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概要

声:犬山イヌコ


競走馬。1993年4月4日生まれ。

本名はうんこたれ蔵

タグとしてはマキバオーが使われることの方が多い。


基本真面目な性格だが、お調子者の面もある。

口癖は「んあー」「~なのね」


※以下、レース中では「マキバオー」、レース外では「たれ蔵」と表記する。

※馬齢・レース名は連載当時(旧表記)に準じる。

プロフィール

生年月日1993年4月4日
英字表記Midori Makibao
性別
毛色白毛
タマーキン
ミドリコ
母の父マルゼニスキー
生産みどり牧場(北海道鵡川町)
馬主飯富源次郎
調教師飯富昌虎美浦
主戦騎手山本菅助
主要勝鞍日本ダービーカスケードとの同着、有馬記念(1996)

来歴

誕生からデビューまで

1993年4月4日北海道鵡川町(現・むかわ町)のみどり牧場にて、父・タマーキン(名前の由来はトニービン) 、母・ミドリコの仔として生まれる。

父タマーキンは凱旋門賞馬で、母ミドリコは桜花賞馬という良血の持ち主だが、生まれた姿は普通の馬とは似ても似つかない、カバのような姿だった。


みどり牧場はこの時点では1億円の借金を抱えており、牧場主の飯富源次郎はミドリコの産駒にすべてを賭けていたため、これでは使い物にならないと落胆する。

そこに、ひげ牧場のオーナー・堀江信彦が現れ、借金のカタにミドリコを取られてしまう。

必死で母を追いかけるたれ蔵(この時はまだ名前がない)だったが、森の中に迷い込む。

この森の中で、小さな親分ことネズミのチュウ兵衛と出会い、子分となるが、途中で腹を空かせた野犬に遭遇するものの、尻を噛まれた際に馬糞を口に流し込んで撃退する。

この出来事からチュウ兵衛よりうんこたれ蔵と名づけられる。(ちなみに仮名は「キンタマくさ男」だった。)


どうにかひげ牧場に辿り着き、母ミドリコと再会するが、母は仔を想い、冷たい態度で突き放す。

たれ蔵はこれにショックを受けるが、傍にいたリスの兄弟を見て、自分は立派な競走馬になる決意を固めた。

みどり牧場に帰ったたれ蔵だったが、源次郎によって鎖に繋がれる。しかし、源次郎の兄で調教師飯富昌虎の取り成しによって、危うく馬肉にされることを免れた。


年が明けて2歳になったある日、本多リッチファームにやってきたたれ蔵は、ここで生涯のライバル・カスケードと出会う。

カスケードと1対1で競走したが、想像以上の馬力の差と心房細動を起こし、たれ蔵は完敗した。

この敗北によって、たれ蔵は「負けたくない気持ち」を学んだ。


みどり牧場内で力を付け、順調に競走馬としての素質を伸ばすたれ蔵だったが、大きな問題点が生じた。馬体が小さいために、乗れる騎手がいなかったことだった。

そこで昌虎は騎手の中でも特別小柄な山本菅助を呼び寄せる。菅助は、前の相棒が予後不良になったことで騎乗することにトラウマを抱えていたが、たれ蔵の励ましで自信を取り戻した。

そしてデビューを前に源次郎は、「みどり牧場の王様になれ」という願いをこめ「ミドリマキバオー」の名を与えた。(アニメ版では、源次郎の息子・飯富勝が名付け親になっている。)


1995年(3歳)

3歳新馬戦

1995年6月。札幌競馬場にてマキバオーはデビューを飾る。その奇妙な姿は場内の耳目を集めるのに十分だった。

しかし、パドックで母の仇・堀江の姿を見ると、マキバオーはイレ込んでしまう。

レースは1000mの短距離で、出遅れは命取りとなる。


絶好のスタートを切ったマキバオーだったが、イレ込みは止まらず、外ラチに一直線に突き進んでしまう。

と、そこに源次郎が体を張って止める。自分の牧場経営がいい加減だったからとマキバオーに詫びる源次郎の姿に、ようやくマキバオーは自我を取り戻した。


先頭を走るのは、ひげ牧場所属の馬・ヒゲサンダー。

しかしマキバオーはチュウ兵衛の指示で馬の下を走り抜けるという無謀な作戦に出た。馬の腹にぶつかり続け気を失う菅助だったが、手綱は手放さず、課題だった落馬を克服した。

