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F-84

えふはちよん

P-47に続き、リパブリック航空機が開発した戦闘機。朝鮮戦争当時の最新鋭ではあったが、MiG-15に空戦能力では劣る。そのかわり搭載力には優れており、戦闘爆撃機としてよく活躍している。その後NATO諸国にも輸出され、西側世界で標準的な戦闘爆撃機として地位を築いた。
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XP-84編集

P-47に続くリパブリック航空機の新たな戦闘機、XP-84の開発作業は1944年に開始された。この機はP-47の胴体を流用し、そのままジェットエンジンを搭載した戦闘機だったので「とりあえず」の生産には向いていた。


だが性能面では見劣りし、また大戦中は現状の戦闘機でも性能面で困る事は少なかったので、一度は設計を破棄し、ゼロから開発をやり直している。


「サンダージェット」編集

その後刷新された図面で計画は再開され、最初の試作機XP-84は1945年末に初飛行を遂げた。とくに試作2号機では当時の速度記録を塗り替え、高性能ぶりをアピールしている。その後テスト用としてYP-84Aが制作され、そこから実用としたF-84Bが配備されていった。しかし、実際に配備してみると不具合が多く発生したため、続く改良型のF-84C、F-84D、F-84Eと、不具合は解消され、完成度は高まっていった。直線翼のF-84としてはG型が決定版となり、2tにおよぶ搭載力と頑丈さを武器に挑戦半島を駆け回った。


F-84の特徴は、細いアリソンJ35エンジンを採用したことによる、これまた細身の胴体で、当然F-80FJに対抗できる性能のために空気抵抗を少なくし、なだらかにする為のもの。また当時の戦闘機はもちろん発展途上にあり、試行錯誤の繰り返されている段階であったが、このF-84にも試行錯誤は取り入れられている。


主翼は中翼配置となっているが、この桁はエンジンダクト内を通していない。

F-84は初めてエンジンダクトを避けた構造材(メガネ型円框:メガネがたえんきゅう)を採用し、エンジンの効率を落とさぬような設計を実現している。


「後退翼」へ編集

しかし、いくら戦闘爆撃機としては有用な機だったとはいえ、F-86のような優秀な機が登場した以上、いつまでもこれを生産し続ける訳にはいかない。メーカー的にも、さらなる発展は必要だった。


そこで1949年末、F-84の後退翼化が試されてYF-96Aが試作された。

しかし、後退翼化には操縦性・安定性など多くの問題を生むだけでなく、主翼付け根にかかる荷重にまつわる構造にもかかわる問題をはらんでいるため、そう簡単にはいかない。そして、YF-96にはそうした皺寄せが重量化につながったのだから、それはもう惨めな上昇力に留まってしまうのは仕方のないことだった。


そこで大幅な材料置換が行われ、それに伴って設計や工法にも大胆な修正を加えたF-84Fが登場した。F-84FではエンジンもJ65に換装され、速度性能は向上した。だがやはり重量化は避けられず、数値はF-86をわずかに上回る程に留まった。


また、この後退翼型F-84は偵察機ベースにも使われた。エアインテイクを主翼付け根に移し、機首に偵察カメラを収容したRF-84F「サンダーフラッシュ」である。RF-84Fはエアインテイクの効率が低下したために最大速度は戦闘機型に劣るが、空力的には改善されたおかげで巡航速度には勝る。


実戦とF-84編集

こうして配備の進んでいたF-84(F-84G)は、1950年から朝鮮戦争に最新鋭機として投入された。

しかし、MiG-15には思うような戦果を挙げることはできず、航続距離と搭載力、そして頑丈さを生かして戦闘爆撃機として活躍した。その搭載力はおよそ2tにもなり、ジェット戦闘機としては初めて核爆弾の搭載を可能にしている。


空戦能力ではF-86に及ばないものの、戦闘爆撃機としての使い勝手のよさは都合がよく、各国で50年代の航空戦力を担った。D型以降は機体強度が増されて無理がきくようになり、MiG-15を無茶な機動に持ち込んで撃墜(マニューバ・キル)した事例もある。最新の照準器と相まって爆撃にも向き、また離陸距離が長く、いつまでも滑走路を走り続ける様から「ホッグ(豚)」ともアダ名され、F-84Fでは「スーパー・ホッグ」、F-105は「ウルトラ・ホッグ」、A-10はご存知「ウォート・ホッグ」にも引き継がれている通りである。


主な派生型編集

XP-84「サンダー・ジェット」(以下特記ない場合はすべて同様)編集

最初に製造された試作機。2機製造。


XP-84A編集

試作3号機。エンジンをJ35-GE-15としてパワーアップを図った。

のちに機首を塞ぎ、NACA考案の平滑型エアインテイク実験用に改造される。


YP-84A編集

15機製造された先行生産機。主に運用テスト用に使われた。


F-84B編集

初の生産型ではあるが、トラブル続出により評判は良くなかった。

まず1947年にはマッハ0.8での飛行中にエルロンリバーサルが起こり、機体外板にも皺が寄る事例が発生(=機体の強度不足)したため、最大荷重を5.5Gまでに制限する措置が取られている。


