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シリウスシンボリ(ウマ娘)

うまむすめのしりうすしんぼり

『ウマ娘プリティーダービー』に登場するウマ娘の一人。モチーフ馬は1980年代中期から後期にかけて活躍し、日本馬による長期海外遠征の先駆けとなった競走馬『シリウスシンボリ』。
目次[非表示]

プロフィール

キャッチコピー世界一輝く星になる!カリスマ野心家ウマ娘
誕生日3月26日
身長167cm
体重興味なし
スリーサイズB89・W55・H86
靴のサイズ-
学年高等部
所属寮美浦寮
得意なこと-
苦手なこと-
耳のこと-
尻尾のこと-
家族のこと-
ヒミツ-
自己紹介シリウスシンボリだ! レースに御託はいらねぇ。黙って見てな。世界を獲って”最強”を証明してやるよ
CVファイルーズあい


「シリウスこそが最も明るい星だ」海外制覇を目指す、強気で自信家のウマ娘。
粗野で口も悪いが、そのタフさと自信に伴った実力から、多くの人を惹きつけるカリスマ性を持つ。
また、嘘や方便が嫌いなので口から出る言葉はすべて本気。
つまり、天性のタラシなのである。
公式ポータルサイトより

シンデレラグレイ版

シリウスシンボリ


「ハッ…!最高のタイミングだ!誉めてやるよレースの神様!!」
ウマ娘 シンデレラグレイ』にて初登場、野心家でビリヤードが得意。
日本ダービー優勝後にヨーロッパに渡り、海外のウマ娘と渡り合った実力を持つことから、「唯我独尊の開拓者」との異名がある。ゲーム版のシリウスと比べるとやや天然さが残る性格となっていたり目付きも若干丸くなっていたりとちょこちょこ差がある。

本作では既に海外から帰国しており、函館記念では日本レコードを出したディクタストライカに敗れたものの、その後オグリキャップの出場する毎日王冠にて激突。

パドックでダンスをするなど派手好きのようだが、ダンス中にダイナムヒロイン、ロードロイヤルといったウマ娘に自身は気づいていなかったが手足をぶつけて負傷させている(ロードロイヤルは鼻出血により出場取りやめに)。

気性も荒く、ダイナムヒロインたちによるオグリの徹底マークに巻き込まれる形で進路を塞がれた際には「クソが!!邪魔だぞお前ら!!」と叫んでいた。
GⅠ級の確かな実力者であったが、相手は葦毛の怪物。マークされ続けてからの最大外を廻ってすら差し切るオグリに「…ウソだろ?」と唖然とすることに。

ちなみに、Twitterではあのシンボリルドルフと幼少期からの幼なじみであることが明かされ、幼き頃のシリウスがルドルフを遊びに誘うイラストが見られた(現在は削除済み)。

アプリ版

シリウスシンボリ


「何でもします、返してくださいだろ?」
ゲーム版へは配信直前の2021年2月10日に、シンデレラグレイと共に実装が発表され、その際に公式サイトのキャラクター欄にも追加された。
当時キャラクター欄72人の中で唯一、ゲーム内3Dモデルが登場していなかったが、同年10月20日にSRサポートカードとして実装された。

ウまとめ


また、ナカヤマフェスタの1コマ漫画内に登場しており、そこで彼女と同室であることが示唆されている。
本人はアウトローな雰囲気は纏っているが、タマモクロスとのイベントでは自分に影響されてトレーニングをサボり始めたタマの後輩たちを説得してくれたりと根っからの不良というわけではない。

シリウスシンボリとルドルフ


なお、その性格から生徒会とはあまり関係はよろしくないようで、特にルドルフとは劇中で「水と油」と称されるほど険悪な仲。しかし、ルドルフ本人はシリウスと仲を深めたいと常々思っており、シリウスが半ば一方的に彼女を邪険に扱っているようにも見える。

上記のイベントでも最初はタマの追及を歯牙にもかけなかったのを彼女の「ルドルフやったらちゃ~んと話聞いて、ちゃ~んと対策立ててくれるはずやしなあ」という発言を聞くないなや態度を変えるなど、本人は言及していないがイベントの描写や史実での両馬の関係からルドルフにある種のコンプレックスを抱いているのではとも推察されている。

