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生涯
競走馬時代
2003年2月27日生まれ。父は大種牡馬サンデーサイレンスだが、前年の2002年に死去したため、サンデーサイレンスの最後の世代(ラストクロップ)にあたる。
2005年(2歳)
11月12日に京都競馬場で行われた新馬戦で角田晃一を背にデビュー戦勝利を挙げる。
続く2戦目はいきなりGⅠ阪神ジュベナイルフィリーズに挑むもテイエムプリキュアに敗れ3着。
続く500万下は単勝1.3倍の圧倒的な1番人気に推されるもシェルズレイの3着に敗れ、2歳シーズンを終える。
2006年(3歳)
年明け初戦はエルフィンステークス(OP)。ここでも単勝1.7倍だったが今度は6着に敗れた。
続くきんせんか賞で2勝目を挙げるが、GⅢフラワーカップはキストゥヘヴンに敗れて2着。
そして迎えた桜花賞は2番人気に推されながらも、キストゥヘヴンが勝利したその陰で14着と惨敗。この敗戦で角田は主戦の座から降りることとなった。
新たに福永祐一を迎えて挑んだ優駿牝馬は、桜花賞には出走しなかったカワカミプリンセスの後塵を拝する2着。
秋は中京のGⅡローズステークスから始動するもアドマイヤキッスの3着。
続く秋華賞はカワカミプリンセスの二冠を許す3着に終わった。
秋華賞の次は、初の古馬混合戦・エリザベス女王杯に臨んだ。
好走するも勝ちきれないことから、単勝は7番人気に止まった。
レースはカワカミプリンセスに続く2着入線だったが、カワカミプリンセスが進路を妨害したとして12着へ降着。これにより繰り上がりでフサイチパンドラが優勝し、サンデーサイレンスは全世代でGⅠ勝利を達成した。
結果は5着に敗れるも、同期の二冠馬メイショウサムソン(6着)や前年の有馬記念でディープインパクトを破ったハーツクライ(10着)には先着した。
2007年(4歳)
古馬初戦は川崎競馬場で開催されたエンプレス杯(JpnⅡ)より始動し2着に入ったが、日経賞(GⅡ)とマイラーズカップ(GⅡ)はそれぞれ9着に敗れた。
ヴィクトリアマイルはコイウタ(前川清の所有馬)の12着と惨敗する。
3か月の休養を挟んで、8月に札幌で開催されたクイーンステークス(GⅢ)は5着。福永祐一はこれを最後に降板した。
9月に行われた札幌記念(GⅡ)は藤田伸二とコンビを組み、逃げ切り勝ちを収めて重賞2勝目を挙げた。
連覇を狙ったエリザベス女王杯は、後に娘の主戦騎手となるクリストフ・ルメールと組んだが、1歳下のダイワスカーレットに敗れ、2年連続の2着入線となった。
再び藤田とコンビを組んだジャパンカップはアドマイヤムーンの9着に敗れる。
陣営は次の有馬記念で引退を表明していたが、前日になって左脚の故障が判明し出走が取り消されてそのまま引退となった。
繁殖牝馬時代、パンドラ最後の贈り物
引退後は繁殖牝馬となり、2009年から2017年まで9頭産んだ。
産駒成績は6番仔までが1勝か2勝という苦戦状態が続いていたが、パンドラの死後、7番仔の牝馬がJRAの歴史を塗り替えるGⅠ9勝(牝馬三冠を含む)を挙げスターホースとして君臨した。
筺の底に残ったのは、皇帝の呪いを打ち砕く「希望」か、はたまた無敗三冠馬2頭を圧倒し、全てを恐怖させる「災禍」か…
その馬こそ、アーモンドアイである。