ピクシブ百科事典

Me163

えむいーいちろくさん

ナチスドイツの生み出した、人類史上唯一の実用ロケット戦闘機。桁外れのスピードは連合軍爆撃機を震え上がらせたが、航続距離が極端に短いことが明らかになってからは『基地のある辺りは通らない』という対策によって「完全に」無力化された。通称は『コメート』(彗星)。
目次[非表示]

人間とロケット

推力としての活用を別にすれば、ロケットの歴史は古い。
A.D.850頃に書かれた『真元妙道要路』には、すでに黒色火薬の製法が掲載されていた。
以降、火薬は人類の歴史にたびたび登場し、それは現在も続いている。

兵器としてではなく、宇宙へ飛ぶための推進力としての用法は19世紀の後半以降である。
『宇宙開発の父』ことコンスタンチン・ツィオルコフスキーが、ロケットならば宇宙へ行ける事を計算で証明したのだ。続く1926年、ロバート・ハッチンス・ゴダード(アメリカ)が人類初の液体燃料ロケット打ち上げに成功。

第二次世界大戦の後、研究はセルゲイ・コロリョフ(ソビエト)や、ヴェルナー・フォン・ブラウン(ドイツ)らに担われて、急速に宇宙を目指していく。『米ソ宇宙開発競争』の始まりである。

ロケット×航空機in1920's

さて、航空機ロケットを組み合わせる構想は1920年代から存在する。だが当時のロケットエンジンは非常に扱いが難しく、燃焼の制御も燃料の扱いも困難というありさまだった。
(現在でも難しい方だが)

1937年、ヴェルナー・フォン・ブラウンがA1ロケットエンジンを開発し、それをハインケル博士(ハインケル社)がHe112に搭載して実験を行った。同年6月には離陸~着陸までをロケットエンジンで行い、実用化に先鞭をつけている。

1938年、アレクサンダー・リピッシュ博士のDFS39(グライダー)に、HWK-R1型ヴァルター式ロケットエンジンを搭載した実験機が提案される。
(提案元は空軍省とリピッシュ博士、両方の説がある)

この機は「DFS194」と命名され、リピッシュ博士はメッサーシュミット社内部に「L部門」を組織して開発に当たることになった。

「HWK-R1」とは

燃料は高濃度の過酸化水素(T液)と、ヒドラジン・メチルアルコール混合物(C液)からなる化学燃料ロケットである。

過酸化水素液の化学式は消毒薬(オキシドール)と同じものだが、T液は極めて高濃度で、もちろん有害なものである。身体にかかった場合は即座に酸化反応がおこり、全身大やけどを負う可能性がある。

C液のヒドラジンとメチルアルコール混合物も当然有害物で、特にヒドラジンは肌に触れると同様に大やけどを負う。肌でもこうなのだから、吸いこんだ場合は当然気管に酷い炎症を起こすことになる。

つまり両方とも危険極まりない物質というわけで、扱いには細心の注意が必須になるのである。
ナチスドイツではこういった危険物質の製造にユダヤ人を動員しており、
(ゲットーはこういった労働力の供給元でもあった)
もちろん負傷・死亡する事例も多かったと言われている。

『彗星』来たる

1939年末、DFS194初飛行。
ドイツ空軍省はDFS194を「Me163」と命名し、さっそく試作機を3機発注した。

開発は続き、1941年にはエンジンなしの降下飛行(滑空)で855.8km/hを記録。
同じくエンジンが改良されたHWK-R2-203型となり、こちらでの最高速度はなんと1011km/hを記録した。

この高性能を目の当たりにした『迎撃機ならば使える!』と空軍省は判断し、さらに実戦型のMe163B-0を70機発注した。武装するという事もあり、設計には一大刷新が行われた。
武装を搭載して、燃料タンクや防弾装備を追加。無線機も積み込んで、さらに増えた重量を強化エンジンで補った。

1942年4月、Me163B-0の1号機が完成。
こうして『彗星』は飛び立つ時を迎えるのである。

実用(?)ロケット戦闘機

Me163は素晴らしい上昇力を誇り、高度10000mまで3分半しか掛からない。
これはHWK-109-509型ロケットエンジン(推力1900kg)だから出来る芸当で、もちろん機体が小型・軽量なことも手伝っている。

