プロフィール
以下の概要はすべて事実である!!
朝起きて牛乳のんで朝メシ食って牛乳のんで体操して出撃して昼メシ食って牛乳のんで出撃して晩メシ食って牛乳のんで出撃してシャワー浴びて寝るという毎日を送ってたら、何時の間にか戦車を約数百両以上も撃破し世界最強のキング・オブ・タンクキラーになっていたと言うリアルチート。
おまけに航空機も9機撃墜しているので爆撃機を駆るエースパイロットでもある。
さらに言うなら、被撃墜王でもある。
通称は「空の魔王」「戦車撃破王」「スツーカ大佐」、そして「アンサイクロペディアにうそを言わせなかった男」etc…
戦果
- 戦車519両
- 装甲車・トラック800台以上
- 火砲(100mm口径以上)150門以上(100mm以下も含めるとさらに増える)
- 装甲列車4両
- 戦艦1隻大破(ガングート級戦艦マラート)
- 嚮導駆逐艦1隻 (ミンスク型嚮導駆逐艦ミンスク)
- 駆逐艦1隻 (駆逐艦ステレグーシチー)
- 上陸用舟艇70隻以上
- 航空機9機(戦闘機2、爆撃機5、その他2。9機のうち1機は37㎜砲により撃墜)
これだけでも空前絶後であるが、彼は負傷した際も病院を脱走して前線にまぎれ込み、誰が壊したのかわからないスクラップ戦車を大量生産したり、同僚や部下が休暇をもらえるようマイレージの如く自分のスコアを譲ってあげたり、逆に指揮官に任命されたあとも自身が戦場に留まり続けるために自分のスコアを過小に報告するなど、何度も粉飾を繰り返していたのだ。よって――
- 撃墜数:11機
- 戦車:800輌以上
- 装甲車・トラック:1000台以上
- 火砲(100mm口径以上)180門以上
- 装甲列車:6両以上
信憑性の高い数を挙げると何故か増えるという訳分からん状態に。
ある意味ギネスブックに載ってもおかしくないスコアであり、今後更新されることはないだろう。
というか本当に更新される日は来るのだろうか?
(しかもこのソースは資本主義陣営に逃げた将兵の証言のみなので、下手したらこれより増える可能性大……)
- なお、戦艦1の戦果である戦艦マラートだが、着底して完全に海没しなかったためソ連~ロシアの公式記録では「大破」になり、後に修理されている。
- 嚮導駆逐艦ミンスク及び駆逐艦ステレグーシチーも後に引き上げられ、修理・復帰している。
逸話
- 3ヶ月目の新人時代、ソ連の戦艦マラートへダイブブレーキなしで直角に急降下し1t爆弾を投下。見事真っ二つに!
- 対空砲によって計30回撃墜されてきたがスネークばりのスニーキングで毎回生還する(ちなみに戦闘機に撃墜されたことは皆無だった)。
- 対空砲で右足を失う大怪我を負ったこともあるが「左足が残っているからどうでもいい!それよりこの祖国の危機に出撃できないのが悲しい」と慨嘆した挙句、全治半年の診断なのに義足を装着して六週間後には病院から脱走し、書類を偽造して出撃。しかし破壊者不明の戦車が多すぎてすぐにバレてしまった。
- あまりの戦果に見合う勲章が尽きてしまい、時の総統閣下は彼のためだけに黄金柏葉剣付ダイヤモンド騎士鉄十字勲章と言う新たな勲章を作った(円卓の騎士に準えて12個作られたが、受賞したのは彼のみ。というか他に居たらドイツは勝っていた…)。
- 総統閣下は何度も「面と向かっては言いにくいが、もうこれ以上は飛ぶな」とルーデルに気を遣って言っていたが、彼は先の勲章を受け取る際「もう二度と私に地上勤務をしろと言わないのならば、その勲章を受け取りましょう」とあっさり拒否り総統をシュンとさせている。(彼に口答えするだけでもとんでもない胆力だが、押し切られてしまっている辺り、彼ですらルーデルには頭が上がらなかったと思われる)
- どんな損害を被ろうが圧倒的な物量攻めで押し通す事で知られたソ連軍が、ルーデル編隊の猛攻にはたまらず撤退する羽目になった。
- ドイツの降伏を知った際「ああ、ドイツは負けたのか…」と意気消沈し、帰還。その最中、ソ連戦闘機を発見し「昨日と今日でそう急にやることが変わってたまるか」と撃墜、もう一度言うが、降伏を知った帰還中の行動である
