来歴
1981年1月11日生まれ。ダビスタ世代で、父親の反対を押し切って騎手学校へ入学し(同期に戸崎圭太)、1998年に足利競馬場でデビューするも2000年に一度騎手免許を返上して引退。引退後はパチンコ屋のバイトなどを経験するも長く続かず、やはり騎手しか無いと考え直して厩務員を経て免許を再取得し、2001年に再デビュー。しかし所属していた足利競馬場が廃止されたため宇都宮競馬場へと移籍した。
2005年には宇都宮競馬場も廃止されたため、船橋競馬場へと移籍し、2014年には南関東のリーディングジョッキーに輝いた。 その後2015・16年及び2018年〜22年にも南関東リーディングとなり、さらに、地方競馬全体でも2015・16年及び2019年〜21年にリーディングジョッキーとなった。
大怪我をしてもすぐ復帰することで有名。2018年5月には落馬して頭蓋骨開放骨折・前頭蓋底骨折・視神経管骨折・脳脊髄液漏・眼窩底骨折・脳挫傷という下手したら向こう岸まで泳ぎきったら二度と戻ってこられない川の水泳大会に参加するようなレベルの大怪我を負うも後遺症もなく2週間で復帰している。
2024年11月18日、森の所属先である千葉県競馬組合より同月29日の船橋競馬での騎乗を持って引退することが発表された。 29日の騎乗前に引退会見が行われ、引退の理由について、ケガと手術の影響で、右足首が思ったように動かなくなり、自分の思うような騎乗ができないことが凄く増えてきたことと、親交のあった騎手が数年前落馬事故で障害を負ったり、2024年に発生した2件の落馬死亡事故を受け、恐怖心が芽生えたことを挙げた。
29日の船橋競馬の後半のレースは、森にちなんだ内容のレース名となり、最終12レース「ありがとう!森泰斗騎手」(C1,2200m)でラップランドに騎乗したのが最後の騎乗となった。 結果は惜しくも2着であったが、勝ち馬と森の騎乗馬の馬単が偶然にも3-9(Thank you)となる締めであった。
地方通算28333戦4448勝 中央通算210戦11勝