事故概要
発生日時 | 1982年1月13日21 16時頃 |
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発生場所 | アメリカ ワシントン ポトマック川 |
機材 | B737 |
乗員 | 5名 |
乗客 | 74名 |
犠牲者 | 78名(乗員乗客74名に加えて橋の上の車に乗っていた4名) |
極寒のワシントン
その影響はワシントン国際空港にも襲い掛かり、懸命の除雪作業の後に午後一時にようやく滑走路が再開された。しかし相変わらず雪が降り続いており、いつ再閉鎖されるかわからないという状況で、管制塔は少しでも多く航空機を捌こうとてんてこまいだった。
エア・フロリダ90便も極寒の空気の中で離陸を待つ旅客機の一機だった。
凍ったフライト
除氷作業を受けた90便の機長、ラリー・ウィートンは「牽引車が動かないから」という理由で逆噴射装置でタキシングを行い、管制から注意を受ける(この部分はメーデーではカットされた)。そして離陸チェックリストを進行中にうっかりロジャー・ペティット副操縦士の「アンチアイス」という呼びかけに「オフ」と返してしまい、副操縦士もスルーしてしまう。
そして「ジェット気流を浴びれば翼の氷が吹き飛ぶのでは」と考えた機長は順番待ちのさなかにニューヨーク・エアのDC-9に過剰に接近し機体に熱気を浴びせる。
そしていよいよ離陸に移行しようと滑走路で加速し始めた時、副操縦士は(比EPRエンジン圧力比)通りにスロットルを操作した割に加速やエンジン回転数が上がらないと訝しんでいたが、機長は「寒さの所為だろ」と気にも留めず滑走を強行。
その結果機体は離陸できたが上昇することが出来ず失速し、ポトマック川にかかったロシャンボー橋(事故当時の名称、後に下記の理由で改名)に居合わせた車を巻き込みながら激突してそのまま川の水面に機首から落ちていった。橋の上では4名が命を落とした。
救助活動
この日は寒波の影響でワシントンのあちこちで事故が起きていたためそれらの対応に追われて救助リソースが圧迫されており、更にはポトマック川には分厚い氷が張っていたためボートが出せない厳しい状況だった。そのため頼みの綱は国立公園警察のヘリコプター一機だけであった。救助を託されたヘリコプターのクルー達は困難な状況である事を知りつつも己の職務を果たすために即席の命綱を作りながら現地へと向かった。
ヘリコプターが駆け付けた時、墜落から生きのびたのは以下の6名だった。
・ジョー・スタイリー(会社重役)
・ニッキー・フェルチ(スタイリーの秘書)
・バート・ハミルトン(メリーランドの購買責任者)
・ケリー・ダンカン(CA)
・アーランド・ウィリアムスJr.(銀行監査官)
このうちアーランドは機体の残骸が絡まって身動きが出来ない状態であり、他の乗客にロープを譲っていた。
現場に辿り着いたヘリパイロットはまず、バート・ハミルトン、続いてケリー・ダンカンを救助することに成功するが、その間にも氷点下の川の水が残り四人の体力を奪ってゆく。
ジョーはプリシラとニッキーを救おうと彼女たちを掴みながらヘリのロープにしがみついたが、既に両足を骨折しており、さらに流氷にぶつかった際に全身を骨折した彼もほとんど限界でまずニッキーを、そして岸まであと少しというところでプリシラを氷水の上に置き去りにしてしまう。プリシラの眼には墜落した機体から流れ出た航空燃料がしみ込んで、まわりが見えなくなってもがく絶体絶命の状態となる。
その時、一人の男が行動を起こした。帰宅の途中で事故に気付きはらはらしながらその様子を眺めていたレニー・スカトニックという連邦政府職員が極寒のポトマック川に飛び込んで泳いで彼女を掴み、やや遅れてもう一人手助けするため飛び込んだことでプリシラは救われた。
