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ダービーが紡いだ絆。編集

ヒーロー列伝 番外編 第80回日本ダービー記念≫


誕生から2歳時代まで編集

生産者はノースヒルズマネジメント。

父は無敗の三冠馬ディープインパクト、母キャットクイル、母の父はアメリカの大種牡馬ストームキャット、半姉には二冠牝馬ファレノプシスが居るという良血だった。


また、おばには菊花賞馬ビワハヤヒデと史上5頭目のクラシック三冠馬ナリタブライアンを産んだパシフィカスが居るなど、なにかとクラシックに縁がある血統でもある。

入厩先はシーキングザパールタップダンスシチーなどを管理していた佐々木昌三厩舎。


そして2012年10月、佐藤哲三騎手を鞍上に迎え京都競馬場の新馬戦でデビュー。

単勝オッズ2.0倍の人気に応え、2番人気リジェネレーションとの競り合いを制しデビュー戦を勝利で飾った。

2戦目の黄菊賞も大外から差し切って2馬身半差の快勝。世代のクラシック有力候補として名が挙がるようになってきた。


ところが、ここでまさかの事態が発生してしまった。

キズナの黄菊賞から2週間後、主戦騎手の佐藤哲三が京都10R高雄特別で落馬してしまう。

全力で突っ走るサラブレッドから振り落とされた哲三騎手は芝の上を滑りながら、高速で内柵の支柱に激突。

左上腕骨開放骨折、左肩甲骨骨折、外傷性気胸など全身に大ダメージを負い、左腕の血管・神経を損傷するという重傷を負ってしまったのである。

特に左腕のけがは重く、事故後3か月たってようやく親指が動かせるようになったと言うほどの重傷だった。


このアクシデントにより佐藤哲三騎手が騎乗不可能になったため、鞍上は武豊騎手に乗りかわりとなった。

しかし、武騎手が初めて手綱を取ったGⅢラジオNIKKEI杯2歳ステークスでは、世代の有力馬エピファネイアに競り負け、さらに一旦は抜いた5番人気バッドボーイにも差しかえされての3着に終わった。


3歳時代編集

明けて2013年、緒戦に皐月賞トライアルのGⅡ弥生賞を選んだキズナ。

世代の有力馬エピファネイア、コディーノも参戦した中で、キズナはその2頭に次ぐ3番人気に推されていた。


しかし、このレースは1000m通過タイムが61.6秒というスロー展開で進み、キズナは最後方に位置していた。

最後の直線で追い込みにかかったが前を捉えるには至らず、まさかの5着に終わった。

なおこのレースを制したのは単勝6番人気の伏兵カミノタサハラ、2着は10番人気ミヤジタイガという決着となり、馬連馬券52300円という荒れた決着となった。


この時点で、一部の競馬ファンからはキズナの力を疑問視する声も聞かれた。

ラジオNIKKEI杯ではバッドボーイという決して有力ではない馬に差し返され、弥生賞でも伏兵2頭を捉えるに至らず有力とされた中では最低着順の5着。

黄菊賞まではたまたま相手に恵まれただけなのでは、という疑念がうずまいていた。


しかしながら、キズナはそのような声をものともせずGⅢ毎日杯で2着に3馬身差つけての圧勝。

見事重賞制覇を飾り、疑念の声を弾き飛ばした。

その後、早い段階で陣営は皐月賞を回避し、目標をダービー一本に絞ると発表した。

理由はローテーションの問題。弥生賞から毎日杯は中2週と短い間隔であり、皐月賞も毎日杯から2週間後に行われる。

中2週続きのローテーションを嫌い、皐月賞を回避。狙うは、ダービー馬の称号ただ一つ。

そして、キズナは日本ダービーの前哨戦、GⅡ京都新聞杯に出走。

出遅れるも直線で前の馬を一気に差し切り、優勝。

重賞連勝の勢いをかい、キズナは日本ダービーへと参戦した。


第80回日本ダービー編集

2013年5月26日、節目の年となる第80回日本ダービーの日がやってきた。

JRAも普段より力を入れて宣伝を行い、そのかいあってか当日の東京競馬場は約14万人の大観衆が詰めかけた。

過去のダービー馬の名を冠した特別競走が行われるなどしたこの年の日本ダービー

発想時刻には、競馬場の盛り上がりも最高潮に達していた。

キズナの枠順は1枠1番で、単勝オッズ2.9倍の1番人気。

2番人気に皐月賞馬ロゴタイプ、3番人気がエピファネイアというオッズとなっていた。


熱気にあふれる中、2013年5月26日15時40分、第80回日本ダービーがスタート。

スタートから後方に控え、そのまま後方でレースを進めたキズナ。

ロゴタイプは先団に取りつき、エピファネイアは中団からレースを進めた。


そのまま第4コーナーを回り、14万人の大歓声に迎えられ最後の直線。高低差2m、試練の坂を登る。前を塞がれかけるも、その末脚は衰えることなく確実に前へと進んでいった。