アプリ版でシリウスは面倒見の良さが現れており、様々な事情を抱えて思うように成績の伸びないウマ娘達を集めてトレーニングを行っている。その一方で杓子定規な面がある生徒会に対して不満を持っており、シンボリルドルフやエアグルーヴに対して意見を申し立てている。

生徒会とのいざこざ

シリウスが主に束ねていたのは一般的に「不良」と見なされていたウマ娘たちで、主に体調や家庭環境などの問題で中々練習の機会を設けられない者たちのために彼女が独断でコースを占拠して練習の時間を取らせていた。

なお、通常多少の遅刻をした者には掃除係を命じたり壁に穴を開けてもポスターを張らせるだけの処置に留めるトレセン学園で練習する暇がないほど反省文の類いを提出させられている点などを考えると、描写自体は少ないが学園の寮長たちが庇いきれないレベルの問題行動を繰り返している人物たちと推測できる。

これらが積み重なった結果として問題行動を重ねる度に罰が増し、罰が増える度に練習の機会が失われるというまさに負のスパイラルへと繋がってしまっており、生徒会や寮長らが救いの手を差し出さなかったというよりはシリウスの元でしか最早結果を出せるであろう手段が残されていなかったという言い方が正しい。

近い例としては周囲の選抜レースに出たほうが良いという忠告を何度も無視してあわや退学寸前になったタキオンなどもいるので、学園としても何度も規則違反を繰り返す者にある程度の処置を下すのも立場上やむをえない部分もある(イベントでルドルフも指摘していた通り、真面目に練習している者を押しのけて規則を破る面々を厚遇する訳にはいかないとするのはある意味当然である)。

ただ、劇中でもエアグルーヴを初めとして生徒会も彼女たちの処遇には難儀していたようで、ルドルフも一定の期間に場所と教官を確保した集中的なトレーニングなどでこの問題を解決しようとしていた。

無論、これらの方法でも根本的な解決にはならないことは双方承知しており、両人がこの難しい問題をどう結論付けるのかはシリウス本人のストーリーの公開まで待たれるだろう。

競走馬シリウスシンボリ

1982年3月26日生まれ。1985年日本ダービー優勝馬。
冠名から分かる通り、シンボリルドルフの後輩にあたる。

主戦騎手は加藤和宏であったが、馬主の和田共弘が加藤騎手の2度の騎乗ミスに対して不満を持ち、乗り換りを要請したため調教師の二本柳俊夫と対立。組合まで巻き込んだ厩舎移籍騒動へと発展してしまう。

騒動直後の若葉賞は鞍上岡部幸雄で勝利するも皐月賞には出られず。この理由については上述の騒動が尾を引いたという説(JRA60周年本)と、脚部不安によって回避したという説(優駿紙上)がある。
その後は当時の日本ダービーのトライアルレースであったNHK杯を脚部不安で回避している。

第52回日本ダービーでは、皐月賞を優勝したミホシンザンが骨折で回避したため、本命が不在だった。なお、鞍上は加藤騎手に戻っている。
レース当日は重馬場で、26頭が外側を回る中で、2着のスダホークに3馬身差を付けて優勝。シンボリ牧場は前年のシンボリルドルフに続いて2年連続でダービー馬を輩出した。

海外遠征

日本ダービー優勝後は、1985年7月13日に日本を旅立ち、約2年に渡って帯同馬・二本柳厩舎スタッフを一切伴わず1頭で欧州を転戦する。
(シンボリ牧場スタッフ・オーナーは少なくとも最初の数か月間同伴していたことが優駿紙上で確認されている)
海外では和田共弘氏がスピードシンボリ遠征の頃から親交のあった3つの厩舎にそれぞれ所属。

帯同馬や二本柳スタッフが来なかった原因に関しての詳細は不明だが、当時は海外遠征のノウハウがあまり蓄積されておらず帯同馬や慣れ親しんだスタッフが必要との認識が薄かったこと、本来はシリウスがシンボリルドルフの遠征帯同馬の予定であり、シンボリルドルフの遠征が急遽中止になった事も一因と考えられる。
ちなみにシリウスの欧州遠征応援ツアーが旅行会社で企画され月刊優駿誌上でも募集されていたが、二本柳厩舎のスタッフは誰一人応援には来ることはなかった。