- アメリカに投降した後、「(戦闘機に撃墜されたことがなかった戦歴から)自機にどれだけ凄まじい改造をしたのか」と質問をされたが、自信満々に「戦車の装甲をぶち抜けるよう、37mm機関砲二門を外付けした」と答えた 。アメリカ軍の専門家は「タダでさえウスノロなうえ低性能なのに、そんな重いモン付けたらいい的だろ」と詰め寄ったが「あの仕様で飛ぶのはそんなに難しいか?コレと言って難しいことをした覚えはないのだが…」と返され驚愕したとか。だが上記の通り、戦闘機に撃墜された事は無い。
- その後アメリカのフェアチャイルド社に頼まれてA-10の存在意義に疑問をもつ関係者らに対戦車戦闘の重要さ(もとい閣下の自慢話)を熱弁し、ねぼけた空軍に喝を入れた。
- 航空機撃墜数史上最多を誇るドイツ最強のトップエースたるエーリヒ・ハルトマンが「ルーデルと同じことが出来るか?」と問われた際、「チームで協力すれば可能だが、一人でやるのは無理だ。そんなこと本人以外に誰も出来やしない。」と答えた。
他にもこういった類の強烈な逸話が多数あるのだが、あまりに多すぎるので詳しくはwikipedia…よりもアンサイクロペディアを参照願いたい。『アンサイクロペディアにありそうなウソ』みたいな、ホントの話がいっぱいである。
が、魔王ルーデルも時を経るにつれ、ヒトラーの大ファンであったこと、元国防軍将校というだけではなく、呼ばれた講演会でなんの政治的な思慮もなく「第二次世界大戦はドイツの生存権のための戦争」と擁護し当時すでにドイツ社会の共通認識ではなくなっていた国防軍神話を展開したことなどから、段々腫れ物のように扱われるようになっていった。
死後も彼の周囲はあわただしく、葬儀に訓練飛行と強弁して西ドイツ空軍式の追悼飛行が行われたり(「下で誰かの葬式をしてたとしても、飛び方が追悼飛行っぽかったとしても、こっちはスケジュール通りの陣形で訓練してただけだ、知らんな」とシラを切っている)、墓地にはネオナチがおしかけ爆音で当時の国歌や軍歌をかけ、ナチス敬礼をするなど騒然となった。
亡くなって時間が経っているのでネタにしても許されている節があるが、熱心なナチ思想の持ち主で、それこそアウシュビッツにすら「そういうのは知らん」とは言っていたし、だろうなという話だが、その内容を知った後にもどちらかというと肯定的(「そんなにこの写真に関心があるなら東の方(ソ連)に行ってみろよ、写真じゃない実物があるぞ」といい、アメリカ将校に「典型的ナチ将校」と吐き捨てられている)であった、また戦後南米へのナチス戦犯の亡命を手助けし支援も行い生涯ナチズム支持者であったと言う事実は一応心に留めてもらいたい。ソ連の虐殺(粛清やカティンの森等)に関しては、ソ連側が一応連合国側であった事から黙認される傾向があったため、それに対する皮肉とも言えるが…(なおソ連の崩壊やその後継であるロシアの問題もあり、近年ではソ連の悪行もナチスと同列に語られるようになっている)。
そんな魔王の相棒達
- アルフレッド・シャルノブスキー
マラートを真っ二つにしたルーキー時代の後部機銃担当。所属部隊では最年少だった。
最期は部隊長と共に巡洋艦キーロフに特攻し戦死。この部隊長共々、この世に魔王を生み出した張本人と呼ばれる。
- エルヴィン・ヘンシェル
出撃回数1000回以上のエース。ルーデル閣下の相棒の中でもキャリアが一番長い。
敵地突破のために真冬のドニエストル川を渡ることを提言するも、実行中に溺死した。ルーデルはご存知の通り帰還した
- ロースマン
本名は不明。ルーデル閣下に捕まって後部座席に放り込まれた哀れな整備士。精神的に再起不能になって整備士に逆戻りしている。
一応言っておくとこれが普通の反応であって、他の相棒達が十分すぎるくらい異常なのである。
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4代目にして現れた閣下最高の相棒。本業は循環器系の従軍医師だったが後部機銃士としても優秀だった。
機体が撃墜されて前方に投げ出され、肋骨を3本も折る重傷を負っていたにもかかわらず、ルーデル閣下に「休んでいる暇はないぞガーデルマン、出撃だ!!」と引っ張り出された事があるが、逆に閣下の片足が吹っ飛んだ時には「脚が無くなったら痛くて喋れるわけねーだろ、そんなことより左翼燃えてるぞ、やばいから不時着だ」「気絶している暇があったら操縦桿を引け」と大声で何度も叱咤して操縦桿を握らせ、不時着したのち閣下を機体から引っ張り出して応急処置を施した。一応引っ張り出した時に初めて本当に足がないことに気がついたのだが、意趣返しを交えるあたり、はっきり言ってこの人も十分すぎる人外だ……
