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100系

ひゃくけいまたはひゃっけい

形式に「100」を使用する工業生産品を示す。主に鉄道車両に使用される。 本項では主に新幹線100系電車について解説する。
目次 [非表示]

主に鉄道車両に関するものが多い。

このほか、5.4代目トヨタハイエースに使われる事もある。


国鉄・JR東海・JR西日本 100系電車編集

【HD新幹線05】シャークノーズのニクい奴【100系】


1985年10月1日に営業運転開始。

1964年10月1日の東海道新幹線開業以来21年目にして投入されたフルモデルチェンジの第二世代の車両である。1992年までに全66編成1056両が製造された。最高速度220km/h(V編成のみ230km/h)


特徴編集

安定と信頼を武器に新幹線の主力として活躍してきた0系も設備面や、TGVなど海外の高速鉄道と比較して客室サービス面から陳腐化が目立つようになった。そこで乗客にはサービス面、乗務員には操作面でレベルアップを狙った車両としてデビューした。そのため高速性より居住性や扱いやすさを重視されている。

窓は0系初期型のような大窓となり、グリーン車のうち1両と食堂車は、新幹線では初となる2階建て車両となった。また、2階建てグリーン車の1階には、これも新幹線では初の個室が設けられた。

パンタグラフ半減工事後はX編成とG編成において、編成番号が奇数の車両と偶数の車両で使用するパンタグラフが違うという現象が起きていた。またJR東海発足時に製作されたCM「シンデレラ・エクスプレス」シリーズに登場し、新幹線の顔として活躍した。

1986年、鉄道友の会ローレル賞に選定。


しかし後継の300系が登場すると足の遅さが仇となり、速度向上のネックと評されるようになってしまった。2003年9月16日をもって東海道新幹線での営業運転を終了。その後も山陽新幹線において、2階建て車両を抜き、更に4両、または6両編成に短縮された車両を用いて「こだま」として運用されていたが、2012年3月に全車両が営業運転から退いた。


X編成編集

国鉄時代に製造された編成。2階建て車が2両あり、食堂車が連結されている。

試作編成1本と量産編成6本の計7本が製造された。このうち量産編成で最初に登場した4本は、二階建て車両を含まない12両編成で落成していた。


民営化後はすべてJR東海に継承された。東京~博多間の速達ひかり中心の運用で酷使されてきたがゆえに老朽化のペースが早く、1999年に定期運用を離脱。翌年までに全車廃車となった。


余談だが、100系増備によって置き換えられた0系大窓車が全廃されたのは、皮肉にも当編成より後となる2001年の事であった。


X0編成→X1編成編集

量産先行試作車であり、一足早く1985年3月に登場、同年の10月から営業運転を開始した。

他の試作車同様量産車の登場後は量産化改造されX1編成となったが、車両自体は改造工事前から営業運転に入っており、歴代の車両では100系のみである。

量産車に対し側面の客室窓が小窓だったり、ヘッドライトがツリ目であるなどの特徴がある。

1987年からはJR東海所有車となり、1991年にはパンタ削減工事やパンタカバーの取り付けが行われた。1999年10月に廃車となった。

食堂車168-9001のみ浜松工場に保存されていたが、現在はリニア・鉄道館に移設・展示されている。


G編成編集

JR東海が製造した編成。2階建て車が2両あるのはX編成と同じだが、ひかりの利用客増加や東京 - 新大阪間での重点的運用が念頭に置かれた事、それまでの0系ひかりと比べてグリーン車の座席数が少なかった事から、食堂車の代わりにグリーン・カフェテリア合造車(2階グリーン車・1階カフェテリアという構造)が連結されている。

50本が製造され、100系の中核を占めるグループとなった。東海道新幹線で最後まで活躍を続け、2003年8月にひかり定期運用を終了。同年9月にさよなら運転を行い引退した。廃車後は一部車両の車体がV編成のP・K編成化用として供出されている。


なお初期に製造された7本は、1996年にJR西日本に譲渡され、東海道新幹線直通ひかり用に充てられていた0系を置き換えた。こちらは2004年1月の臨時こだま運用を最後に運用から離脱した。


