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概要編集

1948年〈昭和23年〉3月26日生まれ。本名・別名義:石田 良子(いしだ よしこ)。長崎県佐世保市出身(ただし大阪府出身と書かれたプロフィールも存在)。俳優の萩原健一は元夫。

4人姉妹の次女で、姉は元フィギュアスケート選手(1968年グルノーブルオリンピック女子シングル日本代表)並びに指導者の石田治子、末子の妹は元歌手で作家・作詩家のなかにし礼の妻である石田ゆり。(三女の妹の名は不明。)


5歳からフィギュアスケートを始め、選手として活躍。児童劇団でも活動し「ともだち劇場」で泉田行夫の指導を受ける。


1961年に梅田コマ劇場で初舞台を踏む。1962年、中学生で上京しいずみたくに師事、同年4月20日、ソノブックス社よりソノシートで『夢みる恋(原題:Walkin' Back To Happiness)』を石田 良子でリリースし、その後も本名名義でソノシートを何枚かリリースした。


1964年4月にいしだ あゆみに改名し、日本ビクター(の音楽ソフト部門、現在のビクターエンタテインメント)から『ネェ、聞いてよママ』でアイドル歌手としてデビューした。同年から翌1965年にかけては、TBS系テレビドラマ『七人の孫』に森繁久彌の孫役で出演するなど、劇団出身の演技力を活かして歌手と女優の二足のわらじで芸能活動を開始した。


1968年6月に日本コロムビアへ移籍。同年12月に発売したシングル『ブルー・ライト・ヨコハマ』が翌1969年初頭から大ヒットし、累計150万枚を超える売上を記録するミリオンセラーとなった。同年の年間チャート第3位にもランクインし、歌手としてのいしだのイメージを確立した。いしだは同年末の『第20回NHK紅白歌合戦』に初出場を果たし「ブルー・ライト・ヨコハマ」を歌唱。紅白歌合戦では他にも1973年の第24回、1993年の第44回と、合計3回歌唱している。なお、紅白歌合戦自体合計10回出場を果たしている。


1977年には『青春の門 自立編』で報知映画賞助演女優賞を受賞。1982年の『野獣刑事』ではヌードが話題となり、『男はつらいよ 寅次郎あじさいの恋』との両作品で第6回日本アカデミー賞主演女優賞を受賞した。1986年の『火宅の人』では報知映画賞とブルーリボン賞、第10回日本アカデミー賞主演女優賞などを受賞。同年の映画『時計 Adieu l'Hiver』では経験を活かしてフィギュアスケートのコーチを演じた。


2020年には文化庁長官表彰、2021年には旭日小綬章受賞。


関連タグ編集

てるてる家族:岩田四姉妹の次女・岩田夏子は彼女がモデル。

千葉真一:実はこの人の大ファン。

なかにし礼:妹の婿殿。「あなたならどうする」など何曲かの歌詞を書いてもらった事がある。

和田アキ子:親友のひとり。中尾ミエと共にデビュー当初のこの人を擁護した事で親しくなった。

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