B型では生産・配備初期だったために予備部品が少なく、新型機というだけあって内部も複雑な新型装置で埋め尽くされていたため整備性が悪く、「整備士の悪夢」と呼ばれた。アリソンJ35エンジンもまた初期のターボジェットエンジンで、オーバーホール間の耐用時間がおよそ40時間と短かった。本来ならば次々に新しいエンジンに交換しながら運用しなければならなったのだが、J35は他にも様々な機に採用された為に供給が追い付かず、よって飛行試験も十分では無かった。空力も検証が不十分(主翼チップタンク等)で、1948年5月には全機飛行禁止となってしまった。改善措置が施されたが52年にはすべて退役。


F-84C編集

出力を妥協して、信頼性では多少はマシだったJ35-A-13に戻す。

電装・油圧・燃料系に改良を施してB型で起こった問題の解決を目指した。しかし機体そのものはB型同様であり、改善措置にもかかわらず52年にはすべて退役。


F-84D編集

B/C型の反省を生かし、問題解決に取り組んだ。構造には本格的な改設計が取り入れられ、外板は厚みを増やされて強化された。エンジンはJ35-A-17Dとし、主翼チップタンクには高G時にかかる主翼の負担を減らすためにフィンが追加された。52年までに空軍から退役し、州兵では57年まで運用された。


F-84E編集

戦闘爆撃機として実戦装備を施し、初めて実戦に耐えうる機となった。

主翼強度を増し、電子機器収容のため主翼前後でそれぞれ約30cm・7.5cm延長、APG-30レーダーにA-1C射爆照準器、その他の実戦用機器を備えた。主翼内舷側パイロンには増槽用配管を備え、戦闘行動半径はそれまでの約1400kmから1610kmに向上した。56年まで空軍、59年まで州兵で運用される。


F-84F「サンダー・ストリーク」編集

F-84Fは高性能化を狙って、それまでの直線翼を後退翼にしたもの。エアインテイクは機体左右に移設している。エンジンはロールスロイス・シドレー「サファイア」をライセンス生産したJ65で、これはJ35(約25KN)を大きく上回る32KNを発揮する。


YF-96とも呼ばれ、爆撃ならともかく、空戦には不向きだったF-84を安価に「F-86並みの高性能機」に変身させるべく開発された。F-84に属するとおり、他の直線翼型とは製造上での共通性を多く持たせ、3割増し出力のエンジンと相まって空軍主力の一角を占める筈であった。実際には製造工程で問題が多く発生して生産が進まず、また実際に飛行が始まっても操縦性・安定性が悪くて実用までに時間が掛かった。


しかしF-84Gよりも性能は良く、当初こそ問題を抱えたものの改善され、58年まで現役に留まった。その後ベルリンの壁建設(1961)に伴って緊張が高まると、核爆撃機の数を揃えるべく再就役、ドイツに派遣された。しかし翌年に構造腐食が見つかって全機が飛行停止、状態の良かった機は修理した上で64年まで運用、さらに州兵にまわされて71年まで運用されていた。LABSにより核攻撃対応。

2711機が製造され、内1301機はNATO向け軍事援助用となった。


RF-84F「サンダー・フラッシュ」編集

F-84Fは機首のエアインテイクを主翼付け根に移設していたが、こうして開いた機首を偵察カメラに使った偵察機も開発された。光量・速度・高度に応じて自動的にカメラを調整できる機構を備えるなど、当時としては先進的な装備を備え、最大15台のカメラを収容可能だった。

54~57年にかけて運用され、F-84Fと同じく1961年に再就役し、州兵では72年まで運用された。


F-84G編集

エンジンにJ35-A-29を備え、LABS(低高度爆撃装置)により核攻撃に対応。

キャノピーにはフレームが多くなり、エンジンの吸気量増大に対応して補助インテイクを備える。NATO各国用も一緒に3025機が生産された。


XF-84H「サンダー・スクリーチ」(非公式名称)編集

50年代、元々は海軍が「カタパルトを必要としない船団護衛戦闘機」を開発しようとした事が契機であった。この計画が中止された後、アリソンXT40エンジンと「超音速プロペラ」の実験用に供されたのがXF-84Hである。


しかしXT40エンジンは振動が強烈で故障も多発し、一度などはボルトやナットをバケツごとエアインテイクに投げ込んで漸く停止できた程だった。動かないならともかく、止まらないってどういう事だよ

XF-84Hでもこうしたエンジン・ギアボックスの問題は続出し、超音速プロペラともども実用には程遠い性能しか記録しなかった。


「サンダー・スクリーチ」と呼ばれたのも、運転中に強烈な金切り音を発するためで、エンジンが回っている間は会話が全く出来ない程だった。一説には「(砂漠だから)40km彼方から聞こえた」とされ、地上職員は全員吐き気・頭痛を起こすのが常。ある事例には、聞くや否や気絶して気が付くまで30分もかかったという事も。