残り200m、中団から伸びてくるキズナと先頭へ立ったエピファネイア。

脚色は一切衰えることが無かった。

ディープインパクトを彷彿とさせる追い込みで、先頭のエピファネイアに詰め寄り、ついには差し切った。

結果は、エピファネイアを半馬身差制し1着。坂を登りきった向こうに見えたのは、「第80代日本ダービー馬・キズナ」の称号だった。



見事な差し切りで大一番、日本ダービーを制したキズナと武豊。

武豊騎手はこれでダービー5勝目という快挙を成し遂げた。

近年不振だった武豊騎手だったが、この大一番でその存在感を見せつけた。

スタンド前へと戻ってきた武豊騎手とキズナを待っていたのは、14万人の大観衆から贈られた「豊コール」だった。


この日本ダービー、フジテレビの実況も後に伝説となるのだが、それはまた別のお話。


フランスへ編集

そして8月、キズナは凱旋門賞のためにフランスへと渡った。

前哨戦のニエル賞を、イギリスダービー馬ルーラーオブザワールドとの叩き合いを制し、見事一着。

本番に向けて期待も高まっていた。

しかし、本番の凱旋門賞では4着という失意の結果に終わった。


4歳時代編集

凱旋門賞後、疲労を理由にキズナは有馬記念を回避し、休養した。

年が明け、古馬となったキズナの2014年の緒戦はGⅡ産経大阪杯

同期の有力馬であり、菊花賞馬となったエピファネイアや、同じく同期の牝馬二冠馬メイショウマンボといった強力な面子が集まり、回避する馬が続出。8頭立てという少頭数でのレースとなった。

スタート後、キズナは最後方からレースを進めた。最後の直線で一気に伸び、粘るトウカイパラダイスを差し切りゴールイン。ダービーの時からほとんど衰えないレースぶりを披露した。

しかし、その後に出走したGⅠ天皇賞(春)でも同じく最後方からレースを進めたものの、直線では思うように伸びず、先頭に立ったフェノーメノにまで届かず4着という結果に終わった。


そして天皇賞(春)の敗北から2日後、左前脚の骨折が判明。

当初は有馬記念での復帰を目指していたが、後に2014年シーズンの全休が決定した。


その後2015年の京都記念で復帰し3着と言う結果を残す。

続けてGⅡ大阪杯で2着となった後、再び天皇賞(春)に挑戦するも1番人気には応えられず7着と言う結果に終わった。

そして2015年9月に屈腱炎を発症、引退する事となった。

一時期の盛り上がりに比べるとやや寂しい幕引きとなったが、これも競馬には付き物か・・・。

同年10月5日から北海道安平町の社台スタリオンステーションで種牡馬として繁殖されている。


種牡馬入り後・産駒成績編集

種牡馬としては初年度から6頭の重賞勝ち馬を出し1200mと3000mの重賞勝ち馬を出すなど距離万能だが、エピファネイアより大物は出せていなかった。

しかし、徐々に産駒成績が伸び始め、近年のアーニングインデックスは2.00付近を推移しており、勝ち上がり率も50%前後とかなりの好成績を残している。


2021年、エリザベス女王杯アカイイトが制し、GⅠ初勝利となった。更には翌年にはソングライン安田記念を制覇し、その翌年もヴィクトリアマイルを勝利して安田記念を連覇した。

そして2024年、ジャスティンミラノ皐月賞を優勝。ついにクラシックホースの父となった。


徐々に産駒がその真価を発揮してきたキズナ。同期のライバルとの戦いはこの先も続く。



余談編集

希望と「キズナ」編集

時は2011年3月

ノースヒルズ所有の競走馬トランセンドドバイワールドカップへ挑むため、ヴィクトワールピサブエナビスタ、別競走に挑むレーザーバレットルーラーシップとともにドバイのメイダン競馬場に滞在していた。


しかし、滞在中の3月11日、日本では未曾有の大災害である東日本大震災が発生してしまう。

その知らせはドバイ滞在中の5頭の陣営にも届き、「このまま滞在し続けてもいいのだろうか…?」と迷っていたが、主催者側の「君たちは日本の代表として闘うべきだ」という激励を受け、出走を決断。関係者はポロシャツの袖に「HOPE」の4文字の刺繍を入れ、「チームジャパン」として一丸となって挑むこととなった。