V編成編集

JR西日本所属。最大の特徴は2階建て車両を4両連結している事で、通称「グランドひかり」と呼ばれる。最高速度もATCトランスポンダ車上子によって信号を読み替える事で、220km/hから230km/hに向上した。車両自体は270km/h運転が可能な性能を有しており、実際に270km/h試験走行も実施されたが、騒音基準をクリアする事が出来なかったために営業運転では実現しなかった。営業運転での目標速度の達成は完全新設計の車両である300系に引き継がれ、更にWIN350による試験を経て、300km/h営業運転を実現する500系に至る事となる。


9編成が製造された。X・G編成と同じ12M4Tを保ちつつ2階建て車両を4両に増車するため、そして将来の短編成化に備えて、X・G編成では付随車だった先頭車を制御電動車に変更しており、動力車ユニットの順序(M-M')が0系と同じに戻った。そのため、先頭部下に主電動機用の空気取り入れ口がある。これは、V編成完成前の1988年10月、JR西日本がJR東海所属のX7編成を借用し、トランスポンダ車上子を仮設して230km/hの確認試験を行ったが、この際に先頭車の主電動機が十分に冷却出来ない事が発覚したために採られた措置である。また、上述の270km/h運転計画のため、ギア比の変更や弱め界磁の追加がなされている。鋼製2階建て車は付随車ながら空車でも58t前後あるため、それがまとめて4両連なっているとブレーキの際に衝動が起きる原因ともなった。


細かい点では、方向幕はX・G編成での幕式から3色LED式となっている。V編成以降JR西日本が新製投入した新幹線車両は、300系F編成を除き(短期間で必要数を揃える必要があったため従来の幕式を採用した)全てこのタイプが搭載され、N700系では更に発展したフルカラーLED式が採用された。


新型車両登場やそれに伴う高速化により、運用が縮小され2002年にさよなら運転を実施。平屋の車両はすべて後述するP・K編成用に改造された。

また、博多総合車両所に2両保存されていたV9編成の2階建て車両は2024年から解体が始まっており、解体完了をもってV編成の2階建て車両の保存車は全て消滅する事となる。


P編成・K編成編集

山陽新幹線用に短縮された編成。P編成が4両編成。K編成が6両編成。5000番台を名乗る。

P編成は新大阪の信号機のシステムの関係により岡山(0系Q編成現役時は広島)~博多のこだま運用や博多南線内で限定使用され、K編成は2011年まで主に新大阪~岡山・広島・博多のこだまや博多南線での運用に充当され、2011年から引退までは岡山以西のこだま運用や博多南線での運用が主となった。

V編成から改造されたが、先頭車が不足したため一部の車両はV編成の中間車にG編成の先頭部を取り付けた。また、バリアフリー対応の中間車も、不足分の車体をJR東海から譲受している。

車体色をグレーベースに窓回りを黒と黄緑にした物に変更。

引退直前にK編成の3編成がグランドひかりカラーに戻された。


P編成は2011年、最後まで残ったK編成は2012年に営業運転を終了。翌2013年までに保存車両以外全ての車両が廃車され、100系新幹線の歴史に幕を閉じた。


引退後もP2編成が2009年〜2013年まで新下関の教習所において訓練車として稼働していたが、これも所内のシミュレーターを用いた訓練に変更されたため、博多総合車両所へ牽引後解体されている。


保存車編集

リニア・鉄道館にX2編成の新大阪・博多方先頭車、試作車X1編成の食堂車が保存。

京都鉄道博物館に5000番台K54編成の新大阪方先頭車が保存。

近畿車輛に5000番台K58編成の新大阪方先頭車が保存。


その他の100系編集

東武鉄道 100系電車編集

【HD東武01】東武のフラッグシップ【100系】

東武鉄道の特急形電車。1990年6月1日に営業運転開始。車両愛称は「スペーシア」。

1990年・通商産業省グッドデザイン商品(現・日本産業デザイン振興会グッドデザイン賞)に選定、1991年に鉄道友の会ブルーリボン賞を受賞した。


日光線・鬼怒川線系統の特急列車(「けごん」・「きぬ」)に運用されている。また、2006年3月からはJR線直通で新宿駅に発着する「スペーシアきぬがわ」にも運用されている。