- エルンスト・ニールマン
元々は従軍記者だったのだが、遠出をして帰れなくなったガーデルマン(というかルーデルがまた早期自主退院して音信不通に)の後釜として後部座席に放り込まれた。
実はすでにこの時点で何百回もの出撃を繰り返したベテランであり、閣下曰く「愉快な男」なんだとか…。
戦後も閣下と行動を共にしている。頼まれてもいないのに、勝手に。
登場作品
名の通り元ネタがこの人であり、既にウィッチとしてはロートルで他よりウスノロ低性能なはずなのに未だ出撃を繰り返し戦果を上げ、勲章を貰う際「二度と私に地上勤務をしろと言わないのであれば、ありがたく頂戴いたしましょう」と宣い、負傷による絶対安静で情緒不安定になり脱走を目論む辺り等が完全再現されている魔王で変人
総統閣下はルーデル大佐にお怒りです
あの有名な嘘字幕シリーズで、ルーデル閣下を題材にしたものなのだが…。
だいたい……否、ほぼ事実である。現在はほとんど削除されてしまっているが。
各国版ルーデル
- 坂井三郎:いわずと知れた日本の撃墜王。スコアは低いが、飛行距離はルーデルを凌ぐと思われる。そしてどんなに絶望的な状況になろうと、ルーデルと同様に絶対に生還してきた。
- 江草隆繁:ぶっちゃけ、完全に日本人版ルーデル。
- リチャード・アイラ・ボング:「悪魔」を駆る撃墜王。
- チャック・イェーガー:世界で初めてレシプロ戦闘機でジェット戦闘機を倒した男。
- ネヴィル・デューク:スコアはそこそこだが不死身っぷりはルーデルに劣らず。
- ダグラス・バーダー:両足義足の撃墜王。ルーデルに無償で新たな義足を作ってくれたり、ソ連の捕虜にならないようにしてくれた。簡単な話が類友。
- ジョニー・ジョンソン:第二次世界大戦におけるイギリスのトップエース。38機の撃墜記録を持つが、撃墜されたことがないだけでなく、被弾したことが一度だけしかないという。
- レフ・シェスタコフ:ルーデルと戦って敗れたソ連の撃墜王。その優秀さはルーデルが公式に認めた程だという。
- エイノ・イルマリ・ユーティライネン:被弾したことがない無傷の撃墜王(MGS2にもいたなそんな奴)。
- ニルス・エドヴァルド・カタヤイネン:あまりにあまりな不運の連続で飛行機を壊しまくり、付いた渾名が『ついてないカタヤイネン』。しかしいずれの場合も「信じられないことに無傷」だったり、「ありえないほど軽傷」だったり、常人では即死レベルの事故も「入院」程度で済んでしまう人外レベルの幸運の持ち主。常にケガが絶えなかった壮絶な軍歴だが、それでもしっかり生命永らえて、自称『とてもついているカタヤイネン』とのこと。被撃墜数はルーデルに勝るとも劣らない程度だが、それでも終戦まで生き延びたあたり、彼もある意味れっきとしたエースパイロットだったということだろう。
補足
ルーデルの有名な伝説として、同志スターリンが名指しで「ソ連人民最大の敵」と評したり、ソ連軍によって10万ルーブル(現在の日本円にして、およそ1億円)の賞金を懸けられたというものがある。2000年代以降にネット上で広く流布されて有名となったが、これらの伝説を裏付ける一次資料は存在しない。おそらく彼の武勇伝が広まるにつれて生まれた都市伝説と思われる。
関連リンク
※今すぐにでも閣下の偉業を確認したい諸兄はこちらから↑
あろうことか、記述内容はウィキペディアより詳しい。ルーデル恐るべし!
関連タグ
異能生存体 - もちろん冗談だが、(おそらく世界一の)披撃墜回数30回超(ただし、全て対空砲によるもので、戦闘機に落とされた事は一度もない)という生存確率的にありえない数字からたまにネタにされる。
アルゼンチン - 戦後の活動拠点。
ヘルマン・ゲーリング - 空軍司令官・帝国元帥・元エースパイロット。いわば上司にして先輩。正直ルーデルの方が上なんだが……実は、軍学校時代の彼の演説が、ルーデルがスツーカ隊に志願するきっかけを作った。つまり、全ての元凶。