概要
第二次世界大戦に活躍したフィンランド空軍のエースパイロット。愛称は「ニパ」。
最終階級は中尉。出撃回数196回、累計撃墜35.5機(協同撃墜1機)。マンネルヘイム十字勲章受章。
戦績もすごいが、航空機を意図せず壊しまくったため「ついてないカタヤイネン」と呼ばれる。
ついてない経歴
1939年11月、ソ連がフィンランドに侵攻を開始し、冬戦争が勃発。カタヤイネンはフィンランド空軍に志願入隊し、下士官候補生として戦闘機パイロットになるための訓練を開始。1940年3月に一時休戦するも訓練を続け、1941年初頭までにパイロット課程を修了した。
1941年6月初頭、ソ連との戦闘再開が差し迫ってきたため、カタヤイネンは軍曹に任官して第24戦隊第3飛行隊に配属された。
ところが、カタヤイネンはブルースターB-239での最初の訓練飛行から、着陸脚や昇降舵が損傷するという不運に見舞われた。以降、この手の不運がカタヤイネンにずっと付きまとった。
間もなく継続戦争が勃発し、カタヤイネンも実戦任務につくこととなった。
6月28日にカタヤイネンはSB-2を撃墜して初戦果を上げるが、被弾によってエンジンを損傷し、危うく墜落しかけた。8月12日にカタヤイネンは累計撃墜5機を達成してエース・パイロットとなった(ただし、やはりこの日も被弾して危うい目にあった)。
1942年4月12日に少尉に昇進。7月にカタヤイネンは修理した戦闘機のテスト飛行の際に、機体ごとひっくり返るという事故に見舞われるも、彼自身は無傷だった。
9月9日にカタヤイネンは爆撃機の飛行隊である第48戦隊に転属となったが、この頃にはカタヤイネン(無論、故意ではないにしろ)があまりにも貴重な戦闘機を壊し続けることに頭を抱える上層部によって、10月18日に同じく爆撃機の飛行隊である第6戦隊に転属、SB-2での対潜哨戒任務につくこととなった。
これに不満を持ったカタヤイネンは、何度となく戦闘機隊への復帰を要請したが認められなかった上に態度が悪いということで、一時は飛行任務から外されハンガーの掃除係という閑職に回された。
1943年4月にカタヤイネンは7ヶ月ぶりに第24戦闘機隊に復帰。6月6日にバルト海上空で敵と交戦し、被弾によって重傷を負った。それから3ヶ月を病院で過ごし、その間に結婚した。9月24日、中尉に昇進した。
1944年2月、カタヤイネンの部隊は新たにメッサーシュミットBf109G-6を受領した。しかし、この機体での最初のテスト飛行の際にも、彼はエンジントラブルという不運に見舞われた。数日後にエンジンを交換して再テストを行ったが、今度は機体がバラバラになるほどの大事故を引き起こした。重傷を負ったカタヤイネンは再び入院した。
6月、赤軍の夏季攻勢が開始されると、カタヤイネンは急遽退院して部隊に復帰した。6月23日から7月3日までのわずか10日間で、16.5機撃墜という大きな戦果を上げた。しかし7月5日、最大の不運に襲われた。敵機との交戦で被弾したカタヤイネンは、基地への帰路を急いだものの、エンジンから漏れ出したガソリンが気化してコックピットに流れ込み、それを吸い込んだ為、着陸間際に意識を失った。結果、機体は時速500kmで滑走路に突っ込み、完全にバラバラになった。カタヤイネンはひどい重傷を負ったものの、なんとか一命をとりとめ、入院したまま9月3日の休戦を迎えた。
1944年11月10日、空軍を除隊し予備役となった。12月21日、フィンランド軍最高の武功勲章であるマンネルヘイム十字勲章を全軍170人目に授与された。
戦後、カタヤイネンはヘルシンキ市役所に勤務した後、実業家として活動した。1997年1月15日、77歳で死去。
戦時中はついていないことの連続だったが、それでも死んでもおかしくない状況から悉く生存していたことから、仲間たちから「とてもついているカタヤイネン」と呼ばれていた。
関連タグ
エイノ・イルマリ・ユーティライネン:同じフィンランド空軍のエースパイロット。こちらは「無傷の撃墜王」と呼ばれるほどの類まれな幸運の持ち主。
ニッカ・エドワーディン・カタヤイネン:『ストライクウィッチーズ』シリーズに登場する彼が元ネタになっているキャラクター。彼女も作中ではついてない不運に見舞われる。