例
例えば、ベッドであられもない姿になってお互いを見つめる美少女が二人いる作品があるとする。 その二人は友情、恋愛、因縁、絆といった形であらゆる障害を超えて結ばれている。
そんな美しい花園に人々が見とれているなか、あるひとりの男が言う。
「俺この二人のあいだに入りてーなー」
これが百合のあいだに挟まる男である。
女性同士の恋愛関係を意味する百合のカップリングの間に「第三者として存在するあるいは割って入ろうとする男性」を指す。蔑称として否定的な意味合いで使われることが多い。「男性」は殆どの場合キャラクターだが、稀に現実の男性であることも。
「百合の間に挟まる男」に纏わる論議が喧々囂々になりやすいのは、一重にカップリングを崩す点にあると考えられる。
あらゆる性癖に罪はないが、特定属性のお約束や広く共有された認識を覆すもの(百合詐欺、眼鏡キャラの眼鏡を取る、など)は、覆される属性の愛好者からは非常に受けが悪いからである。
公式が百合を趣旨としていないジャンルであっても、女性キャラしか登場しないコンテンツは百合豚のあいだで自然に「百合作品」と解釈されることが多く、のちの展開で男女カプが成立すると「百合詐欺」であるとして大炎上する事例もある。その場合、男性キャラクターのほうは「百合の間に挟まる男」の烙印を押されてしまうのである。
基本的に、ヘテロの男やハーレムの男として百合キャラを寝取る男を指すことが多いが、広義の意味では百合ア充(体力の強い彼氏や旦那が見当たらないため、女単体と並んで襲いやすい)を嫉妬対象として襲う男も指す。
例えば、百合ップル2人が楽しくやり取りするのに使っている手紙に横から悪口を書いたり、楽しいパーティー(彼氏や悪人がいる訳ではない)に行こうとする女に足掛けしたりする邪魔者で、幸せな人間や行動力のある人間全員に嫉妬していて百合キャラに片想いしている訳ではないため、男女両方に嫌われるクズモブに数えられてしまいやすい。
百合ップルが腐女子や女オタクで、好きな漫画の萌え語りに花を咲かせていた時に、魅力的な男性キャラだけを褒めて女性に嫌われるタイプの男性キャラ(マイナーなキャラやブサメンとは別)は見ないと文句を言い、自分がブスやBBAなどの不人気女性は無視するのは棚上げする。
女二人が同じ実力同士や似た者同士で仲がいいのに、「ギャグや名勝負では済まないレベルで劣った側が優れた側に嫉妬していて仲が悪い」「女が高レベルの同性・同世代・同志が集まる趣味のコミュニティを見つけるや否や、友達やライバルができそうで普通に喜ぶか、属性が合わなくて普通に避けるのではなく、武者震いして尻込みするに違いない」と決めつけ、大恥をかいたりする。百合の間に挟まる男というよりは、百合に(間違った)自己投影をする女々しい男と言ったほうがいいかもしれない。
(女が男同士の敵対関係を見ると恋愛関係に見えてしまう現象には腐ィルターという名称があるが、男がシンデレラストーリーを見るとダブルヒロインの勝敗が事実と逆に見えてしまう現象や、近くにいる人物が百合の当て馬か女モブで遠くにいる人物が百合の本命だと気付かない現象には上手い名称がない)
どちらも女版もいるため、後述の百合の間に挟まる女も参照。
反例
「百合好きだけが使う」のは間違い、実際は他のネットスラングと同様用いる人間によって意味は異なる。所謂過激な百合好きにとってはもちろん蔑称だが、後述の「FFM」等の多人数性癖持ちは検索タグとして、百合に対して偏見と悪意を持つ者と愉快犯も使うことがある。
「2人の関係性を見守る・支援する」「法的な、そうでなくとも実質的な保護者である」「出番がもとより少ない」キャラクターには、この蔑称を過激な百合好きが用いることは少なく、むしろ百合アンチ側が使うことが多い。
これが百合好き側は「物語完結までプレイ/視聴から蔑称を撤回」あるいは「そもそも最初から危険ないと察したから眼中無し」、だからアンチの方が目立つパターンになる。
余談:海外の場合は
日本ゲームやアニメの海外正規ネット配信/発売可能かつSNS流行の現代では、前述の使用例が他国でも発生する。基本的には日本とほぼ同じだが、海外事情(思想絡みだけじゃなく公式スタッフ発言のネガティブな解読と誤訳も)や感性違うから、本来家族・友人ポジションの男性キャラクターへの評価などが日本以上に低い場合もある。
歴史
百合の間に挟まる男概念の歴史を追うには百合そのものの歴史を辿る必要がある。
「百合」の起源は、20世紀初頭からの「エス」文化であると広く認知されている。
これは当時の少女雑誌・婦人雑誌で展開された、女学生同士の強い絆を描いた少女小説や、それに触発され(あるいは逆にモチーフになった)現実でも展開された同様の関係を指す。
