概要
第二次世界大戦中にメッサーシュミット社(ドイツ)が開発した、量産され、実戦に投入された世界最初のジェット戦闘機。
水平飛行で最高速度870km/hを発揮し、レシプロ機を圧倒したが、新機軸であるジェットエンジンを採用した最初期の機体故に、数多くの問題が積み上がったままでの戦力化であった。愛称は『Schwalbe(シュヴァルベ。燕の意)』。
ジェットの鼓動
1939年、ハインケル社(ドイツ)は史上初のジェット機「He178」の飛行に成功する。
He178の成功は「プロペラを使わない未来の航空機」としてニュースとなり、アメリカではP-59、イギリスではグロスターE.28/39といった飛行機を生んだ。(ジェット機の研究開始はイギリスもドイツもほぼ同時期)
この成功は当時世界中で行われていた研究への励みになったが、実態は飛ぶのもやっとの代物であった。
He178は「ジェット戦闘機開発計画」での実験機で、まだ半完成品でエンジンの出力も信頼性も低く、レシプロ戦闘機の性能を超えられなかった。
実用ジェット戦闘機の開発
He178に続くMe262とHe280は最初から実用ジェット戦闘機として開発が進められた。
機体の構成はHe280の方が先進的(Me262には無かった「射出座席」を装備していたなど)で開発も先行したが、採用予定のエンジンHeS8aが一向に実用化されず、BMW003に切り替えたがこれも実用化が滞り、Me262用のJumo004の実用化を待つ破目になった。
後から開発された分、Me262の性能は優れており、以後主役を務める。
1943年11月までに試作機V1~6が作られ、空軍での運用開始は1944年6月からとなった。
機体の特徴
- 胴体はずんぐりとしていて、正面から見るとおむすび型をしている。
- 降着装置は前輪式。
- 主翼は直線翼となる予定だったが、両翼に懸下する予定のBMW003エンジンの信頼性が低いのでJumo004に切り替える事になり、重心位置の改善のため浅い後退翼となった。空力を考えた設計ではないので、後退翼としての効果はあまり無い。
- 水平尾翼は垂直尾翼の高い位置に付いている。
- 機首にラインメタル社製の30mm機関砲(MK108)が4門集中配置される。
絶大なる火力
30mm機関砲MK108は強力で、戦闘機は1発、爆撃機すら4,5発命中すれば撃墜できた。
これを機首に4門まとめて配置しており、弾道が集中しやすい事もあり絶大な威力を誇った。
MK108は発射速度が高く、独特の発砲音と威力から連合軍爆撃機隊からは「削岩機」と呼ばれ恐れられた。
1945年4月には、主翼下にR4Mロケット弾の12連ラックが左右1つずつ懸下できるようになった。24発ものロケット弾の威力は絶大だが、誘導装置を備えておらず、命中は運頼み。
ロケット弾は元々弾道特性が悪いので、敵爆撃機の梯団に接近してから一斉発射して、敵梯団のどれかに当たればいいという位の使い方だったと言う。
(敵機にめり込んでから炸裂するよう遅動信管を付けており炸薬量が多いので、当たれば一発で撃墜できた)
MK108の機関砲弾とR4Mの弾道特性は似ていたため、幾分狙いやすくはあったらしい。
対爆撃機用に50mm砲を装備した機も試作されたが、発射速度が遅く照準も難しかったため、2機に止まった。
運用上の問題点
『加速が遅い』
当時のジェットエンジンの技術は未熟で、出力調整が難しく、スロットル操作への応答速度も遅かった。
資源不足もあって耐熱性能も低く、出力を上げると燃焼室が溶ける恐れがある。
推力の弱さは上昇率の悪さにも直結した。また、空中での姿勢が大きく変わると、そのまま失速して墜落するので急旋回は禁止である。
また、当時の技術ではエンジンの耐用時間が数十時間しかなく、事故で墜落する機体のほうが被撃墜機より多いほどだった。
一度大幅に速度を落としてしまうと、最高速度までの再加速は困難だった。
『燃費が悪い』
当時のジェットエンジン一般に言えることだがJumo004エンジンは燃費が非常に悪かった。
Me262の機体各所に詰め込まれた燃料タンクの総容量は2,570リットルになり、戦闘機としては多い方だが、30分の迎撃戦闘がやっと。コクピット周りは燃料タンクだらけで、被弾すると危険。
