概要
「ウマ娘プリティーダービー 」にて「ジャングルポケット」のストーリーに登場するウマ娘。
01世代幻の強豪と言われジャングルポケットのライバルとして描かれている。
見た目はロングの髪に緑色のポイントカラー、同色の縁のメガネをしている。
タガノテイオーがモデル馬と言われている。
競走馬「タガノテイオー」
モチーフ元と思われるタガノテイオーはジャングルポケットと同じく01世代の競走馬。
父サンデーサイレンス、母カフェドフランス、母父ダンジグという血統を持つ。
日高軽種馬農協(HBA)の当歳セリにおいて、京都の綴喜(つづき)郡に会社を構える「タガノ」冠の八木良司氏が4000万円で購入し、栗東の松田博資厩舎に預けられ競走馬デビューを果たした。
デビュー戦は札幌競馬場の芝1800m。ここで後のダービー馬であるジャングルポケットと初対戦。惜しくも僅差の2着に敗れたが、鞍上の藤田伸二騎手は「負けはしたが、力のある馬」というコメントを残し、次走以降も期待が持てる事を示した。
また、このレースは出走馬8頭全てが後に勝ち上がり、タガノテイオーを含んだ掲示板内の3頭が重賞を勝ったため、後に「伝説の新馬戦」と呼ばれた。
タガノテイオーはその後2戦目で勝ち上がり、初重賞として札幌3歳ステークスに挑戦。ここでもジャングルポケットの僅差の2着となり、ジャングルポケットを管理する渡辺栄調教師からも「タガノテイオーとは一緒に走らせたくない。今度は負けてしまうだろうから」というコメントを残し、その強さを印象付けた。
そして4戦目の東京スポーツ杯3歳ステークスで重賞初制覇。ここで陣営はクラシックを目指すべく、3歳(現2歳)王者を決めるG1・朝日杯3歳ステークスへ出走を決めた。
そして迎えた朝日杯3歳S。
カルストンライトオが逃げ、あの新馬戦で5着となったメジロベイリーがそれを追走。タガノテイオーは中段前に位置をつけた。
最後の直線で失速するカルストンライトオを横目にタガノテイオーとメジロベイリーが差し切り体勢に入り、先行したテイエムサウスポーらを抜いてゆく。
そしてゴール直前でメジロベイリーがわずかに差し切りゴールイン。タガノテイオーは2着となった。
…だが、タガノテイオーの様子がおかしい。異常に気づいた藤田騎手はゴール後に即座に下馬した。
実はタガノテイオーはゴール前200m地点で左後ろ足に異常を発生しており、藤田騎手はそこから異常に気づいていたが、好位置につけていたため馬を止める訳にはいかず、そのまま追ってしまっていた。
ゴール後に検査を行った結果、左第1趾骨を粉砕骨折していたことが判明。これではもう助かる余地はなく、予後不良となってしまった。
検量室に引き上げた藤田騎手は「まともな状態ならぶっちぎっていた」と悲痛な表情をしながら述べ、松田調教師も「レースだから仕方がないが、可哀想な事をした」というコメントを残した。
通算成績5戦2勝。3着以下は一度もない完全連対。
いざクラシックへ…という矢先に起こった悲劇という事もあり、当時を知る競馬ファンからは「幻のクラシックホース」などと呼ばれる事も多い。
ここからは余談となるが、馬主である八木オーナーはタガノテイオーの死から2年後に、育成牧場である「宇治田原優駿ステーブル」を、さらに翌年には北海道の新冠に「新冠タガノファーム」を開設し、本格的にオーナーブリーダーとしての活動を開始した。
新冠タガノファームの生産馬や宇治田原優駿ステーブルで育成された馬はとにかく頑丈で長く走る事に定評があり、代表的な生産馬はハードな障害競走にて長らく活躍を続けたタガノエスプレッソや地方競馬にて9歳までずっと現役で走り続けたタガノゴールド、育成を受けた馬にはウマ娘でもお馴染みのキタサンブラックやコパノリッキーが居た。
レースに怪我はつきもの。それ自体をゼロにする事はできない。
だが、強い馬を育てる事でゼロに近づける事はできる。
思い過ごしかも知れないが、大切に育てられ、頑強で長い間走り続ける生産馬や育成馬の活躍からは「タガノテイオーの悲劇を繰り返してはならない」という気概を感じられずには居られないだろう。