"二人の関係の純粋性を高める"ことが理想とされ、他の女学生と親密にならないこと、相手の全ての受容、関係の永続性、清純さ…などが志向された。現実では多くのケースで理想通りにならず時間の経過と共に関係性の消失が起こるのも珍しくなかったが、それ故にフィクション内ではより理想性が追究された。
と同時に時代性故に、現実でそういった関係性が展開されれば周囲の人間や社会はそれを抑止しようとしたし、フィクションであるならば基準を超える描写は制限された。その抑止や制限でより絆は燃え上がり描写は先鋭化していったりしたわけだが…。
この時既に、百合の純粋性を保ちたいという精神とそれに介入しようとする者への反発は存在した…というより後の時代の「百合」がそれを受け継ぐこととなった。
戦後の共学化により「エス」という用語は用いられなくなっていくが、概念は様々な形の表現で展開され受け継がれていく。
そして1970年代、『薔薇族』編集者の伊藤文學が薔薇族の対義語として「百合」と提唱し、日活ロマンポルノ映画『セーラー服 百合族』が拡散と定着の契機となった…と言われている。
尚『セーラー服 百合族』はバリバリの「百合の間に挟まる男」ものである。戦前が草創期であるならば戦後昭和期はジャンル過渡期。後の共通認識の元となる定義が少しずつ醸成されていく最中で、扱われ方もあやふやな時代だったと言える。
「二人の関係性のみが純粋に描写されるものが欲しいのにそれが供給されない、されても『異物が存在する』作品との区別が一見つけにくく、求めているものだけを探しにくい」という不満、そしてより純粋なものを求める潜在的需要はこの頃既に存在していたと考えられる。起源の「エス」もそもそも純粋性を趣向していたので当然の成り行きではある。
百合人気の高まりと、"齟齬"の可視化
90年代になると『セーラームーン』『少女革命ウテナ』『マリア様が見てる』などが展開され続く2000年代の基礎になった。
そして2000年代、ジャンルとしての認知度が飛躍的に向上した。
だが文化の拡散初期はニュアンスや醍醐味などの理解の浸透も十分に済んでいないものである。以前から界隈では存在していたとはいっても潜在的不満・需要となれば尚更である。
女性向け同人界隈と男性向け同人界隈の慣習の違いも影響して、愛好者にとっては臍を噛むことになる出来事の発生も増加し始めた。
「女性二人が見つめあう表紙の同人誌を手に取ると、数ページ後に竿役の男が現れ、ヘテロセックスシーンにブチ当たる」とか、
「表紙詐欺」とか、
「『百合』のタグがついているがヘテロ描写があった」とか。
つまり百合詐欺(と現在みなされるもの)である。
また衝突や齟齬は「自分向けでない作品を手に取ってしまった」事のみから発生する訳ではなかった。一次創作あるいは二次創作として百合作品を発表した所、『間に挟まりたい』というコメントを受けて憤慨した…というのも00年代後半からよく聞かれるようになった話である。
しかしここでそれまでと違ったのは、ブロードバンド利用者数が大きく拡大しインターネット接続が一般化していったということだった。
およそ00年代後半から愛好者の訴えはそれまでより格段に認識されやすくなった。供給側も最初は理解も甘かったが、次第に求められているものへの理解も深まっていった。
愛好者も恩恵を受け、自分達向けではない作品の判別がやりやすくなった。選別眼が養われたというのもあるだろうが。(パッケージや表紙、購入特典のポスターやタペストリーやベッドシーツなどでヒロイン二人が絡んでいるだけでは百合作品とは限らないとか、)
恐らく2010年代の殆どを要して「純粋性」の需要とそれにしっかりと応えた作品の供給は安定化し、そして商業コンテンツや創作者による厳密なタグ付けもある程度浸透した。
大体2020年前後ではもう「求められているものが何なのかという具体的な理解の浸透」「それが反映された作品の供給」「概念自体の浸透による愛好者の増加」が成されたと言えるだろう、…多分。
これらは概ね喜ばしいものであるのは疑いようがない。同性愛ジャンルということもあって、長い苦闘の歴史があったと言っても良いだろう。
過熱化と紛争の時代
しかし人口が十分に拡大して、かつては「こうであって欲しい」と願っていたものがデファクトスタンダード化すると、今度はそこから逸脱したものがタブー扱いされるようになっていく。
更に性癖とは摩訶不思議なもので、「百合の間に挟まる男」が十分にミーム化すると今度はそれ自体が性癖化・ジャンル化し始める。(あるいは"潜在的需要"の可視化が起こる)
「レズのチン負け」「百合NTR(寝取り側の性別は男女を問わない)」などである。
現在百合ジャンルと"挟まる"属性は、カップリング界隈がかつて経験した様な「住み分けや不干渉の工夫が生まれ洗練されていく前の時代」の最中であると言える。