『航続距離が短い』
スピードに優れ進出能力が高いものの、航続距離が短いので利点を生かせなかった。
加速が遅いため目的地まである程度の距離がないと最高速度に達しないが、その頃には燃料が残り少なくなっているので、出撃のタイミングが難しい。
ヴァルターロケットをブースターとして取り付けるなどの試みもされたが、加速性能不足は終戦まで解消されなかった。何故か固体燃料ロケット・ブースター(ネーベルヴェルファーの推進に使用されていた)を試した形跡が乏しい。
『離着陸が難しい』
加速が悪く上昇が遅いので、非常時の着陸中止などが難しかった。下方視界も悪く、着陸の際は特に慎重な操作が必要だった。生産性優先で低質素材を用いていた脚部の強度が不足気味で、「とても優しく」着陸する必要があった。
この瞬間が弱点なのは明らかで、連合軍の戦闘機パイロットに狙われたため、離着陸時に味方戦闘機の護衛が必須となった。
また、高温のジェット噴射が滑走路を傷め、未舗装だと砂利などをエンジンが吸い込み故障する可能性もあり、コンクリート打ちの滑走路からしか離着陸できなかった。
『ドッグファイトが困難』
当時、双発戦闘機では単発戦闘機に格闘戦を挑むのは不利で、避けるべきとされていた。
同じく、当時のジェット機の技術ではレシプロ戦闘機、特に単発戦闘機相手にドッグファイトは無茶だった。特性を生かすには『爆撃機以外には目もくれない一撃離脱攻撃』が必要で、パイロットには敵護衛戦闘機を華麗にスルーするベテランが選ばれ、敵爆撃機クルーに非常に恐れられた。
だが戦争末期には未熟なパイロットが敵の挑発にのってドッグファイトをして簡単に撃墜されてしまう事も多くなった。
やっかい者の横槍
ヒトラーは敵に報復できる高速爆撃機を欲しており、1943年11月26日に試作機V6を見ると「電撃爆撃機が誕生した!」と宣言し、爆撃機として生産するよう命じた。これは機体の特性や戦況を明らかに無視した乱命で、工場では戦闘機型が製造されていた。
爆撃機としての生産がされていない事を知り激怒したヒトラーは、1944年5月23日の会議で今後Me262を戦闘機と呼ぶ事を禁じ、爆撃型のみ生産するよう厳命したため、機銃を2門に減らし爆弾架を追加したA-2aが作られた。
しかし機首下面に爆弾を搭載したA-2aは重心の位置が変化して操縦は難しく、対地攻撃の際に墜落・撃墜される危険が大きかった。また、爆弾の空気抵抗や重量増による性能低下も大きく、速度にして200km/h程度低下し運動性も悪くなり、活躍はできなかった。
戦闘機型(A-1a)に生産許可が下りたのは1944年8月、「爆撃機20機に1機の割合でのみ」とされた。この考えを変えさせるのに3ヶ月かかり、戦闘機の全面的な生産許可は11月となった。
JV44
1945年1月、アドルフ・ガーランド戦闘機隊総監はゲーリング空軍相と対立して解任されたが、4月にジェット戦闘機隊「第44戦闘団(JV44)」の司令官に任じられた。
人選の自由裁量権を与えられたため、全ドイツの部隊からエースを引き抜き、「最低条件は戦功賞を授与されていること」と言われてしまうほどだった。部隊員の大半が騎士鉄十字章受章者であり、新機材であるMe262を配備された。離着陸を援護するためのTa152戦闘機の部隊も一緒の基地に配備された。
まさにエースパイロットの、エースパイロットによる、エースパイロットのための部隊であった。
主な派生型
上述のように戦闘機型と爆撃機型が生産され、それぞれに試作機・生産機がある。
Me262A-1a
増槽・爆弾両用架を備えた戦闘機型。
エンジンはJumo004B、機首に30mm機銃Mk.108を4挺備える。
Me262A-1/R1
戦闘機型の主翼にロケット弾R4Mのランチャーを増設したもの。
Me262A-1a/U2
機首にFuG220「リヒテンシュタイン」レーダーを備えた夜間戦闘機型の試作機。
これは単座機だが、レーダーの扱いの難しさ故に夜間戦闘機は二人乗りの方が適している事が判明した。
Me262A-1a/U4
