウスとアルバートが生まれた2011年に韓国に輸出された。

母ロイヤルガードは7戦未勝利だが、半弟に全日本2歳優駿優勝馬アドマイヤホープ中山金杯連覇など重賞3勝のアドマイヤフジ福島記念勝ち馬アドマイヤコスモスと重賞馬が3頭いる。後述の譲渡前のオーナーは冠名からも分かるように近藤利一氏。同じく管理調教師は橋田満梅田智之(共に栗東トレセン所属)。馬名意味は「冠名+天帝、天主」。


デビュー前はノーザンファーム早来の林宏樹調教主任によって育成される。数々のノーザン系有力馬が育成される牧場だが、その後輩に1歳下のシュヴァルグランがいた。

シュヴァルグランのオーナー・佐々木主浩氏は近藤オーナーの誘いで中央の馬主になったという経緯があり、勝負服をそっくりなデザインにするなどオーナー同士親しい間柄であった。そのためかどうかはわからないが、この2頭は夏の休養中、ノーザンファーム早来で一緒に調教されていた。


2013年11月の京都芝2000mの新馬戦で和田竜二騎手を鞍上に迎えデビュー。9番人気と微妙な評価だったが、中団から進めて大外を猛然と追い込み、上がり2位の33秒7で3着となかなかの好内容を見せる。


続く京都・芝2000mの未勝利戦も、同じ新馬戦の2着だったジョウノムサシを捕らえきれず2着。岩田康誠騎手を鞍上に迎えた12月の3戦目で勝ち上がる。


明けて3歳、和田騎手が戻った京都・芝2400mの梅花賞(500万下)は捲っていったものの人気2頭に差されて3着。しかし中2週で丸山元気を迎えて向かった小倉・芝2000mのあすなろ賞(500万下)を好位から直線で抜け出して2勝目を飾ると、岩田騎手に戻った若葉ステークス(OP)を後方から力強く馬群を割って差し切り勝利。クラシックへと名乗りを上げた。このレース以降、岩田騎手が日本では最後まで彼の手綱をとることになる。


そして迎えたクラシックでは皐月賞も日本ダービーもこれといった見せ場はなくそれぞれ9着、7着に敗れる。それでも順位は上げていたので秋こそは……と思いきや、ダービー後に左前橈骨骨折が発覚。橋田師は「軽いもので、秋には復帰できるでしょう」と語っていたが、結局3歳秋は全休となってしまった。


復帰戦は4歳となった1月の日経新春杯(GⅡ)。休養明けということもあり6番人気だったが、じっくり休んでいる間に彼は馬体も気性も大人になっていた。内目の好位を立ち回ると、岩田騎手はアドマイヤデウスを最内に突っ込ませ、そのまま上がり最速33秒8の末脚で一気に突き抜けて快勝。重賞初制覇を飾った。

叔父のアドマイヤフジも日経新春杯を制覇しており叔父と甥による同重賞制覇という珍しい記録を持つ事になった


この勝利から天皇賞(春)を目標に定め、続いては3月の日経賞(GⅡ)。人気が割れる中で5.4倍の4番人気に支持され、今度は中団から大外を回して直線で力強く抜け出す強い内容で完勝。重賞連勝を飾り、春の盾の有力候補へと躍り出た。ちなみにこの時の1番人気はサウンズオブアース(4着)であり、5人気で2着に入ったのがウインバリアシオンである。またシルコレしている……。


本番の天皇賞(春)(GⅠ)ではダービー馬キズナ、GⅠ5勝のゴールドシップに次ぐ3番人気。しかし大外の8枠17番を引いてしまい、さらにレース中に熱中症になってしまい、4コーナーでついていけなくなり15着撃沈。しかも右第1指骨剥離骨折が発覚しまたも休養となってしまった。


半年後の天皇賞(秋)(GⅠ)で復帰したがまたも大外8枠18番。しかもスタートで外に膨れてしまい最後方からのレースとなって見せ場なく11着。

続くジャパンカップ(GⅠ)も8枠17番。今度はスタートを決めて隣のカレンミロティックを追って2番手のレースを選択したが、直線で二頭揃って沈んで16着。

ようやく内目の3枠5番を引けた有馬記念(GⅠ)は勝ったゴールドアクターから0.3秒差の7着。


明けて5歳も京都記念(GⅡ)を3着、阪神大賞典(GⅡ)もシュヴァルグランの3着、本番の天皇賞(春)では9着。秋も京都大賞典(GⅡ)ではキタサンブラックを徹底マークしてクビ差の2着と健闘するも、天皇賞(秋)は6着、有馬記念では10着。GⅡでは安定して馬券に絡むのに、GⅠの壁は果てしなく高く、掲示板にも載れない日々が続く。


