時の支配者
彼が手にしたのは
究極の魔法
杖をひと振りして
時間を操るのだ
まわりにいる者たちの
何倍ものスピードで
彼は成長した
前を走る者たちの
動きを止めて
彼は追い抜いて行った
≪「名馬の肖像」2018年NHKマイルカップ≫
概要
名前 | ディープスカイ |
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欧字表記 | Deep Sky |
品種 | サラブレッド |
性別 | 牡→騙 |
毛色 | 栗毛 |
誕生日 | 2005年4月24日 |
父 | アグネスタキオン |
母 | アビ |
母父 | チーフズクラウン |
産地 | 北海道 |
生産地 | 浦河牧場 |
管理調教師 | 昆貢(栗東) |
馬主 | 深見敏男 |
生涯/戦績
デビュー前
北海道の浦河牧場で生を受ける。
父は素晴らしい成績を残しながらも、脚部不安に悩まされて引退したアグネスタキオン。
母アビは2003年にイギリスから輸入され、ディープスカイが日本で産んだ初めての仔となった。
母父は1984年にエクリプス賞最優秀2歳牡馬を受賞した名馬、チーフズクラウンという血統。
後に鎬を削るダイワスカーレットとは、同父にあたる(競走馬は同父の腹違いは兄弟姉妹扱いされず、同母のみ兄弟姉妹として扱われる。このうち、同父なら全兄弟姉妹、種違いなら半兄弟姉妹と呼ばれる)。
メイクデビュー~2歳
2007年10月、京都競馬場の新馬戦でデビュー。松田大作を鞍上に単勝2番人気に推されるも、4着と沈む。
その後は武豊→野元昭嘉→藤田伸二と目まぐるしく鞍上を替えながら連戦するが、4戦0勝、うち2着3回と中々勝ち切れない結果でクラシックシーズンに向かうこととなった。
3歳時
クラシックシーズンを迎えたディープスカイ。とにかく勝利を挙げるべく、未勝利戦に挑戦していく。しかし、2008年の初戦は9着と大敗。
その2週間後の6戦目。京都競馬場第7レース。藤田伸二を背に勝利。未勝利を脱した。
初勝利を挙げた後は、アーリントンカップ3着など、レースでの好走も目立つようになる。
そして、毎日杯(GⅢ)で6番人気ながら追い込みを決め、嬉しい重賞初勝利を飾った。
毎日杯で騎乗した四位洋文は、以降のレースでもディープスカイの鞍上を務めることとなる。
NHKマイルカップ
その後、クラシック三冠に挑む道もあったが、陣営は当初の目標通り皐月賞を回避。NHKマイルカップへ向かう。
前回同様四位洋文を鞍上に、単勝オッズ4.3倍の1番人気。
見事それに応え優勝。GⅠ馬の仲間入りを果たした。
日本ダービー
次走は、一生に一度の夢舞台、日本ダービーが選ばれ、単勝オッズ3.6倍の1番人気に推された。
レースでは後方で足をため、直線で大外一気の追い込みを炸裂させる。
そしてついに、3歳世代の頂点を決めるゴール板を真っ先に通過。
これにより、ディープスカイは2004年のキングカメハメハ以来2頭目となる変則2冠馬の栄誉を手にした。
また鞍上の四位も、史上2人目のダービー連覇ジョッキーとなった。
天皇賞(秋)
その後、秋シーズンを迎えたディープスカイは、初戦の神戸新聞杯に勝利し、その勢いで天皇賞(秋)に挑戦。
前年のダービー馬にして64年ぶりの牝馬ダービー覇者、ウオッカ。そのウオッカを桜花賞で負かしたダイワスカーレット、ステマ配合の結晶ドリームジャーニーなど、錚々たる面々がそろう魔窟に身を投じることになる。
単勝オッズは4.1倍で、ウオッカ、ダイワスカーレットに次ぐ3番人気に推された。
いざ始まったレース。ダイワスカーレットが逃げを打ち、全体のペースを作っていく。
そして最終直線、先頭を進むダイワスカーレットにディープスカイ、ウオッカを含む馬群16頭が一気に襲いかかり、展開の全く読めない大混戦となった。
そんな中、先頭に抜け出した馬が3頭。ウオッカ、ディープスカイ、ダイワスカーレットである。
そして、ウオッカとダイワスカーレットが少々有利に見えてゴール。
しかし、3着以下もほとんどがクビ差、ハナ差というこれまでにない団子状態の大混戦で、以下に挙げた各局の実況からもその様子がうかがえる。
「ウオッカ! ウオッカ! ウオッカ!ディープスカイ! ディープスカイ! ウオッカ! 内からもう一度ダイワスカーレットも差し返す!ダイワスカーレットも差し返す!これは大接戦、大接戦ドゴーン!」
「凄い・・・!」
「ファンの皆さんは全くその場から動こうとしません。これも異例のことです」
「ウオッカ・ダイワスカーレット!さあ、手を挙げるのは誰か!?」