性能は超音速どころか850km/hにも達せず、こんな有様では運用にも問題があるのは明らかだった。メーカーのテストも一向に進まず、空軍は56年9月に計画を中止した。


YF-84J編集

J73エンジンを搭載した型だったが、F-84はこれまでに相当な改造費を費やしていたために予算を使い果たして開発中止。戦闘爆撃機の座とエンジンはF-86Hに引き継がれた。54年4月7日に水平飛行でマッハ1.09を記録。


様々な実験機編集

F-84は当時としても頑丈な戦闘爆撃機となり、様々な実験にも駆り出されている。


EF-84D編集

このMX-1016計画は「チップ・トウ」とも呼ばれ、高高度で爆撃機の翼端に戦闘機を合体させることで翼幅を稼ぎ、空力を良くして航続距離を良くしようという計画で、長距離にわたる戦闘機護衛と航続距離達成を両立させる事が目標であった。


このためにB-29AとF-84D(2機)が合体試験機に改造された。実験は一応成功したが、続いて合体作業を自動化する試験に移ったところ、最初の実験で合体した機がいきなり横転してEB-29Aの主翼をへし折った。この事故でEB-29Aの5名、EF-84Dの1名は全員が死亡し、計画は中止された。


EF-84E編集

各種テスト機。

1機はプローブアンドドローグ式空中給油テスト機。

受油装置は左翼中央部に設置され、後に生産機では主翼チップタンクに受油装置が取り付けられた。


別の1機はB-36を母機とするFICONテストに用いられた。また2機が局点防空用のZEL計画のために改造され、ロケットブースター発進・ゴムマット着陸の試験が行われた。


RF-84F(トムトム計画)編集

概要そのものはチップ・トウ計画と同様。

今度は偵察機2機を「連れ歩く」ため、やはり主翼端で合体して飛行する。しかし合体時が危険であることには変わりなく、また空中給油が上手くいくようになっていた事から、どうしても合体させる必要が無くなって中止された。

EF-84Dの失敗が身に染みていたのか、自動化の行われなかったようである。


RF-84K編集

RF-84Fの改造機で、RB-36Fに合体するための機構を備えている。

XF-85が失敗した事で、護衛戦闘機を連れ歩く考えは放棄されたが、「ヴァクミストロフの親子飛行機」のように、小型機の能力を引き出すための手段として再注目された。

(「諦めが悪かっただけ」ともいう)


まずRF-84を予め合体させたRB-36が離陸し、敵領空に接近。十分に近づいたところでRF-84を発進させ、偵察ないし核攻撃を実行した後、再びRB-36と合体して帰還する、というものである。


鈍重で巨大な爆撃機がジェット戦闘機の前にノコノコと現れない分、寄生戦闘機(XF-85)案よりは現実的な案かと思われたが、合体にはやはり熟練の技が必要で、荒天時や戦闘状況下、または未熟なパイロットが操縦していた場合の安全性は保障できなかった。


結局はU-2が実用化され、またB-36の性能が陳腐化した事もあって計画は中止された。

RF-84Kは25機が改造され、計画中止後もRF-84Fと共に運用されている。現在は博物館に3機が現存。


XF-91「サンダー・セプター」編集

ジェットエンジンに加え、ロケットブースターを標準装備した迎撃戦闘機。Me163のようなナチスドイツのロケット戦闘機に触発されて開発が始まった。

特徴的なのは翼端失速の対策に、主翼の先端にかけて前後幅が太くなる「逆テーパー翼」を取り入れている。こうすれば揚力は主翼端で多く発生するようになり、翼端失速を抑えられると考えられた。


しかし滞空時間は25分に過ぎず、広大な全米本土に対してその程度では到底間に合わないのは明白であった。結局ロケット迎撃機計画は中止され、空軍ではジェット機によるWS201A計画、通称「迎撃機1954」計画を検討するのであった。


ただロケットブースターを利用した事で速度は速く、戦闘機としては初めて水平飛行で音速を超えた機となった。また2機が製作され、2号機には最初からレドームが設けられ(レーダーなし)、続いて1号機にも適用された。この2号機はのちのエンジン火災で尾部を焼失し、代わりに蝶型尾翼(V字型尾翼)に改造されてテストに用いられた。


・XF-91の性能

最大速度:高度約14500mで1584km/h(マッハ1.49)

航続距離:約1900km(おそらくジェットエンジンのみ)

上昇限度:15000m~17000m

上昇力:15000mまで5分30秒

武装(F-91):20mm機銃4挺、HVAR、AIM-4「ファルコン」等が提案されていた模様。


参考資料編集

Republic F-84 Thunderjet

Republic F-84F Thunderstreak

Republic XF-84H Thunderscreech

Republic XF-91_Thunderceptor

Allison T40

FICON project

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