概要
1926年にウィリアム・ボーイングによって設立された「ボーイング・エアー・トランスポート」として創設。(詳細は下記参照。)
設立
ウィリアム・ボーイングの創ったボーイング・エアー・トランスポートはエンジンメーカーのプラット・アンド・ホイットニー(P&W)と合併しユナイテッド・エアクラフト・アンド・トランスポート(後のユナイテッド・テクノロジーズ【UTC】を経て現在はレイセオン・テクノロジーズ【RTX】)という複数の航空関連企業の連合体として航空機の製造から運行まで手掛ける会社として成立した。
これに伴いナショナル・エア・トランスポート、パシフィック・エア・トランスポートなど初期に設立された航空会社を次々統合しており、またこの買収先の一つに初めて有償旅客飛行を行ったヴァーニー航空、初めて定期運行(郵便)を行ったスタウト・エア・サービスもある。
こうして1932年には総合航空産業会社として比類なき地位を占めた…かに思えたが、反トラスト法(日本で言う独占禁止法に相当)に違反してたため航空機製造部門と運行部門に分裂した(エンジン会社のP&Wは独自ブランドの使用を認められていたため、そのまま再独立後にUTCの傘下に入る)。この内、航空機製造部門が現在のボーイングであり、運行部門が現在のユナイテッド航空である。その為にボーイングからの機体が多いのもこの関係からである。
なお、1930年にヴァーニー航空を買収させられた元のオーナーであるウォルター・ヴァーニーは1934年に新たにヴァーニー・スピードライン社を立ち上げる。しかし程なくヴァーニーは同社の経営から退き、後を継いだ友人によって同社はコンチネンタル航空と改名した。奇しくも起源の一部を同じオーナーから出発している両社は、紆余曲折を経ておよそ70年後に合併することとなる。
現在
戦前よりアメリカ国内線においてアメリカン航空と双璧をなす存在だったが、燃料代の高騰やアメリカ同時多発テロに巻き込まれたことで(175便と93便がハイジャックされてテロに使用された)利用客が激減、経営が悪化し破産したがその後経営の再建に成功した。
さらに2008年にコンチネンタル航空を合併した後、ユナイテッド・コンチネンタル・ホールディングスとして経営統合した。コンチネンタル航空との合併は対等合併であり、社名はユナイテッド航空で本社もシカゴだが、機体のデザインやロゴマークはコンチネンタル航空から引き継いだものだった。そのため一部の航空ファンから、「1970年代半ばから使い続けたチューリップマーク(UnitedのUをチューリップに見立てたためこう呼ばれた)をなぜ棄てた!?なぜコンチネンタルのマークを使うんだ!?コンチネンタルは吸収された側だろ!?」と因縁を付けられたとか。
日本との関わり合い
1970年代から日本路線の開設を望んでいたが、日本政府と日本航空はもちろんのこと、パンアメリカン航空(パンナム)やノースウエスト航空(現デルタ航空)からの反発で実現出来ずにいた。
そんな苦難を乗り越え、1983年4月、シアトル-成田線でようやく、そしてついに日本路線を開設した。
しかも日本路線進出からわずか2年後にはパンナムから太平洋路線一切合切を買い取る事に成功、1986年2月13日に一斉に切り替えた。これによりユナイテッドは企業としてさらなる飛躍を遂げることになる。
また、コンチネンタル航空との経営統合の際には、その関連会社のコンチネンタル・ミクロネシアの路線も引き継いでいる。
2022年3月の時点では成田空港、関西国際空港、中部国際空港、羽田空港、福岡空港に乗り入れている。ただし、福岡に関してはグアム線のみであり、中部線に関してはCOVID-19の影響で半ば撤退状態である。
関連タグ
客室乗務員・・・1930年に初めて女性の看護師を客室乗務員として搭乗させた。