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XF-85

えくすえふはちごー

愛称は「ゴブリン」。最も醜い戦闘機には相応しい名である。B-36爆撃機の爆弾倉への収納を目指した宿り木戦闘機であった。諸般の事情で試作のみ。詳細は本文にて。
目次 [非表示]

護衛戦闘機の必要性編集

第二次大戦後期、連合軍は勢力を盛り返していた。

連合軍の爆撃機は、戦闘機の手の及びにくい高高度を巡航し、日夜空襲を続けていた。


しかし、それは決して楽な任務だった訳ではない。

編隊を組んで飛行する爆撃機は、個別の回避運動をとれないのだ。

そこに戦闘機は自由に来襲し、爆撃機の機銃座をものともせずに銃撃を加える。

こうなっては、いくら重防御を誇る爆撃機でも堪らない。

瞬く間に被害は拡大し、1機あたり十数人の乗る爆撃機は次々に未帰還となっていった。


そこで強調されたのが護衛戦闘機の必要性である。

「戦闘機の相手は戦闘機で」という訳である。

爆撃機に比べて航続距離の短い戦闘機だったが、ドイツ空襲ではフランスの飛行場、日本空襲では硫黄島の制圧や空母艦載機と、より目標に近い飛行場を確保できるようになり、

戦闘機爆撃機を護衛できる要件が整ってきたのだ。


護衛戦闘機には高高度性能やスピードに優れ、航続距離も大きいものが選ばれた。

(または増槽を使ってもよい)

P-47P-51、また夜間の護衛ではイギリス空軍のモスキートが有名である。

これらの護衛戦闘機の活躍で、爆撃機の被害は最小となった。

護衛戦闘機は迎撃機を追い払い、または撃墜したのである。

こうして護衛戦闘機は爆撃機の守護神となったのである。


苦肉の護衛爆撃機(編隊護衛機)編集

護衛戦闘機が随伴できない以上、自力で何とかするしかない。

そこで生み出されたのが護衛爆撃機XB-40である。

場所はヨーロッパ戦線、元になったのは当時の主力爆撃機B-17だ。

これに銃座を増設し、さらに12.7mm機銃のほとんどを20mm機銃に換装して火力を強化した。

しかし、代償として重量と空気抵抗で速度は低下。


実際に出撃してみると、爆弾投下前でも編隊から遅れ気味、爆弾投下後は完全に置いてきぼりになった。このために爆撃機編隊はスピードを落とさざるを得ず、護衛爆撃機は護衛するどころか、むしろ足手まといとなった。

このような鈍足な邪魔者では誰も連れて行こうとはせず、計画は放棄された。

のちにフランスの飛行場を占領し、護衛に戦闘機が随伴できる頃になると、

もはや誰も思い出さなかった


空中艦隊構想の敗北編集

この考えは戦間期にまでさかのぼる。

1925年、イタリアではムッソリーニが政権を握り、独裁体制を宣言していた。

ムッソリーニは軍備の大幅増強により『ローマ帝国』の再現を目指しており、

陸・海・空軍はそれぞれ大幅に増強されることになった。

そのなかでも特に重視されたもの、それが空軍だった。


具体的には『1000機の第一線機をそろえること』を目標にしており、

その事は当時の空軍将校ドウエー将軍の理論にも象徴されている。

ドウエー理論の特徴は空軍の第一目標は敵の都市・産業である』と提唱した事である。

この思想はまさしく戦略爆撃であり、第二次世界大戦では各国が目標とし、多用した。


だが第二次世界大戦終結後、戦略爆撃は戦局に直接的影響をさほど及ぼさず、むしろ戦後復興を面倒にさせるだけとして、弊害ばかりが表面化することになった。戦略爆撃は相手国の戦争継続を困難にはするものの、敵部隊を直接叩かなかったので戦局に影響しなかったのだ。


つまり、戦略爆撃で補給が途絶えても目の前の敵の強さは変わらないのだ。

弱くなり始めるとしたら数週間~数か月後という事になるし、戦争は短く終わらせるにこしたことは無いのだ。

(これは孫子の「兵法」にも書かれている)