そして、ゴール直前でヒゲサンダーに並びかけるマキバオー。ここで事件が起こる。

ヒゲサンダーが悪質な進路妨害を行ってきたのだ。

しかしこれを見事にかわし、無事1着でゴールイン。

マキバオーは見事デビュー戦を勝利で飾り、ヒゲサンダーは進路妨害で失格処分となった。


函館3歳ステークス【GⅢ】

菅助が負傷したため、次走は9月の函館3歳ステークスとなった。

しかし、ひとつ問題点が浮き彫りになる。たれ蔵は他馬よりもが大きいために、雨のレースでは滑りやすいという難点を抱えていたのだ。

さらに、レース当日は予報で、そこに重馬場を得意とするニトロニクス(鞍上:木曽政義)も参戦という、マキバオー陣営にとっては不利な戦いとなることが予想された。


レース当日は予報通り雨で、さらにインコースはそれまでのレースで激しくぬかるんでいた。

マキバオーは1枠1番のスタートとなった。

他の馬たちが、ぬかるみを嫌い外側を走る中、敢えて泥まみれのインコースを走るマキバオー。マキバオーの大きな蹄は濡れた芝では滑りやすくハンデになるが、泥んこの馬場ならば逆にスパイクのように泥をかき分ける大きな武器になると予想して泥の中を走る特訓を積んできたのである。


そして勝負は残り100m。外側から追い込んできたニトロニクスが、マキバオーの前を塞いだ。

観衆の誰もがニトロニクスの勝利を確信していたが、なんと、マキバオーが残り50mで外側から抜き去ったのである。

前につんのめるような走法で見事逆転勝利を飾ったが、レース後に軽い裂蹄を起こした。


京成杯3歳ステークス【GⅡ】

11月11日。前走での裂蹄も癒えて、陣営は朝日杯3歳ステークスの前哨戦、京成杯3歳ステークスに照準を絞る。

前走に続き、ニトロニクス(鞍上が木曽から滝川正和に交代)とアンカルジアが出走し、早くも再戦ムードが漂う。


レースはアンカルジアが逃げ切りを図り、マキバオーとニトロニクスは後方から攻めるというパターンを見せた。

しかしここでも、ひげ牧場の刺客が立ちはだかる。ヒゲサイクロン・ヒゲトルネード・ヒゲノロマンの3頭が、前と左右を塞いだのだ。

しかしマキバオーは、前を塞ぐヒゲサイクロンに後ろから追突。シフトが崩れた隙を狙って一気に抜き去った。

そして、先頭争いをしていたニトロニクスとアンカルジアを大外から抜き去り、見事1着でゴールイン。デビューから3連勝を飾り、人気先行ではないことを証明して見せた。

レース後、敗れ去ったヒゲトルネードとヒゲノロマンに、正々堂々と戦えと諭した。(なお、ヒゲサイクロンは競走中止となった。)