「百合の間に挟まる男」への批判が過熱化し、本来の意味から外れた用法も多くなっている。たとえば、百合好きは、自分が百合を求めているジャンルにおいて二次創作の男女カプ自体を嫌うため、男のほうを「百合の間に挟まる男」と呼んで批判し、作家に圧力をかける事例もある。さらに、嫌いなキャラクターや役に立たない邪魔な存在を指して、「百合の間に挟まる男」と呼ぶ流れも一部にある。
ちなみに、Twitterで流れる「そのかわり今度混ぜてよ、女同士でヤってるとこにさ」と言っている男性が描かれている漫画の切り抜きが百合のあいだに挟まる男の代名詞として扱われるが、アレの元ネタは『コミック百合姫』で連載された『捏造トラップ-NTR-』という、彼氏持ちを寝取る百合という百合作品のなかでも異端児的な怪作にて「ヒロインの彼氏の親友が寝取り相手へのけん制に放った発言」であるが、こうした作品でこのようなシーンが生み出されたこと自体に、百合に挟まる男への確執の歴史が関与しているのかもしれない。
住み分けと「MFF」
百合、百合詐欺の記事、そしてこの記事の以前の版の記述からも読み取れるが、第三者とくに異性の割り込みはそれが発生・描写された時点で百合ではない、という考えは非常に根強くまた事実上の多数派解釈である。
だが思い出して欲しい。「第三者の介入を望まない」というのは望み、つまり需要の一つに過ぎず、誰かが制定した絶対的ルールでもなければ絶対不可侵の定義でもないのである。ただ、望む人間の数が多かった故に賛同者が一大勢力になっただけなのだ。
同好の士の同意はほぼ貰えないだろうが(同好の士と思って貰えるかというのがまずあるが)、これを読んでいるあなたが「男1女2でも百合は百合」という価値観でもなんら問題はない。
とはいえ百合の定義を拡張することに広い利益があるかと言えば、無い(そもそも不可能だが)。
オタク文化のジャンル、性癖、属性の定義の厳密化は求めるものにピッタリな作品を探しやすくなり、目に入れたくないものは避けやすくなるという利益を生む。
最も分かりやすい例はまさしくタグである。例えばNTRはその言葉が十分浸透して用語として成立するようになって以降、好きな人は探しやすく、嫌いな人は避けやすくなった。BSSは用語の発明により狭義のNTRと区別がしやすくなり、よりこのシチュエーションを取り扱った作品をより限定して探しやすくなった。
第三者が介入しても百合である、と定義を広げるのはいわばそれの逆を行うことであり、タグの機能不全をもたらす。介入する作品を避けたい人にも、介入する作品をむしろ積極的に探したい人にも利がないのである。
加えて言うと「百合の間に挟まる男」はジャンル名・タグ名として非常に使い勝手が悪い。
まずワードに「百合」を含む為に、「百合」を求めてタグを辿るととこれに辿り着いてしまったというケースを生んでしまいがちである。
またジャンル名が長ければ長いほど表記揺れが発生しやすくなるし、浸透も全然進まなかったりする。つまり探したい人が見つけにくいし、描いた人は見つけてもらいにくい。
検索性も悪い。
なので、避けにくいので避けやすくして欲しいあるいは百合という定義に「百合の間に挟まる男」を含めないで欲しい百合愛好者、「百合の間に挟まる男」愛好者の…双方から目下提唱されている(※筆者調べ)用語がMFF(=MFF Threesome、またはMale Female Female Threesome)である。
男1女2という構成要素を表現しており、最短縮形であればNTRと同様に英字三文字と短く表記揺れも発生しにくく、「百合」をワードに含まないというメリットの多い単語である。
残念ながらまだまだ定着には程遠く、筆者はこの用語の浸透を切に願ってやまない。
誰かの性癖は誰かのNGであると同時に、誰かのNGは誰かの性癖でもある。
かつての"理解が浅かった時代に受けた無理解な扱いの数々"に憤ったり、無遠慮な行為をした当人を許さない…等はともかく、当人と異なる第三者にそれをぶつけたり、属性そのものの存在を許さないのは、現実の紛争の様な極めてこじれた事態を生みかねない(もう生まれている気もするが)。
歴史の中での苦い記憶がある故に許容は容易ではないだろうが、それでもひとつの性癖ジャンルそのものが存在してはならないという姿勢には待ったをかけるべきだろう。
多様にケースがあることに一概に包括的に考えることも良くない。
自分の百合創作に「挟まりてえ~」と無遠慮なコメントを投げかけられれば憤りも当然だ(これを読んでいる貴方がそういったことをしてしまっているならやめた方が良いだろう)
積極的に排除しようなどと考えていなくても、注意書きやタグ利用が不徹底で不意に目に入ってしまった時、住み分けくらいはしてくれよと不快に感じるのもむべなるかな。
しかし百合に男が挟まることを主題にした一次創作に「そういった創作は許されない」と投げかけることは、「挟まりてえ~」を投げかけられた時の憤りの様に正当なのだろうか?