2年間で14戦し1度も勝利出来なかったが、成績は
G1...3着1回、4着1回、5着1回、着外3回
G2...4着1回、着外1回
G3...2着1回、3着1回、4着2回、5着1回、着外1回
となっており、優勝こそ出来なかったものの堅実に掲示板に入っており当時の日本競馬と海外競馬の隔絶した差や、母国からのサポートが乏しかった点を考えれば大健闘した戦績と言える。

海外を転戦してる間の1986年凱旋門賞では14着に終わる。なお、1着はダンシングブレーヴ(キングヘイローの父)であった。
1986年凱旋門賞ダンシングブレーヴ以外にも、ベーリング、シャーラスタニ、トリプティクなど錚々たるメンツが集い「史上最高のメンバーが揃った」と言われた地獄の第65回凱旋門賞であった事が彼の不幸と言えよう。

シンボリルドルフはアメリカ遠征の怪我で引退していなければ秋からヨーロッパに渡り、この年の凱旋門賞に出走する予定であった。
本来シンボリルドルフの帯同馬として遠征するはずだったシリウスとシンボリルドルフがヨーロッパで合流するかどうかは、永遠に不明となってしまった。

帰国後

1987年(旧6歳)秋に帰国し、毎日王冠から復帰。
7歳となった翌1988年も現役を続行するも、毎日王冠の2着が最高で、結局帰国後は一度も勝てないまま天皇賞(秋)で7着になったのを最後に骨折して引退した。
なお、同期の二冠馬であるミホシンザンとは一度も対戦がなかった。

他のモガミ産駒と同様に気性が荒く(ただし、後述するが1985年当時の証言とは食い違っている点に注意)
1988年の毎日王冠では、ダイナアクトレスレジェンドテイオー回し蹴りを喰らわせたことでも知られる。(その後レジェンドテイオーは競走除外に追い込まれた)

引退後

引退後はブリーダーズスタリオンステーションで種牡馬となるも、'96の京都4歳特別(京都新聞杯の開催時期移動に伴い廃止)2着からダービーに出走したオーシャンカレントが目立つくらいで重賞戦線を賑わす馬は残せなかった。
その後は当時種牡馬シンジケート会会長であり獣医師でもある沖田正憲社長の沖田牧場(北海道シンボリ牧場の隣の牧場)で余生を送る。

現役時は激しい気性で知られていたが、晩年は小さい子供にも顔を預けて甘えるような良いお爺ちゃんになっていたという。

ちなみに、現役時の気性が激しいという証言は出典なしでよく言われているが、1985年当時の優駿の取材や証言では
「デレデレした馬」(岡部騎手の証言)
「触ったら鼻を寄せて甘えてきた」(シリウスを運んだパイロットの証言)
「神経が太い、動じない馬」(岡部騎手、木村幸治氏)
などの証言や、
「和田共弘氏がシリウスの足もとにしゃがみこみながら語りかけている写真」(気性が荒い馬の傍でこんなことしたら危険です)などが残っている。

2012年4月8日に30歳で死去した。(ちなみに、前日の4月7日にはメジロパーマーが死去している。)
死去した後、遺体はシンボリ牧場に引き取られシンボリ牧場の名馬たちが眠る墓に葬られている。
なお、その墓石に刻まれている名前にはスピードシンボリ、パーソロン、モガミ、シンボリルドルフ、シリウスシンボリ、シンボリインディが確認されている。

念のための注意だが、シンボリ牧場は90年代から一般人の見学を禁止しているため、お墓参り・見学などは一切不可能であることに注意。
過去には某一口馬主クラブに入っていれば特典として見学ツアーがあったのだが、現在は関係者以外は一切入ることができないハズである。

関連イラスト

シリウスシンボリ
センシティブな作品
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執事シリウスシンボリ


シリウスさん
「おもしれー女」って言ってるシリウスシンボリが見てみたい...
シリウス
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関連タグ

ウマ娘プリティーダービー

シンボリルドルフ(ウマ娘):シンボリ牧場の1年先輩だが、対戦は1度もなかった。
タマモクロス(ウマ娘):2度対戦し、どちらもタマモクロスが1着。
オグリキャップ(ウマ娘):2度対戦し、どちらもオグリキャップが先着。

キングヘイロー(ウマ娘):凱旋門賞で優勝したダンシングブレーヴの子。

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