「さあ、皆さんはどちらだと思いますか?」
写真判定にもつれ込み、下された結果は
ウオッカ1着、ダイワスカーレット2着、ディープスカイ3着 |
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というもの。
前年ダービー覇者を倒すことは叶わなかった。
天皇賞後
天皇賞後、ジャパンカップに挑戦。1番人気に推されたものの、スクリーンヒーローの2着となる。
ジャパンカップの2着を最後に、ディープスカイのクラシックシーズンは終わりを迎えることとなった。
4歳以降
2009年、産経大阪杯(G2)、安田記念(G1)、宝塚記念(G1)とレースに挑むも、時期が悪く、先述したウオッカやドリームジャーニーら名馬たちと見事にぶつかってしまい、毎回2~3着で終わってしまう結果になってしまう。
そして、2009年の宝塚記念後の放牧から帰厩した際に屈腱炎を発症している事が発覚。
引退し、種牡馬入りする事となった。
古馬と戦ったレースで勝ち星を挙げられた事はついに無かったが、数々の実力馬相手に僅差まで詰め寄ったレースが多く、確かな実力を持ち合わせていた馬と言えるだろう。
ちなみに、未勝利時代に3度の2着を経験しているため、生涯走った17戦中2着が7回という隠れたシルバーコレクターでもある。
引退後
父アグネスタキオンが早世しているため、後継種牡馬として期待がかかる一頭となっていた。
だがさっぱり活躍馬が出ず、出てもダート路線のそれしかおらず、2015年には種付け頭数は9頭になってしまった。その後クリンチャーが菊花賞2着、京都記念を勝利したが、結局ダート路線に回ってしまった。
一応ジャパンダートダービーを制したキョウエイギアが種牡馬入りしたが、アグネスタキオンの父系をつなぐにはあまりにもか細いと言わざるを得ない。
種牡馬引退後
2021年7月に種牡馬引退が発表された。
それと同時に、引退した競走馬の余生を支援する団体「引退馬協会」が受け入れを発表。功労馬として余生を過ごすこととなった。
ディープスカイと同時期に、ノボキッス、タイキポーラなど6頭の受け入れが発表されているが、その資金は同年に行われ、約3285万円を集めたナイスネイチャのバースデードネーションで集まった寄付から出されている。
そして2021年9月28日、これまで種牡馬として過ごしたイーストスタッドから、北海道日高町の「ひだか・ホース・フレンズ」に移動したことが、引退馬協会より発表された。
当日は馬運車で到着し、牧場長に引かれて、終の棲家に入っていったそうである。
なお、引退馬協会からは
新しい環境に慣れるまでしばらくの間、見学はできません。
新型コロナ感染症の感染状況を見ながら、今後の見学開始を施設側と相談しながら決めて参りますので、ご理解とご協力をお願い申し上げます。
施設側の負担になりますので、施設側へのお問い合わせもご遠慮くださいますようお願いいたします。
と発表されているため、ファンの皆様はそれぞれ節度を持った行動をお願いしたい。
余談
百合の間に挟まる男?/年上のお姉さんに挟まれるショタ?
ウオッカ、ダイワスカーレットの後塵を拝することになった天皇賞(秋)。アオシマバクシンオーの伝説の名実況「大接戦ドゴーン!」が生まれたレースでもある。
このレース、ゴール直前の牝馬二頭とディープスカイの位置が外側から
外ラチ
- ウオッカ
- ディープスカイ
- ダイワスカーレット
内ラチ
と年上の牝馬2頭に年下の牡馬1頭が挟まれるような形だった。
そのため、ディープスカイは一部から「百合の間に挟まる男」呼ばわりされたり、「年上のお姉さん二人に両側から挟まれるショタ」と例えられたりしていた。
……実際のところダスカもウオッカも牝馬にあるまじきムキムキマッチョな馬体だったので、一般的なおねショタの絵面には程遠く、その特徴的なあだ名(プスカ)から、「ゴリラに挟まれて潰される風船」扱いされ、時々「プス〜」と空気の抜ける音を出している。
現役時代から競走馬とは思えないほどに人懐こく穏やかな気性だったのも一因かもしれない(馬房で横になりながら鞍上に甘えてニンジン(オヤツ)を要求したこともあるらしい)
名前からの連想
名前からディープインパクトとセイウンスカイの子という勘違いをされることがあるが、これは大間違いである。
名前は近いが二頭とも血統的には無関係である(そもそも二頭とも牡馬である。ただし、父・アグネスタキオンとディープインパクトとはサンデーサイレンス産駒という血統的な繋がりはあるが、セイウンスカイは本当に無関係である)。