無論、この属性自体が一種の「既存の関係性の破壊・再構築」という概念をはらんでいる為、扱いに神経質になる必要はあると思われる。
だがオタクの歴史上、いや古来から異なる2つ以上の趣味同士がその趣旨により争いを生みかねない場合、それを解消するために「棲み分け」という概念とその手法が生み出され続けたはずであり、排除よりせめて不干渉を目指すべきではないだろうか。
百合のあいだに挟まらないが……
嫌悪の対象である「百合の間に挟まる男」だが、創作においてはそう呼ばれる男が(少なくとも公式の設定や描写の範囲においては)当人の意志として「二人とも自分のものにしたい」とは思っておらず、実際には『百合カップルの片方の女性に片思いしてるだけ』あるいは『女性に対して好意は持っていても尊敬の対象や友人、仲間の範疇(はんちゅう)なだけで恋愛対象としてのそれとは示されていない』に過ぎず、その男をマナーのなってない百合カプ好きが『自分の好きな百合カップルを引き裂こうとする邪魔者』もしくは『自分の好きな百合カップルを楽しむ上での邪魔者』として『百合の間に挟まる男』という蔑称(べっしょう)で叩くというケースも存在する。
中には『一人の女性とは恋人や婚約者(許嫁)、夫婦の関係にある男性が、(百合としての)間女にその女性を奪われた』という完全な被害者であるにもかかわらず、心無い百合カプ好きがその男性を『百合の間に挟まる男』という蔑称で叩くケースも存在する。
百合人気の高い作品では基本的に「男という存在は不要」という風潮が強いため、作中において百合に挟まっているという描写や設定が無いにもかかわらず、脇役でも男性キャラの存在は「百合の間に挟まる男」の烙印(らくいん)を押されることがある。(「今井リサ」の記事を参照)
百合の間に挟まる女
『百合の間に挟まる女』というべき創作キャラ、あるいはそのような願望を持つ女性のオタクも一定数存在する。
いわゆる夢女子というと男性キャラに対して嗜好(しこう)が向いていると思われがちだが、女性キャラに対して嗜好を向けている層も少なくない(夢女子の記事も参照)。
この「百合の間に挟まる女」に対しては、嫌悪されがちな『百合の間に挟まる男』とは逆に比較的寛容なイメージがある模様。だが、振られる女や間女が嫌われない訳ではない。
- 女が男に種付けされないだけに過ぎず、間女があまりにも性格が悪い女だと忌避されるケースもある。(百合NTRなどを参照)
- 男嫌いや処女厨が作者凸しないだけに過ぎず、公式カプ(♀×♀)好きにとって当て馬(♀)が邪魔な点は変わらず、中身や関係性を重視するストーリー目的の百合好きに向けられた展開である
- 百合の間に挟まる願望を持つ夢女子の例を挙げたが、相手が誰でもいい種付けおじさんや詐欺師をそのまま美少女にしたような間女も存在し、推し友人ではなく同性のアッシーメッシーや戦闘力の高いグループ(友人に萌えたり安全な場所を確保する目的ではなく、自分が偉くなった気分になるためにグループに所属しようとする)目当てで女主人公に成り代わろうとする間女(転生ヒドインなど)も存在し、性別や見た目に関係なく嫌われるキャラが分かりやすい展開である
- 女主人公が好きな美少女の為に嫌いな美少女をないがしろにするという、男女半々の作品や容姿差の激しい作品や攻め受けがハッキリしている作品では見られない泥沼展開が見られる。
- 「女主人公が自分以外の他人全員を嫌っているのではない」点や、「女主人公が間女を(嫉妬対象の)同性や美少女だから嫌っているのではない」点や、「女主人公が間女を男女の恋愛に邪魔だから嫌ってるのではない」点がハッキリと分かり、嫉妬心だの恋愛脳だの女の敵は女だののレッテルが貼られづらく、間女が女主人公に片想いしているのか、相手を利用する悪女で問題点があるかが目に見えやすく、読者の「美少女や百合なら誰でもいい訳じゃない」「女同士の敵対を批判する理由に、女主人公×間女の百合カプや間女単体のファンという明確な理由がある」といった主張も現れやすい。