朝日杯3歳ステークス【GⅠ】

Rivals

いよいよ、マキバオー自身初のG1レース。若駒王者決定戦・朝日杯3歳ステークスに挑戦する。

カスケードとの初の公式戦、そしてピーターⅡの弟・アマゴワクチンが参戦し、後に三強と語り継がれる3頭の第1ラウンドとなった。

朝日杯3歳S


朝日杯はカスケードとアマゴワクチンを抑えて一番人気に推されたマキバオーは鉢巻きを巻いて登場した。


レースがスタートすると、アマゴワクチンが果敢に先頭に立って引っ張るが、

追い込みのカスケードがぴったり並ぶ。

さらにマキバオーも並ぶが、カスケードを意識しすぎるあまりイレ込んでしまっていた。

イレ込みを抑えようとするチュウ兵衛と菅助の制止も利かず暴走気味だったが鉢巻きが目にずり落ちたため、失速してしまう。

しかし、このアクシデントが却って落ち着きを取り戻した。

菅助が鉢巻きを外すがマキバオーは目を閉じていた。

すべては、カスケードを倒すために。マキバオーは目を閉じて走りながらながらじっと闘志を溜めていた。


1000mを通過し、第3コーナーに差し掛かる先頭のカスケードとアマゴワクチン。

後続の馬達が次々と2頭に襲い掛かるが、スタミナを使い切って次々と脱落していった。

マキバオーは未だに最後方だったが、残り200m・中山競馬場名物「心臓破りの坂」で目を開き、一気に追い込む。

カスケードとワクチンが前半ハイペースだった分坂で息を入れるタイミングを計ってマキバオーは一気に先頭に立った。

しかし、2頭は簡単に引き下がらない。

ワクチンにムチが入り、ゴール板が見えたところで一気に先頭に立った。

カスケードにもムチが入るが伸びない。

だが、マキバオーにはワクチンを差し返す気力が残ってなかった。

これでは何の役に立たないと思った菅助は涙混じりに自分の右足にムチをぶつける。

菅助の意気に応えるマキバオーはワクチンを追いかける。


しかし、勝ったのは、一度は脱落したはずのカスケードだった。

残り50mの辺りでカスケードの走法が変わり(二の脚)、ゴール直前でワクチンとマキバオーを一気に抜き去り2馬身差を付けた。

マキバオーはワクチンにも届かず3着に終わり、初黒星を喫した。

またしてもカスケードに敗れたマキバオーは悔し涙を流す。

そこにカスケードがやって来て、「もっと強くなってこい!」と檄を飛ばした。


1996年(4歳)


年が明け4歳になったたれ蔵は、飯富厩舎で新年会を迎えた。

最優秀3歳牡馬のタイトルはカスケードが98票で受賞。たれ蔵は72票で次点に止まった。


カスケードがドバイで調教することを聞くと、昌虎は菅助とたれ蔵を連れて、モンゴルへと旅立った。

たれ蔵一行はモンゴルでドルジやツァビデルと出会う。

ツァビデルとのマッチレースに敗れたため、たれ蔵の所有権はドルジに移ることとなった。


モンゴルでの生活で、ツァビデルの走法と過去を知ったたれ蔵は、モンゴルでの20kmレースを行うことになった。

先頭のツァビデルを追いかけるたれ蔵だったが、野生の狼の群れに遭遇してしまう。

しかし、仲間の馬達が守ってくれたお陰で死なずに済んだ。

そして、飛行機の中で気が付いたたれ蔵は、馬の群れ達の見送りに応えるのだった。


スプリングステークス【GⅡ】

年明けの初戦は、皐月賞トライアルのスプリングステークス(GⅡ)。

そこに立ちはだかったのは、共同通信杯でアマゴワクチンを下し、続く弥生賞(GⅡ)でもサトミアマゾンを下した関西馬モーリアローだった。


レースはモーリアローが先頭に立ち、マキバオーが2番手に付けた。

モーリアローが並ばせないと後ろから蹴ったり芝を振りかけてきたりするが、マキバオーは退がらない。

「アマゴワクチンが勝負をバカにした」というモーリアローの発言に、ついにマキバオーが怒った。

モンゴルで鍛えた「マスタングスペシャル」を炸裂させ、1着でゴールイン。

瞼から流血してもモーリアローに根性を見せ付けての勝利に、チュウ兵衛は「お前は根性の馬だ!!」と称えた。

皐月賞【GⅠ】

クラシック第一弾の皐月賞の日がやってきた。

朝日杯から直行してきたカスケードは-20kgという馬体重が響いて2番人気。

アマゴワクチンは共同通信杯での骨折が響いて5番人気(こちらも馬体重-20kg)と本調子ではない。

マキバオーは8枠18番という大外枠ながら堂々の1番人気に推された。


スタートとともに、アマゴワクチンが先頭に立ち、すぐ後ろにモーリアローとスターツーリスト。

カスケードは馬込みを嫌い最後方に待機し、マキバオーは中団12番手辺りで位置を取った。


1番人気ということもあって他馬からのマークに遭うマキバオーだったが、中団4番手に上がる。

しかし、マキバオーにぴったりマークする1頭の馬がいた。

船橋競馬場所属の地方馬サトミアマゾンである。

地方所属のまま中央GⅠ勝利を成し遂げ、客を呼び寄せようという目標である。

(ちなみに実際には1999年岩手競馬場所属のメイセイオペラフェブラリーステークスを勝利している。)