武装は当初「MG151/20」(総弾数100発)が装備されていたが、一撃離脱の火力が優先されて「Mk.108」(総弾数60発)に変更された。これはMe262と同じ機銃で、もちろんB-17さえ4発当たれば撃墜できる。ロケット推進による高速と相まって、一撃離脱の火力は恐れられた。

ロケット戦闘機の憂鬱

だがロケットエンジンの燃焼時間は8分と短く、上昇しても1~2回しか攻撃出来ない。そして、この間にB-17撃墜できるかどうかも運だのみに近い。なぜならMe163と速度差は500km/h近くにもなり、射撃のタイミングもほんの一瞬だからである。

しかもロケット燃焼終了後はただのグライダーであり、連合軍戦闘機はこの時を狙って襲いかかった。この事はMe163をロケット燃焼時にあわせて設計している点も大きい。空力というよりも推進力で飛行する特性なので、舵があまり利くと操縦不能にもなりかねない。

何よりも機体に対してロケットエンジンが重く、翼面荷重が大きかった。という事は着陸速度も大きくなり、むずかしさが増す。ソリの幅も狭いのでバランスのとり方が非常に厳しく、ちょっとしたミスが横転につながるという。たとえ無事に停止できても、牽引車がくるまでは無防備な姿を晒す他なく、この時に機銃掃射を受ける事例もあったという。

運用施設の問題

運用にはロケット噴射で滑走路が焼けないようにするため、コンクリートで舗装する必要がある。
だが戦争も末期となり、物資不足と物流寸断を極める中にあっては資材調達も困難そのものだった。

つまり新たな発進基地を建設する事も困難というわけで、Me163の『使えなさかげん』には拍車がかかっていった。行動半径は数十キロ程度といわれ、もちろんロケット噴射時間の短さに起因している。なので『まともに相手するよりも、最初から無視した方が安心で楽』となったのも当然である。

確かにロケットエンジンによる一撃離脱は脅威だが、行動半径そのものが狭く、攻撃後は『空飛ぶ的』にすぎないMe163はこうして牙を抜かれてしまったのである。

日本版Me163「秋水」

このMe163であるが、第二次大戦時のドイツの同盟国であった日本にもロケットエンジンと機体の図面が遣独潜水艦によってもたらされ、日本で瓜二つの機体が開発・試作された。
秋水」である。
開発は犬猿の中であった日本陸海軍が共同で進めるという特異な経歴を持つこととなり、海軍が開発したのはJ8M1という記号が付けられた。
陸軍は独断で設計を変更しキ202という形式を付けたが、こちらは試作機すら完成せずに終わっている。
海軍のJ8M1は1945年6月に三菱重工にて試作機が完成、ロケットエンジンの試験を行い同年7月7日に初飛行が行われた。
しかし犬塚大尉が操縦する秋水は高度400mで突然ロケットエンジンが停止、緊急着陸するが翼端が地上物に接触し反転、地面に激突してしまい、犬塚大尉は死亡してしまった。
秋水の試験再開予定は8月15日、つまり日本が降伏した日であった…。

その後のロケット戦闘機

ロケット推進の可能性は戦後も探り続けられ、ソビエトではMe163発展型(Me263)の設計をそのまま生かした「I-270」、アメリカはF-84を基にしたジェットとの混合動力機「XF-91」、イギリスの「サンダース・ローSR.53」、フランスなどは「ノール1500グリフォン」のような実験機が完成している。

だが、この中から一つとして実用化された機は無かった。
ロケットが燃焼できるのは短時間に限られており、ましてや軍用機のような機では激しい燃料消費を補えるだけの燃料を搭載できないのだ。
(現在の軌道打ち上げブースターでさえ数十分も燃焼できない)

結果として、より進化したジェットエンジンには敵わないという事になり、こうして運用に難が多すぎるロケット推進戦闘機は歴史に埋もれていったのである。

関連動画

好みが分かれる個性的な外観だが飛行中の姿は中々格好いいと思う。

pixivに投稿された作品 pixivで「Me163」のイラストを見る

このタグがついたpixivの作品閲覧データ 総閲覧数: 21983

コメント