カリスト
かりすと
ニュンペーの一人。アルカディア王リュカオンの娘ともされる。母親についてはほとんど言及されないがノナクリス(アルカディアの1地方にその名を残す)というニュンペーと言われ、そのために父親が人間でありながらも彼女もニュンペーとなっている。「最も美しい」を意味するその名に違わぬ美少女だったが、処女神アルテミスに仕える身として、決して男を近づけない誓いを立てていた。そして女神のお供で狩りに励む日々を送っていたのだった。しかし浮気性のゼウスが彼女の美しさに一目惚れしてしまう。ゼウスはあろうことか彼女の慕うアルテミス(自身の娘でもある)に姿を変えて彼女を誑かし、まんまと思いを遂げた。
彼女は恥ずかしくてこのことをずっと隠していた。だが数か月たったある日、水浴びのために衣服を脱いだところをアルテミスに見られ、妊娠していることを知られてしまう(ゼウスと一度でも関係すれば必中なのである)。純潔の身でなくなったことは歴然であり、こうして彼女は女神のお供としての資格を失い、追放されることになった。
やがてアルカスという子供が生まれると、今度は極度に嫉妬深いことで定評のあるゼウスの妻ヘラの怒りを買うことになる。彼女はゼウスに凌辱された被害者であるにもかかわらず、「ふしだらな娘!」と一方的に罵られたあげく、「夫が魅了されるほどお前が美しいのがいけないのだ! その美しさを奪ってやる!」という言いがかりで、毛むくじゃらの熊の姿に変えられてしまう。心はもとの可憐な乙女のまま、熊の姿で生き続けることは悲惨であった。
ゼウスは一応、孤児となった息子アルカスを、女神マイア(元愛人)に預けて養育させる程度の面倒は見ている。しかし彼女自身に対しては最悪の事態が起ころうとするその時まで、15年間何の救いの手も差し伸べなかった。ほとんど「やり逃げ」も同然である。
15年の時が過ぎ、若い狩人に成長した息子アルカスから獲物として殺されそうになったところでようやくゼウスが介入し、彼女は熊の姿のまま天に上げられおおぐま座となった。とはいえ結局元の姿には戻してもらえず、そればかりかなお続くヘラの嫌がらせにより海に入って休めないようにされるなど、ゼウスの浮気相手のなかでも薄幸度は特に際立った女性である。
ゼウスがカリストを誑かすために女神であるアルテミスに姿を変えるというのは、女体化の古典的な事例と見ることができる。この誘惑の場面はしばしば絵画に描かれるが、偽りのものとはいえ、絵的には百合としか言いようがない光景である(女体化は片側だけなのでこう言っていいかは微妙)。この趣向はギリシャ神話では稀である分、それだけ画家たちの想像力、創作意欲を刺激したのだろう。その代表例として、フランソワ・ブーシェのユピテルとカリストがあり、ブーシェはこの趣向でリンク先以外でもいくつもの作品を残している。
ゼウスのこの誘惑がまんまと成功したことから察するに、もともと彼女とアルテミスの間にはそういう関係が成立していた―少なくとも、カリストにその願望があった―のかもしれない。彼女のアルテミスへの慕いようは半端なものでなく「一番偉大な神様はアルテミス様です! この言葉をゼウス様に聞かれても構いません」と断言するほどだったのである(偽アルテミスの姿でこの発言をもろに聞かされたゼウスを苦笑させている)。
とはいえゼウスのしでかしたことはつまるところ百合の間に挟まる男に他ならないのだが……。
また水浴びのさいに彼女の妊娠が露見する場面は、彼女自身のほかにアルテミスや他のニュンペーたちも一緒にいることもあって、裸婦群像の絶好の画題を提供してきた(最も有名なのがティツィアーノの『ディアナとカリスト』)。加えて西洋絵画において「妊娠した裸婦」の古典的な画題でもあった。ただしあくまで裸婦像を描く口実として利用されてきた経緯から、女性の裸体美を崩さないためにあまりお腹が大きく描かれていない(一見して妊娠しているともわからない)ものが多い。また決して望まれも祝福されもしない妊娠であることから、現代のマタニティヌードのような「母性の讃美・賞揚」とは程遠いものである。
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