報道のために現地に駆け付けた記者はレニーの行動を「彼は自分がどれほど危険な事をしているかわかっていなかったのでしょう…彼はヒーローですよ」とメーデーのインタビューで語っている。衝撃の瞬間でレニー自身もこの時の事を「自分がどれだけ危険な行動をしているかわからなかった」と語っている。
一方、プリシラの救助をレニー達がフォローしたことでヘリパイロットたちは流されたニッキーの救助に向かう。もう彼女に碌な体力が残っていないという判断をした救助隊は、ロープは使わずにヘリのスキッドを水面に着けてニッキーをスキッドの上に乗せ、救助担当がヘリのドアのフチを掴みニッキーを支えながらパイロットがヘリを飛ばして岸まで運ぶという荒業を見せて何とか彼女の救助に成功した。
そして残されたアーランドの救助に向かったヘリだったが、その時には彼は力尽きポトマック川に沈んでしまっていた。乗員・乗客のうち助かったのはたったの5名という大惨事であった。
原因調査
事故を知ったNTSBの調査官はまず、除氷液の濃度に目をつける。温水と除氷液の混合率は気温によって変えなければならず、また、除氷を目的とする場合とその後の着氷防止を目的とする場合とでも混合比率が異なるからだ。
すると、液の成分は最適とは言えないまでも問題が発生するほどではなかったことが判明する。そもそも他の航空機は無事に離陸したからだ。
一週間後、ブラックボックスが破損していない状態で回収されたため調べてみたところ、離陸では普通よりも15秒も長い45秒もかかっていた。其処に着目した調査官は事故機はエンジンパワーがCVRにも録音される事を利用してCVRに残された音声を調べる(エンジン音以外の音を少しずつ消してゆく)ことで計測するという「この調査でしか使わなかった」と後に語る事になる方法を実行。その結果事故機はやはりエンジンは通常の7割しか出力が出ていなかったことが判明する。
そしてEPRのメーターを調べたところ通常ではありえない数値を指していたこと、CVRからアンチアイスを切ってたことから、エンジンの先端部分のセンサーが雪で詰まって実際よりも大きな数値を表示し機長は其れで数値を誤認したことが判明する。
というか、事故原因は乗員の、とりわけウィートン機長の(上記の凍ったフライトの太字部分)間違った寒冷時の航空機の取り扱いに起因していた。
このようなミスのオンパレードが機体の運命を決定づけてしまったのである。特にこのフライトで彼がやらかした「逆噴射装置を使用してのタキシング」と「離陸待機時に先発機に過剰接近して熱風を浴びる」行為は”危険なのでマニュアルで禁止されている行為”であった。
更に、この寒い時期のフライトに慣れていない機長は普段から問題だらけで、マニュアルやチェックリストを無視した操作をやらかしまくり会社から処分を受けていたのである。副操縦士も寒いときに飛ぶのは2回目だが、アンチアイスのミス以外ではまだまともな反応をしていた。寒い地域のフライトをド素人同士で組ませたエア・フロリダそのものの管理ミスでもある。
生存者のジョー・スタイリーは自家用機を飛ばすパイロットでもあったため、離陸滑走時に真っ先に異常に気付いていた。メーデーのインタビューに応じた際はパイロットとして彼らを非難し、「彼らの所為でみんなが死んだなんて……恥知らずです。」と怒りをあらわにしていた。ウィートン機長はある意味でルッツ機長よりもひどいかもしれない。
事故後
この事故によりエア・フロリダは経営が傾き2年後に倒産してしまった。
一方で勇敢な行動でプリシラを救いニッキーが助かるチャンスを作り出したレニー・スカトニックは後にロナルド・レーガン大統領から表彰された。
また、救助活動で奮戦したヘリ乗組員二人は自由勲章に加え航空業界における最高の栄誉、ポラリス賞を受賞。他の生存者の為に自らを犠牲にしたアーランド・ウィリアムスJr.には自由勲章が与えられ、更には事故に遭った橋はアーランド・ウィリアムズ・ジュニア祈念橋と改名されることになった。
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