概要
スケートパークを経営する父親のもとに生まれ、幼い頃から兄とともにスノーボード、スケートボードに打ち込んで来た。また、弟の平野海祝も兄に憧れてスノーボード選手になっており、北京オリンピックでは兄弟揃っての決勝戦進出を果たしている。
小学校4年生の時には既にアメリカのスキー用具メーカーと契約しジュニアの大会を制覇しており、小学生時代から海外の大会を転戦し実績を積んできた。
2014年2月、ソチオリンピックにハーフパイプ日本代表として出場し、見事銀メダルを獲得。銅メダルを獲得した平岡卓と共に、日本スノーボード界に初のメダルをもたらしたと同時に、今大会最初の日本人メダリストとなった(平野は残り1人(ショーン・ホワイト)を残した段階で暫定2位だったため、この段階でメダルの獲得が決定。そのため、平野の銀メダルが今大会における事実上の日本選手のメダル第1号と言える)。
また、15歳2ヶ月でのメダル獲得であり、日本選手としての冬季五輪メダル獲得の最年少記録となった(夏季五輪も含めるとスケートボード女子の関心那(2021年東京オリンピック)の12歳と11ヶ月が最年少)。
2017年には試合中に靭帯と肝臓を損傷する重傷を負ったが必死のリハビリで復活、療養中もイメージトレーニングで補った。
2018年、平昌オリンピックでハーフパイプに出場、2大会連続の銀メダルを獲得した。
2021年、東京オリンピックのスケートボードに出場しスノーボードとの“二刀流”で一部話題となったが、結果は予選敗退。
2022年、再び種目をスノーボードに切り替え、北京オリンピックで頂点を目指す。スケートボードからのブランクを心配されていた中、人類史上最高難易度とも言えるルーティンを組み、大会に臨んだ。
決勝戦では1回目の滑走で大技のトリプルコーク1440をオリンピックで初めて成功させるという離れ業を披露するも、終盤で転倒したため、成績は伸びなかった(この時点で暫定10位)。しかし、2回目ではきっちり修正してルーティンをすべて成功させ、暫定2位に急浮上。3回目の滑走ではより高さや着地の精度に磨きをかけた圧巻のパフォーマンスを見せ、96.00という文句なしの高得点をたたき出して逆転優勝を果たし、遂に悲願であったオリンピック金メダルを獲得した。
試合の後はこの大会を最後に現役引退を表明していた最大のライバルであり、憧れの存在であったショーン・ホワイトから声をかけられ、熱い抱擁を交わして会場を後にした。
なお、北京オリンピック出場時には、更なる大技:フロントサイド1620を隠し持っていたようだが、リスク回避のためか(隠し持っていた事を公表したインタビューの際は「2回目にトップ立ってたのならやる気だった」と述べていた)使用は封印し、技の完成度を上げる戦術にシフトしている(本人もまだ納得のいく境地に達していないのか、今後いつ実戦投入するか聞かれた際には「自分でもわからない」と答えている)。
余談
彼の代名詞である、「トリプルコーク1440」は、斜め軸に縦3回転、横4回転という凄まじく難易度の高い技で、現時点ではできる選手が世界中で彼1人しかいないとのこと。
関連イラスト
関連項目
葛西紀明 - こちらはソチ五輪で冬季五輪における日本人メダリストの最年長記録を更新。