また、戦略爆撃は相手国(必ずしも敵国とは限らない)の民間産業にも大きな被害を与え、

モノの被害だけでは無い、人間の被害(とくに民間)も甚大なものになる。

つまるところ敵は弱くならず、なのに恨みは積み上がる戦略爆撃は流行らなくなったのである。


また、爆撃機そのものにも無理があった。

爆撃機はそこまで無敵ではなく、場合によっては戦闘機の一連射で墜落してしまう。

効果はじわじわ、なのに犠牲はやたら大きい戦略爆撃は、ここでも否定されたのである。


孫子の兵法編集

ここで書かれていた事は、

『戦争を短く終わらせて勝った例はあっても、長く続けて勝った例は無い』

という事である。

ベトナム戦争アフガニスタン侵攻など、枚挙に暇がない教訓である。

経済が疲弊しては戦争継続が困難になるのだ。


もっとも、何事も例外がある。

その例外こそが他ならぬアメリカによる日本本土空襲である。

ムッソリーニやドウエー将軍が求めた数の更に3倍にあたる約3,000機B-29を揃え、日本の継戦能力を奪うことにある程度成功した。

だが、その代償も大きかった。その1割を超える400機以上のB-29が喪失となり、3,000名以上の戦死者を出した。その損害の9割は明確に日本軍の迎撃によるものだった。

また恨みはきっちり買い、特攻をエスカレートさせ、米海軍の被害を増すことになった。

結局最後のひと押しを得る必要があり、最終的に核兵器に頼ることになった。


日本人独特の怒り・恨みが長続きしない気質のお陰で、アメリカが戦後長く恨まれることはなかった。精神的には。アメリカのこの空軍力の根幹となった自動車産業は日本車によってメチャクチャにされる


モスクワに核爆弾を落とせ!(理想)編集

さて第二次大戦が終結し、一見平穏をとり戻した世界ではあったが、実際には冷戦と呼ばれる平和であった。二大戦勝国であるアメリカソビエトは互いに警戒し、軍拡を続けた。その中でもアメリカは先の大戦での勝利を再現すべく、空軍力の強化に血道をあげた。


さて、ようやく完成した核爆弾であったが、ここで一つの問題が生まれた。爆撃機の問題ではない。護衛する戦闘機が無いのである。

いくら大戦時よりも技術が向上しているとは言え、戦闘機に全行程を護衛させるなど不可能だった。

(現在でも空中給油が無ければ不可能である)

護衛する戦闘機がいなければ、先の大戦の悲劇を繰り返す事になってしまう。

何としても、護衛戦闘機は必要だった。


秘策のいろいろ編集

何としても戦闘機の護衛をつけたい、そのために様々なアイデアが考案された。

最初に考案されたのがこの、XF-85とB-36を合体させ、

爆弾倉の中に収容する「宿り木戦闘機」というアイデアである。


次に考案されたのが、飛行中に翼端をつなぎ合わせる「トムトム計画」である。

また、この計画には合体分だけ翼端が広がり、高高度での空力も稼げる利点があった。


同じころ、ソビエトでも別に離陸した戦闘機をワイヤーで曳航するという、

「ブルラキ計画」を考案した。

こうして両国は次なる戦争に備え、実用化に向けて動き出した。


たったひとつの顛末、『テメーは俺に近づきすぎた』。編集

結論から言えば、どれも失敗である。


「ブルラキ計画」は敵戦闘機を発見してから発進しようとしても間に合わず、

「トムトム計画」に至っては合体に失敗して空中衝突し、母機・子機ともに墜落した。

合わせて十数名の搭乗員は全員死亡するという、最も悲惨な結果に終わっている。


このXF-85とB-36の「宿り木戦闘機」計画も、実験段階で中止された。

実際にB-36と合体させる前に、B-29改造の母機(EB-29B)で実験したのである。


このXF-85の飛行実験は当初、母機から分離するだけのグライダーとして開始された。

着陸装置を持たないため、通常のような離陸が不可能なためだ。

(本来ならば着陸も不可能なのだが、実験なので仮設のソリを取り付けた)