→詳細は、スペーシアを参照。


愛知環状鉄道 100系編集

ぐるっと回って3回転イラストは両運転台の300形

1988年の路線開業時からの車両。国鉄101系の発生品モーターを利用して23両が製造された。1M方式なので、主回路構造は永久直列抵抗制御であり105系のものに近い。片運転台車の2両固定編成(100・200形)と両運転台車(300形)の2種類が存在した。晩年は愛知万博輸送に活躍し、2005年までに引退となった。ワンマン運転も考慮された設計になっていたが、経営が順調だったためその構造はえちぜん鉄道譲渡まで活用されなかった。


このうち、14両についてはえちぜん鉄道へ移籍し、同社MC6001形・6101形となっている。えちぜん鉄道への移籍に際し、片運転台車は両運転台車に改造された(100形の後端に200形の運転台を移植)。愛環線は1500V電化、えちぜん鉄道は600V電化と異なり本来降圧改造が必要である。しかし理由は不明ながら主回路構造を変えなかったため、移籍当初主電動機端子電圧の下がりすぎ(375V→150V)による低出力が問題になった。その後、加速時にはモーターを3個使用して端子電圧を200Vとし、さらにJR東日本からMT54(端子電圧375Vで出力120kW)を購入してMT46から載せ替えたが、出力自体は64kW×3と低く、根本的な問題解決には至っていない。


伊豆急行 100系編集

名物! てつっこ友の会新刊表紙

かつて(2002年まで)旅客営業運転に就いていた電車。

1961年の伊豆急行線開業からの車両。国鉄伊東線で食堂車の営業ができなかったために1963年から数年しか営業していなかったが私鉄で唯一の本格的な食堂車(サシ191形)の運用もしていた。

国鉄新性能電車を基本とした設計のため乗り入れ先の国鉄・JR伊東線でも、運転で問題になることはなかった。山が沿岸部まで寄ったところが多々ある伊豆の地形から、伊豆急線には連続勾配がある。対策として抑速ブレーキを装備し、またローカル輸送の客数見込みから電動車は編成の組み換えを容易くした為、端子電圧750V・出力120kWのモーターを装荷した1両単位の1M方式を採用している。1M方式というほかは、機構面では115系165系に近い内容を持つ。

100系の車体載せ替えによる更新車は1000系と銘打たれたが1000系は2編成のみでクモハ1000形とクハ1500形の2両固定編成を組んでいた。これらも100系の引退とともに引退。


伊豆高原車両基地での入換目的で事業用車として残されていたクモハ103号が2011年に営業用に復元され、臨時列車や観光用団体列車として運行してきた。

伊豆急線北部の保安装置変更(ATS-P導入)で運行に制約が生じたこと、そもそも103号自体が相当に老朽化したことで、2019年に再度営業用から引退した。


マリオカート8デラックスのTVCMにも登場している。(冒頭の単行電車)


→詳細は、伊豆急行100系を参照。


名古屋鉄道 100系編集

名鉄100

名古屋市営地下鉄鶴舞線乗り入れ用。6両編成。100系と一括りにされることが多いが、実は100系200番台、200系と細かく分かれており、制御装置も抵抗制御、界磁添加励磁制御、VVVFインバータ制御とバリエーション豊富となっていたが、制御装置を抵抗制御からIGBT素子のVVVFインバータ制御(中間の2両は製造当初のGTO素子のまま)へ交換している。

ラッシュ時の混雑解消や東海豪雨による車両不足に対処するために本線系等で運用されていたことが一時ある。

1980年、鉄道友の会ローレル賞に選定。


→詳細は、名鉄100系を参照。


泉北高速鉄道(大阪府都市開発) 100系編集

SENBOKU

1970年の路線開業時からの車両。30両を製造。南海電気鉄道の6100系をベースにして作られたが、南海6100系がオールステンレス製なのに対し本形式はセミステンレス製だった。

5000系7000系に置き換えられ2000年に引退した。588号のみ静態保存。


冷房装置は高松琴平電気鉄道上信電鉄に、

補助電源装置は富山地方鉄道に、

運転台機器の一部は泉北3000系の先頭車化改造車(3551~3556)に、

台車は南海6100系の6300系化に、

それぞれ流用された。


京阪神急行電鉄 100形編集

Passenger car 6

詳細はP-6を参照。


関連タグ編集

0系 300系 500系 700系 N700系 100形 鉄道車両の形式の一覧

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