1964年生、北海道の勇払郡早来町(現安平町)出身。実家は牛と競走馬の生産を行っていた橋本牧場で、マルゼンスキーの生産牧場・繋養先でもあった。
3歳のときにスケートを始め、中学生で全国制覇するなどし頭角を現す。
自転車競技も後に始め、冬期はスピードスケートでサラエボオリンピック、カルガリーオリンピック、アルベールビルオリンピック、リレハンメルオリンピックと4回にわたって出場。
夏期はソウルオリンピック、バルセロナオリンピック、アトランタオリンピックに自転車競技で3回出場(このうち、アトランタオリンピックは現職国会議員としての出場)。
五輪7大会出場は冬季五輪7大会連続出場の葛西紀明と並び、日本選手としては最多である。
なお、最高記録はアルベールビルでの女子スピードスケートでの銅メダル獲得であった。
1995年に参議院選挙に出馬し初当選し政治家に転身。政治家の活動を続けながら元ラグビー選手であった警察官と結婚し3児をもうけている。
その後もスポーツに関わり続け、2006年には日本スケート連盟会長に、2012年には日本自転車競技連盟会長に就任。
バンクーバーオリンピック、ソチオリンピックでは日本代表団団長を務めた。
2021年、不祥事で辞任した森喜朗の後任で、TOCOG会長に就任。