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リガントーナ

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りがんとーな

メディアミックスプロジェクト『ウマ娘 プリティーダービー』に登場するキャラクター「ウマ娘」の一人。

「……アナタの心に、ワタシを刻んで。そしてその心で──永遠に走らせて、ワタシを」

プロフィール

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ヒミツ①風邪を引きやすいので部屋着はもこもこ
CV井料愛良

“世界最強”とも謳われるレジェンドウマ娘

その走りは観た者全員を虜にすると言われ、実際、過去『凱旋門賞』を制覇した際に驚異的な末脚で出走者全員を薙ぎ払ったことは今でも語り草。

レースに熱中すると言葉じりが若干激しくなるが、それはご愛嬌。

公式ポータルサイトより)

概要

リガントーナは、クロスメディアコンテンツ『ウマ娘プリティーダービー』に登場するウマ娘。初出は、アプリゲーム版『ウマ娘』において2023年8月24日に新規実装された育成シナリオ「プロジェクトL'Arc」。

モチーフ元に同名の競走馬が存在しない、いわゆるゲームオリジナルウマ娘の一人である。ちなみにリガントーナとは「偉大なる女王(あるいは女神の女王)」を意味する言葉で、ケルト神話に登場する月と馬の女神・リアンノンの名の由来となったとされる。

金眼褐色肌の持ち主で、濃い鹿毛の長髪を腰より下のあたりでまとめている。

勝負服ベリーダンスダンサーのような、首輪や腕輪をつけシースルーのスカートを纏うという、全体的にエキゾチックでセクシーなもの。ちなみに耳飾りは右耳

育成シナリオではシニア級の凱旋門賞にのみ出現。(育成ウマ娘のパラメータにより上下するとみられているが)全パラメータがS+~UG級の非常に高いレベルでまとまっている。脚質は追込。ロンシャンレース場の最終直線、ヴェニュスパークと追い比べをしながら加速して突っ込んで来るさまはまさに脅威。半端な育成では撫で切りにされること間違いなしである。

そんな強さと美しさを兼ね備えた彼女だが、意外にも「風邪を引きやすいので部屋着はもこもこ」という秘密が暴露されている。これはモデルとみられる馬が種牡馬時代に病気を患い、関係者によってその病気を治療すべく手厚いケアが施されていた……という一種の史実ネタかもしれない。

余談

モデルと予想される競走馬「Dancing Brave」

ビジュアルと詳細が発表された時点で、「世界最強と謳われた」「かなりの豪脚の持ち主で、驚異的な末脚で出走者全員を薙ぎ払って凱旋門賞を制覇した」「ダンサーを思わせる見た目」などから、競馬ファンを兼ねるユーザーからは、ダンシングブレーヴ(Dancing Brave)が有力なモデルとして考察されている。

個別記事があるため詳細はそちらに任せることとして、こちらでは簡単に説明する。

ダンシングブレーヴは1983年アメリカ生まれ・イギリス調教の鹿毛牡馬86世代)。父は「20世紀最高の種牡馬ノーザンダンサーの産駒の一頭でフランスの短距離戦線を中心に活躍したリファール(日本では産駒のモガミシリウスシンボリメジロラモーヌなどを輩出して成功を収めた)、母ナヴァホプリンセスという血統。

父(フランスの舞踏家セルジュ・リファールに由来)・母(アメリカ先住民族ナバホ族の王女の意)・そして父父(「北方の踊り子」の意)の名に因み、「踊るアメリカ先住民族の戦士」を意味する「Dancing Brave」と名付けられた。

現役時代は豪脚の持ち主として知られており、それを武器にキングジョージ6世&クイーンエリザベスダイヤモンドステークス凱旋門賞などGⅠ4勝を挙げている。

取りわけ1986年の凱旋門賞では、最終直線で叩き合う先行勢を大外から驚異的な豪脚(ラスト1ハロンで10秒8)でまとめて撫で切り、当時のコースレコードを叩き出して優勝した。(なお、このレースには日本からシリウスシンボリが参戦していたが、全く歯が立たず14着に終わっている。)

百聞は一見に如かず、是非ともその様子をご覧頂きたい。

引退後は種牡馬入りするが、1987年に不治の病にして奇病とされる結核の一種であるマリー病(肥大性肺骨種)を発症。何とか命は取り留めたものの後遺症が残って受胎率も低下してしまい、加えて初年度産駒がほとんど走らなかったことから1991年に早くも売却が検討されるようになる。

そこに名乗りを上げたのがJRA(日本中央競馬会)。かくして購入されたダンシングブレーヴは日本軽種馬協会に寄贈された後、関係者による徹底的な支援体制のもと種牡馬として活動し続け、少ない産駒からキョウエイマーチエリモシックテイエムオーシャン、そしてウマ娘化もされたキングヘイローなどを輩出した。また、ヨーロッパに残された産駒もコマンダーインチーフホワイトマズルなどが活躍している。そのため、欧州の馬産家の間では「輸出は早計だった」と嘆かれていたらしい。

1999年8月2日早朝に体調が急変し、その日の午後に心不全のため死去。16歳没。

その評価たるや非常に高く、国際的な競走馬ランキングである「インターナショナル・クラシフィケーション(現在のロンジンワールドベストホースランキング)」では、1986年には141ポンドという史上最高値が付けられた。26年後の2012年に過去のレーティングの見直しがなされた結果、この数値は138ポンドに引き下げられたが、これについて世界中で相当な議論が巻き起こったという。

ちなみに産駒には気性が激しい馬が多かったが、ダンシングブレーヴ自身は従順かつ忍耐強い馬で、マリー病によって全身を蝕んだ痛みや、治療による副作用にもずっと耐えていたという。

その最期も横になったら二度と立ち上がることが出来ないことを悟っていたのか、苦痛に耐えながらも最後まで4本の脚で仁王立ちしていたという見事なまでの立ち往生だったことが伝えられている。

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