- 百合の間に挟まる男が同じことをすると「なんだ、女尊男卑か」で済まされて悪事の内容は見られないのに対して、女版は男版ほど炎上しない上に、悪事の内容を視聴者に細かく分析されてストーリーを楽しまれる利点がある
あまり苛烈な正妻戦争が起こってしまうと「平和な百合が好きだったのにな…」とオタク達が作品自体から離れてしまうケースもある。
関連作品
逆に批判対象として有名になりすぎた結果、こうした「百合の間に挟まる男」およびそれへの批判ををネタにした作品も多く出ている。
該当・関連人物
- モブ男:全力回避フラグちゃん!の百合の回で、モブで登場した百合カップルに対してチャラ男同然の振る舞いでナンパして死亡フラグが立ち、現れたフラグちゃんに「百合の間に挟まる男は死にます死亡フラグです」と忠告されたけど、それも聞き入れず全然振り向いてくれない百合カップルにどうどうと迫ろうと間に入り込んで百合カップルの女の子2人を口説き続け、そして現れた百合オタクに刺されると言った結末に終わった。
- アン・ボニー&メアリー・リード(Fate):百合的な関係でもある一方で、男性マスターでも積極的に好意を向けて部屋の鍵を渡すレベルで二人とも狙ってくる。百合のあいだに挟まる男どころか「間に男を挟む百合」である。(もちろん女性マスターでも対応は変わらないので、気になる人は性別を変えるべし)
- ゼウス:ギリシャ神話の最高神だが、この古典的な例ともいえることをしでかしており、そのやり口も神様だけにえげつない。詳細はこちらにて。
- 須賀京太郎:女主人公とその相方である女性キャラによる百合カプが人気なの(と女性キャラが主役の作品である事)が理由で、公式ですら有名ないじめられっ子のように公式作品では何かと仲間はずれにされたり、実写版では存在を抹消されたり、作者によって異性愛者である彼にとって肩身が狭くなるようなトンデモ設定が明かされたりと理不尽な扱いをされている(ただし、このスピンオフ作品での京太郎は該当するキャラクターには一切なっていない)。一方でそれを逆手に取って彼を主役とした「京太郎主人公モノ」と言うべきジャンルも一部の界隈では人気がある。ただしこちらは百合ネタを存在していないものとして扱っている事が殆どなため「百合の間に挟まる男」として使われる事はほぼない。
関連タグ
邪魔者(お邪魔虫):実際に挟まっているか否か関係なく、ただ単に『読者・視聴者・プレイヤーにとっての好きな百合を楽しむ上での邪魔な存在』という意味合いで『百合の間に挟まる男』が用いられる場合もある。
ガッ………ガイアッッッ:某SNSで有名なとある漫画のコラネタの一つで、『百合好きにとって禁忌であることをやらかした結果、ボコボコにされた』というネタがある。
百合NTR:「男女の間に女を挟んで百合要素をねじ込む」というパターンが存在する。たとえ後出しの形で百合が成立したとしても、間女は一切責められず、逆に被害者である男性キャラのほうが『百合の間に挟まる男』の烙印が押されて叩かれることが多い。
百合にはさまる男は死ねばいい!?:蓬餅氏による漫画作品。
ある朝、ダミーヘッドマイクになっていた俺クンの人生:2022年10月放送のテレビアニメ。初報では『百合の間にはさまれる。ある朝ダミーヘッドになっていた俺クンの人生』と発表されていたが、7月29日にタイトルが変更された。主人公である「俺クン」は毎回無機物や人外となり、百合の間に(物理的に)挟まれている。