先頭のアマゴワクチンは2番手のモーリアローを6馬身程離して前半の1000mを1分で通過した。

しかし、最後方のカスケードが上がっていくと、他の馬達もペースを上げていった。

それに伴いモーリアローが先頭に立つ。そしてマキバオーやサトミアマゾンも次々ワクチンを抜いていった。

しかし、カスケードだけはワクチンの2段構えの策を見抜いていた。

スピードを落としたと見せかけて他馬のペースを吊り上げたのである。

先頭を走っていたモーリアローもここで脚が鈍っていった。


残り400mでモーリアローの失速によってマキバオーが一気に先頭に立った。

その後ろをサトミアマゾンが追いかける。

そして集団から一気に抜け出したカスケードとアマゴワクチン。

勝負はこの4頭に絞られた。

マキバオーは一気に突き放そうとするが、前走スプリングステークスで見せたマスタングスペシャルが不発に終わる。

ここでようやくチュウ兵衛は騎乗ミスをしでかしたことに気付いた。

後続の3頭が一気に襲い掛かるがマキバオーは必死で粘る。


残り200m。勝負は「心臓破りの坂」。

ここでアマゴワクチンが脱落。脚部不安が最後の最後に響いてズルズル失速していった。

続いてサトミアマゾンも残り100mの所で力尽きた。


ドバイの誓いを思い出したカスケードは朝日杯で見せた「二の脚」をここで発動。

このままカスケードが勝利するかと思われた時、残り50m付近でマキバオーが再び気力を振り絞る。

スタンドで観戦していた昌虎は「信じられん…どこにそんな力が…」と驚いた。

チュウ兵衛が必死にマキバオーの頭にしがみつき、檄を飛ばす。


「見さらせ~!!!これが……白い奇跡……ミドリマキバオーじゃあぁ!!!」


ゴールまで残り20m付近で、マキバオーはなんと二の脚を使ったカスケードを差し返した。

流石のカスケードもこれには「こいつバケモノか…!」と驚くことしか出来なかった。

マキバオーの勝利は目前かと思われたその時、ついにチュウ兵衛が力尽きて落馬してしまう。

危うく踏みそうになってしまいヨレてしまうマキバオー。

そして再び差を詰めたカスケード。

両者並んでゴール。結果は写真判定に持ち越された。

しかしマキバオーはチュウ兵衛の容態が気になり結果どころではなかった。

皐月賞はビデオ判定の結果、カスケードの勝利に決まった。


国立ねずみ病院に入院したチュウ兵衛。

しかし落馬の衝撃が元で、たれ蔵に乗ることは出来ないと診断されてしまう。


青葉賞【GⅢ】

マキバオーの次走はダービートライアルの青葉賞(当時はGⅢで2001年よりGⅡ)。

カスケードやアマゴワクチンなどがいないことで単勝オッズ1.2倍の圧倒的1番人気に推された。

しかし菅助は直前に昌虎の娘・高坂里華の乗ったペティブーカの落馬を見て、過去のトラウマがフラッシュバックしてしまう。


レースはこれがマキバオーとの初対決となるベアナックルがハナを切る。

マキバオーは最後方からのレース。

しかし今までとは違いチュウ兵衛がいないために菅助は責任と重圧とトラウマに飲まれていた。

行こうとしていたマキバオーを手綱で抑えていたため折り合いを欠いてしまう。


第4コーナーに差し掛かり先頭は依然としてベアナックル。後続とは10馬身差だ。

残りは500mを誇る府中の長い直線。

先に仕掛けた馬達が次々バテていく中、マキバオーは大外からマスタングスペシャルで一気に抜き去っていく。

残るは先頭を走るベアナックル。一気に追い抜きに掛かろうとするが、ベアナックルが更に伸びた。

マキバオーはベアナックルを捉えることが出来ず2着。

ベアナックルが12番人気ながら逃げ切り勝ちを収め、単勝は4960円の荒れたレースとなった。


この年から新設されたNHKマイルカップ(GⅠ)はカスケードがニトロニクスとの一騎打ちを制しGⅠ3勝目を飾る。

優駿牝馬(GⅠ)は桜花賞の雪辱に燃えるアンカルジアをスーパースナッズがクビ差で破った。

そして、日本ダービー直前に条件付きではあるがチュウ兵衛が乗ることが許され、マキバオー陣営は完全復活を果たした。


日本ダービー【GⅠ】

競馬の祭典・第63回日本ダービーの日がやって来た。

マキバオーは6枠12番、カスケードは2枠3番に入った。

単勝オッズはカスケードが1.6倍で1番人気、マキバオーが2.3倍で2番人気だった。

菅助にとっても初めてとなる日本ダービーは、20万の大観衆が地鳴りのように選び抜かれた18頭を出迎えた。


いよいよ発走の時を迎えた。

ベアナックルがゲートに顔をぶつけてしまい出遅れた。

そんな中で先頭に立ったのはマキバオーだった。マキバオーがペースを作る作戦に出たのだ。

テレビで見ていた三枝がアイネスフウジン(1990年・第57回)やミホノブルボン(1992年・第59回)を引き合いに出していたが、スタンドで観戦していた昌虎は、カブラヤオー(1975年・第42回)を引き合いに出して、マキバオーが一番力を発揮するのは先行ではないかと考察した。

(ちなみに翌1997年第64回でもサニーブライアンが逃げ切り勝ちを収めている。)