試作2機。武装を全て取り外し、そこへ5cm自動砲モーゼルMK.214a、もしくはラインメタルBK5を搭載し、重防御の四発重爆撃機に対して、射程外から一方的に攻撃することを目指した試作機。
とくにBK5はMe410で結構な戦果を挙げていた武装だったのだが、細い機首に収める為の無理な設計変更が祟ったのか作動不良が連発し、若しくはすぐに追いついてしまう速度差のせいで照準が付けられないのか、Me262では試作のみに終わった。
Me262A-1b
3機製造。エンジンをBMW003Aに変更した評価試験機で、最大速度は約800km/hとなって低下している。(Jumo004の場合は約900km/h)
Me262A-2a
増槽架を爆弾架に変更し、機首のMk.108を2挺に減らしてバランスを取った爆撃機型。
「総統閣下」のお墨付きではあったが、性能低下した上に 爆弾投下前後のバランス変化も悪く、大きな戦果を挙げるまでには至らなかった。
Me262A-2a/U2
試作2機。機首をガラス張りの爆撃手席に改造した爆撃機型で、爆弾(~500kg)以外の武装は排除されている。
Me262B-1a
複座練習機型。燃料タンクを潰して教官席を設けている以外、ほぼ単座型と同様である。
Me262B-1a/U1
機首にFuG218「ネプツーン」レーダーを備えた他、後席をレーダー手席に改造した夜間戦闘機型。レーダーアンテナが空気抵抗となって最大速度は810km/h程度に低下したという。武装は通常の複座型と同じくMk.108を4挺など。あくまで少数生産の暫定型のため、武装はMG151/20などいくつか計画されていたようである。
Me262B-2
胴体を延長した夜間戦闘機型。おそらく燃料タンクを増設するものと思われる。計画のみ。
Me262C
ロケットブースターを増設した迎撃戦闘機型で、
尾部にロケットブースターを取り付けたC-1a、
左右エンジンナセルにロケットブースターを取り付けたC-2b、
胴体下部にロケットブースターを取り付けたB-3aが各1機製造された。
アヴィアS-92
単座の戦闘機型で9機生産。空軍への引き渡し前に内2機がCS-92に改造された。
大戦後、チェコのアヴィア社で生産されたMe262A-1の再生産機で、チェコ国内の工場で生産されていたMe262の在庫部品(18機分)・組み立て治具などから国産化された。
ゆくゆくはチェコ空軍主力機になるはずだったが、大戦末期の技術はもはや旧式化しつつあり、またMiG-15のライセンス生産も決まると、間もなく運用が終了して全機退役となった。
主に訓練などのために生産されたが、飛行する事自体がそう多くなかった上、運用そのものも3年程度で終了している。
アヴィアCS-92
3機製造。Me262B-1に準じる複座練習機型だが、最初から複座機として製造されたのは1機のみで、残りはS-92から改造された。
「プロジェクトMe262」
21世紀に入ってアメリカで設立されたMe262レプリカ生産計画で、単座・複座合わせて5機が復刻されている。もちろんオリジナルのJumo004Bは入手できない為、替わりにGE社のCJ610エンジンを搭載する。
後世への影響
戦後、連合国はドイツから接収した研究資料や技術者を通じ、Me262を含むジェット機に関する先進的な技術を獲得して航空機開発に活かし、F-86やMiG-15などの第1世代ジェット戦闘機はこの影響の下に誕生した。
ウィリー・メッサーシュミット社長も、1950年からイスパノ航空機(スペイン)でジェット練習機HA200 サエタの開発にあたっている。
Me262のパーツ製造を行っていたチェコスロバキアでは、戦後工場に残されていたパーツを利用した再生産機S-92を少数生産している。
余談
ストライクウィッチーズの2期5話で新型のジェットストライカーとしてMe262v1が登場してゲルトルート・バルクホルンが使用している。従来のレシプロストライカーを凌駕する性能を持っていたが、装着者の魔力を過剰に吸収すると言う欠陥が発覚し、開発者ウルスラ・ハルトマンに回収された。
その後、OVA「サン・トロンの雷鳴」にも登場し、エーリカ・ハルトマンが使用した。