事故内容
発生日時 | 1998年9月2日 |
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発生場所 | カナダのノバスコシア州沿岸 |
機材 | マクドネル・ダグラス MD-11 |
乗員 | 14名 |
乗客 | 215名 |
犠牲者 | 229名(則ち全滅) |
突然の火の手
111便はスイスのフラッグ・キャリアであるスイス航空が運航する、アメリカのニューヨークとスイスのジュネーブを結ぶ大西洋横断路線で、マクドネル・ダグラス MD-11で運航されていた。
ニューヨークのJFK国際空港を離陸した111便だったが、操縦室で程なくして異臭が発生。不審に思ってCAを呼び寄せて客室側に異常がないという報告を受けたパイロットたちはエアコンの故障と解釈して処置をして飛行を続ける。・・・が、実はこの時点で飛行機は既に深刻な事態に陥っていた。
そしてその4分後今度は異臭に加えて煙が漂い始め、近くの航空管制センタに”PANPANPAN”(メーデーよりも弱めの警告)を送信しつつ事態に対処しようとする。この時点ではそこまで深刻な事態とはパイロットたちも管制官も露知らずボストンもしくはハリファックスの空港に緊急着陸する準備を始めていた。
が、PAN-PANコールからの10分後に乗員は自動操縦装置が故障したという報告と共に”メーデー”を発信し、その直後の(UTC:午前1時25分)に副操縦士の呻き声と共に交信記録が途絶えトランスポンダも途切れる。
そして(UTC:1時31分18秒)に地震計が111便が海面に墜落したことを告げた。
この事故で乗客乗員229名全員が犠牲となった。犠牲者の内遺体を回収できたのは1名だけで、他の身元確認は指紋や歯型、更にはDNA鑑定で確認する羽目となった。死亡した乗客の中にはサウジ王族やスポーツ用品の社長などの要人が多数搭乗していたほか、ピカソの”絵描き”をはじめとした多数の芸術品も海の藻屑となってしまった。
事故検証
機体が海中に粉々になって沈んだため、調査には4年もの歳月と45億円もの費用が掛かった
墜落した事故機の残骸を引き上げ調査したところ、ファーストクラスの天井にあるエンターテイメントディスプレイ(これで映画を観れたりギャンブルが出来る)用の電気配線が杜撰だったために火花が発生し、それがポリエチレンテレフタレート製の断熱材に燃え移り燃え広がり瞬く間に近くにあった航空機の操縦系統を焼き払ってしまったこと、その一方で客室は殆ど燃えていなかったことが判明した。また、チェックリスト通りに出所不明の煙に対してはキャビンの電源を切ったところ、肝心の娯楽用配線とは繋がっていなかったため電力が落ちず更には客室天井が真空状態になったため炎を操縦室に呼び込んでしまう逆効果だったことが明らかになった。
火災により煙が充満して視界が奪われたうえにコクピットの配線も通信機も電気系統も焼かれてしまいトランスポンダも機能が殺され盲目飛行に陥った(フライトレコーダーやコクピットボイスレコーダーも此れの所為で墜落の6分前で途切れてしまっていた)。そのため操縦不能に陥った当機は時速555kmでほとんど逆さま状態で海面に激突し、350Gもの衝撃で機体も人体もほとんど粉々になってしまった
NTBSの調査の結果「火の回りがあまりに速すぎて、最初に異臭に気づいた時点で降下を決断しても生還は難しかったであろう」と結論付けた。
スイス航空のその後
スイス航空はこの事故以前の1990年代後半より積極経営路線「ハンター戦略」を行っていたのだが、それが仇となって経営が悪化していた。それに加えて、この事故による損害とイメージダウンにより大打撃を被ってしまったスイス航空は、子会社の売却や外部からの経営者招聘などで立て直しを図ろうとするも上手く行かず、更に2001年のアメリカ同時多発テロのあおりを受けて経営が悪化し、最終的に同年10月2日に資金ショートを起こして経営破綻してしまった。
スイス航空の破綻後、子会社であったクロスエアがスイス航空の大半の路線網を承継し、”スイスインターナショナルエアラインズ”として再スタートをすることになった。
映像化
メーデーでは第一期第三話で同シリーズ初の全滅事故として紹介された。また同じくナショナルグラフィックが放送している衝撃の瞬間でも別角度から紹介されている
関連タグ
フィクションじゃないのかよ!騙された!←用語等はこちらに
チャイナエアライン120便炎上事故・・・火災に巻き込まれた航空事故だが、こちらは出火が着陸して停止した後だったためなんとか燃え広がる前に全員が生還に成功している。
クロスエア3597便墜落事故 クロスエア498便墜落事故・・・名前からわかる通り、後に合併した側の会社が関係した航空事故。
南アフリカ航空295便墜落事故・・・真夜中に洋上で火災が発生したこと、火の回りが早すぎてなす術無しに墜落した点で共通している