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概要

北海道上川郡下川町出身。


ワールドカップ日本人最多の16勝を挙げるという輝かしい戦績を持つ日本を代表するスキージャンパー。

40歳を超えた現在でも現役選手として活躍、多くの大会で優秀な成績を残しており、日本は元より海外のスキー界からも「レジェンド葛西」の異名で呼ばれ、尊敬を集めている。


“カミソリサッツ”と自称する鋭い滑走・踏切と、板をV字型に広げて身体をスキー板より前に出るほど深く前傾させ、両腕と手のひらを大きく広げた独特のフォームが特徴。このフォームは欧米で人気があり、「KAMIKAZE KASAI (カミカゼ・カサイ)」の愛称で呼ばれている。

なお、このフォームは風洞実験などを元に編み出されたもので、本人いわく「飛行機をイメージした」とのこと。流体力学的にもかなり安定した姿勢だが、空中でこの姿勢を維持し続けるには並外れた筋力とバランス感覚が要求されるため難易度が非常に高く、現状葛西の専用フォームとなっている。


どちらかといえばノーマルヒルよりもラージヒルを得意としている。


8大会連続のオリンピック出場

オリンピックには1992年のアルベールビル大会から7大会連続で出場している。


1994年のリレハンメル大会にて、団体ラージヒルで銀メダルを獲得。


しかし、以降の大会では怪我の影響やルール・フォームの変更、所属クラブの廃部などが重なったことなどで不振に陥り、メダルの獲得からは遠ざかっていた(日本選手が大躍進した長野五輪でも直前の怪我の影響で個人ラージヒルと団体戦から外されており、本人は今でもそのことを思い出すと悔しさがこみ上げると語っている)。

ワールドカップでは華々しい成績を上げていた一方で、オリンピックでは個人メダルに手が届かなかったことから、いつしか「悲運のエース」とも呼ばれるようになった。


それでも彼は諦めず、新しいコーチを雇って技術を一から見直したり、風洞実験を行うなどしてフォームの改善に取り組み、競技生活を続けた。


7度目の出場となった2014年ソチオリンピックでは、7大会連続出場という実績を見込まれ、選手団の主将に抜擢される。

競技では、ノーマルヒルこそ8位とメダルを逃したが、ラージヒルの決勝では1本目と2本目の両方でK点越えの大ジャンプを見せ、遂に自身初の個人メダルとなる銀メダルを獲得

幾多の挫折と失敗を乗り越え、遂にメダルを手にしたその姿は、多くの人々に感激を与えた。

そして、ラージヒル個人の2日後に行われた団体戦でも安定したジャンプを見せ、日本男子団体の銅メダル獲得に大きく貢献した。

なお、競技終了後の会見で、「金メダルという新しい目標ができた」「4年後の平昌オリンピックにも出場したい」と語り、まだまだ現役を続ける考えを示した。


そして2018年、公言通りに平昌五輪に出場。開会式ではあまりもの寒さに欠席する選手が多い中、たった一人で旗手を務めた。勿論スキージャンプ競技にも出場。レジェンドの飛躍はまだ終わらない…

なお、同大会ではノーマルヒルで21位、ラージヒルで33位、団体で6位という結果に終わっており、悲願としていた金メダルには手が届かなかった。


2022年の北京オリンピックには選手としての出場はなかった(これによりオリンピックの連続出場は8大会で途絶えることとなる)ものの、所属チームの監督として北京に帯同。教え子である小林陵侑が金メダルを獲得したことで、指導者としての手腕にも注目が集まることになる。


逸話

  • 国内外を問わず多くの選手・ファンから尊敬を集め、慕われている。
    • 2014年1月11日にワールドカップ史上最年長優勝を達成した際には、海外の多くの選手・コーチ陣から脱帽しての最敬礼で祝福を受けた。
    • なお選手達どころかコーチ陣ですら大体葛西より年下、選手に至ってはかなりの数「葛西がW杯初出場した頃はまだ産まれてもいない」と言う意味不明な事態に陥っている
    • ソチオリンピックの決勝ではメダルの獲得を決定づける大ジャンプを見せた後、チームメイトの清水礼留飛伊東大貴竹内択の3名が葛西の元に駆け寄って喜ぶという光景が見られ、会場内も葛西のメダル獲得が決まった際には大きな盛り上がりを見せていた。また、清水・伊東・竹内は葛西について「良い先輩を持った」「葛西のような選手になれるよう頑張りたい」と語っている。
  • ソチオリンピックでの銀メダルは自身初の個人メダルとなっただけでなく、1998年の長野大会以来4大会(16年)ぶりとなる日本スキージャンプ陣のメダル獲得となった。さらに、41歳8ヶ月でのメダル受賞となり、日本の冬季五輪選手におけるメダル獲得の最年長記録を大きく更新した(これまではバンクーバー五輪におけるスピードスケート女子団体パシュートの田畑真紀の35歳が最年長記録だった)。同時に、スキージャンプのメダル獲得最年長記録を66年ぶり(1948年スイス・サンモリッツオリンピックにおけるビルゲル・ルートの36歳168日を5年以上塗り替えた)に更新した。
  • 2016年1月31日、第1子となる長女を授かったことを自身のブログで報告した。
  • ソチオリンピックで冬季五輪の日本人選手最年長メダリスト(41歳256日)となったが、その後、北京オリンピックでカーリング女子(ロコ・ソラーレ)の石崎琴美が43歳で銀メダリストとなり、その記録を更新されている。

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スキージャンプ レジェンド 伝説 中年の星

平野歩夢 - こちらはソチ五輪にて冬季五輪における日本人メダリストの最年少記録を更新。

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