そして迎えたドバイワールドカップ。トランセンドは逃げの手に出て馬群を引っ張り、最後の最後で垂れてしまうが、猛追を掛けたヴィクトワールピサの勝利をアシスト。まさに「絆の勝利」で史上初のドバイワールドカップ優勝を飾った。

このことに感銘を受けたノースヒルズ代表の前田幸治氏は、将来有望と見られていたキャットクイルの仔馬に「キズナ」と付けることを決めたのだった。


武豊との「キズナ」編集

上述のようにドラマティックな理由でつけられた「キズナ」という馬名だが、武騎手が勝利したことによって更にドラマティックなものとなった。

このころ、武騎手は最近成績不振であり、日本競馬界において強い影響力を持つ社台グループ等から疎遠になっていた。

そのため有力馬に乗れる機会も少なく、GⅠの勲章からも遠ざかっていた。


しかし、そんな武騎手に馬を回し続けたのが、キズナの生産者にして馬主であるノースヒルズマネジメントである。

さらに、この馬の父親は武に3冠ジョッキーの名誉をプレゼントした名馬ディープインパクトである。

そして、調教師の佐々木昌三氏も近年武騎手への騎乗依頼が増えていた。

馬主、調教師との「絆」、過去に乗った名馬との「絆」。

その集大成を節目のダービーで披露したというのは、日本競馬界に残るエピソードになるのではないだろうか。



正反対の馬?編集

世代の有力馬と言われたコディーノだが、このレースではデビューからずっと騎乗してきた横山典弘ではなく、外国人ジョッキーのC・ウィリアムズが騎乗していた。

日本ダービーを勝つための決断だったのだろうが、結果的にコディーノは9着という残酷な結果に終わっている。

ダービーのために主戦騎手を切り捨てたが、この結果。勝ったのが「キズナ」とは、なんとも皮肉な話である。

ある意味、キズナとは対照的な位置に居る馬なのかもしれない。

なお、コディーノはダービー卿チャレンジトロフィーの5着を最後に2014年6月11日に疝痛で死亡している。

弟と分け合うクラシック編集

実は、この前週に行われた優駿牝馬(オークス)では、武騎手の弟である武幸四郎騎手が勝利しており、牡牝クラシックの二冠目を兄弟で分け合う形となった。

なお、一冠目の桜花賞皐月賞も、外国人騎手のC・デムーロとM・デムーロの兄弟が分け合う形で勝利している。


海外の同名馬編集

実はアイルランドにも「キズナ」という名前の馬がいる。生まれは日本のキズナの方が先なため、表記は「キズナⅡ(セカンド)」となっている。

馬主の和泉氏がナカヤマフェスタ産駒の能力向上を期待して購入した、ハリケーンラン産駒の牝馬である。

2014年競走馬引退後来日、予定通りナカヤマフェスタと種付けした後、日本のキズナと種付けを行い、2020年に牡馬が生まれている(オールアイズオン)。

そんな二頭のキズナの仔は順調に育ち、2022年に「オールアイズオン」の馬名で競走馬デビューを果たした。

日本とアイルランド、二つの「キズナ」が重なり合った先に、今後も目が離せない。



競走成績編集

競走名グレード競馬場距離騎手人気着順勝ち馬(2着馬)
2歳新馬新馬京都芝1800m佐藤哲三1人1着(リジェネレーション)
黄菊賞500万下京都芝1800m佐藤哲三1人1着(トーセンパワフル)
ラジオNKKEI杯2歳SGⅢ阪神芝2000m武豊2人3着エピファネイア
報知杯弥生賞GⅡ中山芝2000m武豊3人5着カミノタサハラ
毎日杯GⅢ阪神芝1800m武豊1人1着(ガイヤースヴェルト)
京都新聞杯GⅡ京都芝2200m武豊1人1着(ペプチドアマゾン)
日本ダービーGⅠ東京芝2400m武豊1人1着(エピファネイア)
ニエル賞GⅡロンシャン芝2400m武豊2人1着(ルーラーオブザワールド)
凱旋門賞GⅠロンシャン芝2400m武豊2人4着トレヴ
産経大阪杯GⅡ阪神芝2000m武豊2人1着(トウカイパラダイス)
天皇賞(春)GⅠ京都芝3200m武豊1人4着フェノーメノ
京都記念GⅡ京都芝2200m武豊2人3着ラブリーデイ
産経大阪杯GⅡ阪神芝2000m武豊1人2着ラキシス
天皇賞(春)GⅠ京都芝3200m武豊1人7着ゴールドシップ

関連タグ編集

競馬 競走馬 ディープインパクト 日本ダービー

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