明けて6歳となった2017年。近藤オーナーが橋田厩舎に預けていた馬を全て転厩させたため、アドマイヤデウスも橋田厩舎から、かつてアドマイヤラクティが所属した梅田智之厩舎へと転厩となった。豪州G1のATC The BMWへの挑戦プランも持ち上がったが、豪州で客死したラクティの件もあって転厩していきなりの遠征は自重。日経賞から始動しまたも3着。

天皇賞(春)では単勝100倍ジャストの10番人気という評価だったが、シュヴァルグランと一緒に好位でレースを進めると直線でも逃げるキタサンブラックに食らいついていき、キタサンのレコード勝利から0.3秒差、シュヴァルグラン・サトノダイヤモンドと僅差の4着と健闘した。

初めてGⅠで掲示板に載り、馬券圏内へもあと一歩。ようやく高いGⅠの壁が手の届くところまで近付き、改めて秋はコーフィールドカップからメルボルンカップへ、という豪州遠征プランが発表される。梅田厩舎と同冠の先輩・アドマイヤラクティの無念を晴らすべく、豪州の地へ渡ることになったが、同年8月、豪州の馬主であるオーストラリアン・ブラッドストック社にトレードされ、日本での競走馬登録を抹消。ダレン・ウィアー調教師のもと、上記のローテに豪州所属馬として挑むことになった。


オーストラリアへと渡ってからは同じ2017年の2月には先んじて豪州に移籍したトーセンスターダムがG1で2着などなかなかの好走を見せており、同じく豪州に移籍したブレイブスマッシュも9月に現地のリステッド競走を勝利しており、アドマイヤデウスもそんな流れに乗るべく調教を積み、コーフィールドカップでは事前オッズでなんと1番人気に支持されていた。更にはジャパンカップにも予備登録。ところがレース4日前の10月17日の最後の追い切りで靱帯断裂を発症。命に関わるほどの重傷であり、これによりコーフィールドカップは回避せざるを得なくなった。

陣営は種牡馬入りも見据えて治療を決断、手術が行われ一度は成功と報じられるもその後複数回に渡って手術が行われたものの治療の甲斐なく11月25日に6歳の若さで亡くなったことが報じられた。


アドマイヤデウスの死が発表された翌日のジャパンカップで、シュヴァルグランがキタサンブラックを破りGⅠ初制覇を飾った。

レース後にノーザンファーム早来の林調教主任は「シュヴァルグランが夏に牧場に帰っていた頃、共に調教を行っていたのがアドマイヤデウスでした。彼のことは非常に残念でなりませんし、そう思うとゴール前でシュヴァルグランの後押しをしてくれたのは、天国のアドマイヤデウスではないかという気もしています」とコメントを残した。


余談編集

  • 実力

シュヴァルの育成ストーリーで中心にいるウマ娘だけあって相応の実力を持っている。見知ったウマ娘相手に先着することもしばしばでブリュスクマンのようにモブウマ娘ではかなりの実力者。

特に高いのがスタミナで、天皇賞(春)ではたまに同じ確定出走枠のキタサンブラックに先着してしまうほど。


  • ヒミツ

シュヴァルが育成ウマ娘として実装される前からその存在は示唆されており、彼女のヒミツ①では「実は、嬉しいことがあった時はオーストラリアにいる幼馴染に電話する」となっていた。


  • アニメでの扱い

シュヴァルグランの実装当時放映中であったアニメ版には「シャインプレイズ」としては登場せず、シュヴァルグランの幼馴染についても特に言及はない。


ただ、推定モチーフ馬のアドマイヤデウス号がアニメ内で描かれたレースのうち2016年天皇賞(春)、天皇賞(秋)、ジャパンカップ、有馬記念、2017年天皇賞(春)に出走しているため、レース内ではそのモチーフ馬に相当するモブウマ娘が登場しており、名前はグレイトハウスといい、青と水色の勝負服に鎧のようなものをつけている。


  • トレセン学園を…

度々背景などで語られてきていたが、明確にトレセン学園を退学した初のネームドである。

ただし、能力が足りずに泣く泣く学園を去るのではなく、オーストラリアへの移籍と言う形であるため、一概に悪いわけではない。


関連タグ編集

ウマ娘 ウマ娘プリティーダービー


アドマイヤデウス

岩田康誠(アドマイヤデウスの主戦騎手)


関連ウマ娘

シュヴァルグラン(ウマ娘)…アプリでは上記のようにシュヴァルの親友にしてライバル。史実では上記のようにノーザンファーム早来で共に調教を受けていた。


キタサンブラック(ウマ娘)…史実では5回対戦。

サトノダイヤモンド(ウマ娘)…史実では2回対戦。

サウンズオブアース(ウマ娘)…史実での同期であり、7回対戦。

ウインバリアシオン(ウマ娘)……史実では2回対戦。引退レースとなった天皇賞(春)に立ち会っている。

アドマイヤベガ(ウマ娘)…史実の父アドマイヤドンの半兄。

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