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Ho229

えっちおーにひゃくにじゅうきゅう

Ho229とは、第二次世界大戦後期にドイツで開発された全翼戦闘爆撃機である。
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開発経緯

事の始まりは1943年。 ヘルマン・ゲーリングは3×1000計画を計画した。これは「時速1000キロメートルで1トン(=1000キログラム)の爆弾を搭載して1000キロメートルの距離を行動できる爆撃機を作る」という計画である。(一見するとぶっ飛んだ計画に見えるかもしれないが、速度以外はHe111爆撃機がすでに満たしていたりする)

少年期からグライダーや全翼機に興味を持っており、当時のドイツで盛んだったグライダー競技会の少年向けスケールモデルグライダー部門で1931年~1933年に連続優勝するほどの腕前であったホルテン兄弟は、空軍での勤務の傍ら、無尾翼機の研究開発を行っていたアレクサンダー・リピッシュ 博士の指導も受けて全翼機の設計・製作を続けていた。
兄弟はこの計画にジェットエンジンを動力とする全翼機を製作するというホルテンIX計画で応募した。

1943年8月ゲーリングは兄弟と面会し提案内容を承認、ドイツ空軍はホルテン兄弟に50万ライヒスマルクの援助を約束し計画は実行されることとなったのである。

開発

1944年3月1日、無動力のプロトタイプ、型式番号H IX V1の初飛行が成功。

1944年12月に完成したジェットエンジン動力のH IX V2は満足すべき性能と安定性を見せた。

ただ、V2は2月26日のテストフライト時(通算4回目、飛行時間2時間弱時)にエンジンのフレームアウトを起こし墜落、炎上した。 緊急着陸に失敗したパイロットのエルヴィン・ツィーラーは死亡。 
しかしテストフライト自体の結果は良好であり、高性能を喜んだ空軍は本機をHo229として制式化。 戦局を覆す可能性がある高性能機として軍当局の期待は高く、複座型や夜間戦闘機型といった多様な派生型が計画、製作された。

しかしながら製作は間に合わず、結局ドイツは敗戦し製作も打ち切られた。

一番完成度が高かったV3はフリードリヒシュローダにあったゴータ社工場で侵攻してきたパットン将軍指揮下のアメリカ陸軍第3軍に鹵獲された。現在はアメリカ国立航空宇宙博物館のP.E.ガーバー施設にて保管されている。
(なおこの機体には鉤十字が塗装されているが、これは鹵獲したアメリカ軍が描いたもので本来はなかったらしい)

スペック

乗員1名
全長7.47m
翼長16.76m
全高2.81m
翼面積50.20 m²
自重4,600kg
最大離陸重量6,912 kg
動力ユンカース Jumo 004B-1 ターボジェットエンジン(推力900kg ×2)
最高速度977 km/h
戦闘行動半径1,000km
航続距離1,300km
上昇限度16,000 m
上昇率22 m/s
武装30mmMK 108機関砲×2、55mm R4Mロケット弾、500kg爆弾×2


ちなみに、本機は塗料には炭素粉を使用しており、世界初のレーダーステルス機といえる。
また機体は鋼管フレームにベニヤ板のような戦略物資を使わない設計がなされており、 生産性は高かったと考えられる。

2009年にナショナル・ジオグラフィックは本機を復元する特別番組を制作。ノースロップ・グラマンの協力により本機の設計図を元にレプリカを作製してステルス性を検証し、当時のイギリス軍レーダー網に対する十分なステルス性を確認した。 (とは言っても「映りにくい」程度であったが...)

もし実際に生産され実戦投入されていた場合、レーダーで確認し辛いため奇襲しやすかったとは考えられる。 また全翼機であるためピッチングはかなりしやすかったと考えられるため、Me262とは異なりレシプロ戦闘機との格闘戦もある程度は可能だったと考えられ、30mm機関砲の火力も併せて考慮すれば強力な戦闘機になっていた可能性もある。
ただしこの頃のジェットエンジンは性能が高いわけではなく、加速が鈍い上に離着陸が難しかった。 燃費もあまりよくなかったと考えられる。(これはMe262も同じ) 特に着陸は設計上前輪がかなり大きいため下方視界が悪いという事もあり難しかったと思われる。

関連タグ

戦闘機 レシプロ機 ジェット機 ステルス機 全翼機 ヘルマン・ゲーリング
War_Thunder...Ho229 V3として爆装のない夜間戦闘機型が実装されている。

RQ-170...ロッキードのUAV偵察機。 Ho229によく似ている。

NieR:Automata...同名の飛行ユニットが登場しており、実機のHo229をモチーフとしている。

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