のちにエンジンが装備され、自力での初飛行は1947年8月23日となった。


初飛行は母機から発進し、再び母機に戻る予定だった。

だが実際に合体を試みると、予測以上の困難が待ちうけていた。

母機の後方は気流の乱れが激しく、接近を試みたとたんに機体が不安定になったのだ。

結局どうしても合体できず、燃料を使い切って仮設ソリで不時着した。

第1回目の飛行は失敗だったのだ。

続く10月14日、2度目の実験では合体に成功したが、

実験は合体できたり、出来なかったりが続いた。


結局、この「宿り木戦闘機」はモノにならなかった。

爆弾倉に収容するため、超小型に設計したのがアダとなった。

小型ゆえに方向安定が不足し、巨大な爆撃機周辺の乱気流に耐えられないのだ。

合体に失敗、または衝突して墜落する危険が大きすぎた。


空中給油に実用化のメドが立ち、この危険な計画は中止されることになった。


醜いゴブリン(子鬼)について編集

B-36の爆弾倉に収容するため、徹底した小型設計が為されている。

・エンジンとコクピットを収容するだけで精一杯の胴体

・小さな主翼。のちに方向安定板も追加

・安定性不足で増設を繰り返し、複雑怪奇をきわめた尾翼(4枚→5枚→6枚)

・機内燃料は30分だけ

・武装は12.7mm機銃4門

このような設計の努力にもかかわらず、現実には使い物にならなかった。


また、運用にも疑問点が多い。

・30分の燃料でどうやって守るのか

・合体できなかったらどうするのか

・そもそも、この戦闘機で間に合う相手なのか

朝鮮戦争で明らかになった事だが、MiG-15は非常に撃たれ強かった。

という事は、12.7mm機銃4門では火力も不足している。

(F-86も火力で苦労し、この後の戦闘機は20mm機銃4門が標準となった)


どちらにしても、こんな戦闘機ではムリだったのだ。

こうしてこの漫画のような戦闘機は、漫画のようにはいかずに失敗した。


その後の展開編集

米ソともに空中給油を実用化し、護衛戦闘機を「つれて歩く」考えは放棄された。

アニメなら簡単に出来そうだったのに・・・


歴史は繰り返す編集

冷戦も末期のころ、

航空戦力のいち早い展開を狙ってボーイングやロックウェルがある計画を構想した。

旅客機改造の母機から発進する、戦闘機の構想である。

これらは「マイクロ戦闘機計画」と呼ばれた。

しかし、簡単な想像図が描かれたまでで構想は見捨てられた。


その図によれば、

戦闘機がボーイング747の中に、上下に重ねて収納されていた。

(ボーイング案は8機、ロックウェル案なら9機収容できる)

機体の下部には発進用の設備があり、飛行中でも戦闘機が発進できるようになっている。


しかし発進はまだ良いとしても、収容はどうするのだろう。

そのまま地上の基地に着陸するのだろうか?

基地に戻るのなら、そもそも母機に乗せる意味は薄い。


また、8機も9機も積み込んで、母機は一体どうやって離陸するつもりだったのだろう?別々に離陸して、その後空中で収容する事も考えられるが、それもXF-85と同じ問題が待っているだけである。

また、収容しても重心の問題がある。発進できなくなったら、一体どうするのだろう?

そもそも機内に8機も収容した大型機など、離着陸できる滑走路が本当にあるのだろうか?


考えるほどに謎である。

第一そんな面倒かけなくても、空中給油すればいいじゃないか。


収納は諦められたが、発進に関してはNASA等が保有するベルX-1等の実験機の運用やホワイトナイトに搭載されるスペースシップといった限定的な用途でのみ使用されるにとどまっている。


なお、ゲームエースコンバット3でも大型機に搭載され、目標近くで投下されるパラサイトファイター レモラが登場している。

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