概要
1980年7月8日生まれ。戸籍上の本名は「戸﨑圭太」。これはJRAの規則で騎手・調教師の常用外漢字の登録が禁止されている為である(調教師の国枝栄も同様である)。
1998年、地方競馬教養センター(物凄く大雑把に説明すると地方競馬版競馬学校で、騎手や厩務員はもちろん、調教師や調教助手の育成も担う)騎手課程を卒業し騎手免許を取得する。大井競馬場・香取和孝厩舎に所属して同年4月12日の大井競馬第3競走をミヤサンヤシマで勝利、初騎乗初勝利を挙げる。
2007年、初のJRA重賞となったマーチステークスでは、11番人気だったシーチャリオットに騎乗し14着。7月8日、阪神競馬場で行われた3歳以上500万円以下のレースをヤマカツティガーで制し中央初勝利。12月13日に地方通算600勝を達成した。
2010年は中央への参戦も積極的に行う。日本ダービーでトゥザグローリーに騎乗。東京ダービーをマカニビスティーで制し、東京ダービー3勝目をあげた。
2011年も中央競馬へ参戦。6月5日の安田記念では、リアルインパクトに騎乗し、中央競馬GI競走で初優勝を飾った。
2014年12月28日、第59回有馬記念をジェンティルドンナで勝利。八大競走初制覇を果たし、年間146勝(中央のみ)でこの年のリーディングジョッキー(シーズンの勝利数が最も多い騎手)となった。
2016年12月25日、クリストフ・ルメール騎手との接戦を制して、年間187勝(中央のみ)で3年連続のリーディングジョッキーとなった。
2019年6月29日、福島競馬場第7競走でエクリリストワールに騎乗し勝利。史上35人目、現役18人目のJRA通算1000勝を達成。
しかし同年のJBCレディスクラシックで落馬し、右肘開放骨折の重傷を負う。
それでも2度の手術とリハビリを経て、2020年5月23日に復帰。同年8月の関屋記念をサトノアーサーで勝利し復帰後重賞初制覇、次いで同年12月のチャンピオンズカップをチュウワウィザードで制して復帰後GⅠ初制覇を飾った。
また、12月12日には中山競馬場第10競走をサンライズカラマで勝利し、史上33人目となるJRA通算1100勝を達成。
2021年にはサウジアラビアやドバイに遠征。サウジダービーを制した他、リヤドダートスプリントやドバイワールドカップで2着に入る実績を残した。
2023年にはソングラインでヴィクトリアマイルと安田記念を連勝。
2024年には1月に史上52人目となるJRA通算1万回騎乗を達成した他、4月にジャスティンミラノで皐月賞を制覇。
6月では同月16日の東京競馬場第10競走「相模湖特別」をオメガウイングで制して史上21人目のJRA通算1500勝を達成。その後も7月には七夕賞、8月にはレパードステークスを制している。
騎乗スタイル
騎乗スタイルは馬の特徴やその時の気分を汲み取り、それに合わせて騎乗するという所謂「馬優先主義」スタイル。他にも元々地方競馬出身故か、先行抜け出し策も得意としている。
一方で関東や夏競馬での活躍が目立つ一方、関西圏では成績があまり目立たないため、ファンの間では阪神競馬場や京都競馬場が苦手というイメージがある。
人物
- 私生活では2005年に結婚して2男1女の父。他にも子供が習い事として剣道を始めたことに影響されて自身も剣道を始め、2022年には神奈川県川崎市に剣道場を開いて自ら総代表に就任している。
- 地方・JRA双方で多くの実績を挙げたトップジョッキーである一方、何かと面白エピソードの持ち主としても有名。地方競馬の騎手として騎手キャリアをスタートさせたのは先述した通りだが、実は騎手を志望した時は中央競馬と地方競馬の区別を知らなかったので地方競馬教養センターに入学したとか。