マキバオーが先頭、カスケードが14番手辺りで大欅(第4コーナー)に差し掛かると、ここでカスケードと並んでいたサトミアマゾンが動き出した。ところが、カスケードがまだ動かない。

マキバオーが先頭で、府中の直線500mに差し掛かる。

ここで後ろからサトミアマゾンが猛追し、競り合いとなるが、マキバオーはマスタングスペシャルで突き放す。

しかしアマゾンも簡単には離されず、自らを奮い立たせ半馬身先頭に出た。

マキバオーとアマゾンが必死の競り合いをしている中、なんと出遅れたベアナックルが物凄い勢いで駆け抜け、トップに躍り出る。

ここで菅助は第2の策・きつつき戦法でアマゾンとベアを突き放し、マキバオーがトップに立った。

もうこのまま来ないでくれと祈るチュウ兵衛と菅助だったが、内ラチギリギリから漆黒の旋風が吹き荒れた。


その風の名は、黒き帝王カスケード。カスケードが一気にマキバオーを抜き去り先頭に立った。

ゴールまで200mを切り、もう策は残っていないマキバオー。

しかしチュウ兵衛は、最後の力を振り絞り、マキバオーと菅助に檄を飛ばす。

「これで負けりゃ、やつは遠い海の向こうだ……

それでいいのかよ!負けっぱなしでいいのかよ!!ミドリマキバオー!!!」

チュウ兵衛の魂からの叫びにマキバオーが最後の力を振り絞って応える。

「…そ…それは困るのね……負けっぱなしで終わるなんて……冗談じゃないのよね!!!

ゴールまで残り20mを切った。カスケードが今年3度目のGⅠ制覇を手に入れようとしたとき、信じられない出来事が起こる。


「マ…マ…マキバオーが……!!!とんだ~~~っ!!!」


マキバオーがジャンプしてゴールに飛び込んだのだ。

結果は皐月賞に続きまたしても写真判定に縺れ込んだ。

マキバオーもカスケードも疲労困憊となり、固唾を呑んで結果を待つ。

写真判定に持ち込まれて17分と11秒後、ついに確定ランプが灯った。

なんと、マキバオーとカスケードの同着優勝となったのだ。

ダービー馬が同じ年に2頭も生まれるという空前絶後の結果に観衆はどよめき、興奮の坩堝と化した。

(なお、現実におけるGⅠの同着優勝は、2010年第71回優駿牝馬でのアパパネサンテミリオンの例が初めてである。

ちなみに作者のつの丸はこのレースを的中させている。→つの丸公式ブログ『ゲーハーブログ』「マキバオーとカスケード以来の!」)


ところが、チュウ兵衛が死亡してしまった。

カスケードが優勝レイをチュウ兵衛の亡骸に掛けると、「本当の勝者はこいつだ。」と言った。

その後マキバオーは宝塚記念の人気投票2位に選出されるも出走せず、そのまま放牧に出された。


戦績

年月レース名【グレード】距離騎手着順1着馬(2着馬)
'95年6月3歳新馬芝1000m山本菅助1着
'95年9月函館3歳ステークス【GⅢ】芝1200m山本菅助1着(ニトロニクス)
'95年11月京成杯3歳ステークス【GⅡ】芝1400m山本菅助1着(ニトロニクス)
'95年12月朝日杯3歳ステークス【GⅠ】芝1600m山本菅助3着カスケード
'96年3月スプリングステークス【GⅡ】芝2000m山本菅助1着(ダイインフロント)
'96年4月皐月賞【GⅠ】芝2000m山本菅助2着カスケード
'96年5月青葉賞【GⅢ】芝2400m山本菅助2着ベアナックル
'96年5月東京優駿【GⅠ】芝2400m山本菅助1着(同着)カスケード
'96年10月菊花賞【GⅠ】芝3000m山本菅助4着アマゴワクチン
'96年12月有馬記念【GⅠ】芝2500m山本菅助1着(アマゴワクチン)

実在したミドリマキバオー

1994年生まれで牡馬のアングロアラブ競走馬。父はアングロアラブの名種牡馬ミスタージョージで毛色は鹿毛である。荒尾競馬場デビューで後に福山競馬場に移籍し、通算29戦8勝の成績を収めた。

JBISサーチ「ミドリマキバオー」



関連タグ

マキバオー みどりのマキバオー

ヒノデマキバオー-続編『たいようのマキバオー』の主人公。地方競馬でアイドルホースとして苦悩を馳せることから本作は開始する。

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