国鉄 165系電車
国鉄(日本国有鉄道)が1963年から設計・新製した直流急行形電車。
近郊形電車における113系と115系、特急形電車における151系(※)と181系の関係と同様、東海道本線・山陽本線系統の急行列車を主たる投入先として開発されていた153系をベースとして、勾配や寒冷地への対応のための装備を付加したものである。
- ※160番台系列の先頭である161系は、151系の歯車比を変更して157系相当にしたMT46形式であるため、163系(165系に対するMT54搭載の平坦線仕様車だが165系への統一が図られ計画中止・サロ163のみ製造)以降のCS15・MT54系列とは事情が異なる。
電動車が基本的にクモハ165組みこみで3両編成が最小単位となっているが、これはローカル転用を前提として設定されたといわれ、事実晩年はそのような運用が多く見られた(4両が最小単位になるモハ165組み込みのユニットも少数存在したほか、逆に2両単位(クモハ-モハ))の増解結が可能なようトイレ・洗面所の配置を変え簡易運転台を付けたモハ164-500番台も少数ながら製作された)。
情勢の変化から、最終増備型は冷房搭載となり、1970年に製造が中止された。
一部車種は153系からの転用改造車(サハシ165の一部・クハ164)で賄われている。
165・169系および交直流急行型全てで共通する事項であるが、153系の寿司カウンターは職人の人員確保や客単価から継続が難しく、すべてそば・うどんのカウンターに取って代わった(改造編入車も全て当該部分の調理設備を交換している)。
東海道新幹線開業後、一部のクハ153は転用先の山陽本線で165系と共用される関係から、低運転台の初期車をトップナンバーから8両、主幹制御器の交換と抑速ブレーキ回線の整備改造を行い、165系の制御車クハ164へと改称された。後に山陽新幹線開業から通常の153系と同様の大垣や宮原に転属し、機能を生かして165系の先頭に立つこともあったが、1983年までに廃車となっている。
本来の投入先である上越線・信越本線・中央本線(中央東線)方面の他、運用の変化により153系の代替という形で東海道本線・山陽本線系統等にも進出した。派生系列として修学旅行列車向けの167系、信越本線の碓氷峠区間におけるEF63形との協調運転に対応した169系がある。
車両需給の関係から、宮原配置のクハ165の一部が「新快速」塗装とされて153系と共通運用されたことがある。117系投入後は運用を外れ速やかに湘南色に復元されている。
国鉄分割民営化時にはJR東日本・JR東海・JR西日本の三社に承継された。この時点で既に昼行急行自体がほとんど消滅しており、JR化時点での165系使用の定期昼行急行は「東海」(東京~静岡、1996年に373系に置き換えて特急に昇格、2007年廃止)と「富士川」(静岡~甲府、「東海」と同様の経緯で1995年に「ふじかわ」に改名して特急に昇格)「赤倉」(長野~新潟、1997年長野新幹線開業と同時に485系特急「みのり」に。その後何度かの変遷を経て、現在の特急「しらゆき」)のみであった。夜行急行「ちくま」「くろよん」にもJR西の165系が使われていたが、2002年に廃止。
1992年の成田線大菅踏切事故で、同様の前面の113系が過積載の大型ダンプカーと衝突大破し、運転手が救出の遅れから死亡したことにより、緊急対策で東日本所属の前面未補強全車に対し前面補強工事が強力に推進されることとなった。新前橋車・幕張所属の「なのはな」などは、ファンに「鉄仮面」と通称される急ごしらえのステンレス補強板が設置され大きく外観を損ねた(新前橋車にはシールドビーム交換車がいたが、実は前面補強工事はなされていなかったため、一緒に「鉄仮面」化されてしまった)。
新潟配属のローカル車および「ムーンライトえちご」「赤倉」運用車にも補強工事は施されているが、国鉄時代の工事だからか土崎工場の改造内容から外観は一見原形そのままのようにしかみえない処理となっている(細かく見ると貫通扉幌枠や前面ステップの下に微細な補強材が存在するが、よほど注意深く観察するか、言われなければわからないレベルである。…丁寧な工事ではあるが、逆に24系の老朽対策は洒落にならない酷い処理なので担当者のデザインセンスがよくわからない部分がある)。
JR化後は長野県内、新潟地区、飯田線、紀勢本線の普通や夜行列車に使われ、特に天王寺から新宮へ向かう紀勢線の夜行列車(通称「太公望列車」「新宮夜行」)や、「大垣夜行」が有名だったが、前者は2000年9月に廃止、後者は1996年に「ムーンライトながら」になった。
その一方、田町、新前橋、三鷹、宮原などの都市部に近い車両基地に配備された車両は専ら波動輸送や「ホリデー快速」などといった臨時列車用に使われ、特にJR東は90年代にこれらの車両をジョイフルトレインにしたり、ライトを換装したりしていた。新潟から転属した三鷹車はヘッドライトが原形の大型、室内もクロスシートのため地元ファンからは若干注目される編成であった。
しかし、老朽化等により後継車両への置換が進められ、JR東海では1996年(但し飯田線に入ってくるJR東長野地区の車両があったため、完全にいなくなったのは2001年のこと)に、JR西日本では2002年に、そしてJR東日本では2003年に新潟地区を最後として運用終了となった。
- なお、JR東海のサロ165-106号車は保留車として2008年度まで在籍。除籍後はクモハ165-108号車共々リニア・鉄道館にて静態保存されている。
- サロ165-106号車の除籍をもってJR籍の165系は廃形式となり、また「直流急行形電車」のカテゴリーに属する車両もJR各社から全滅となった(後述の中小私鉄などへ譲渡されたものは除く)。
中小私鉄への譲渡例
1992年に秩父鉄道へ譲渡された編成は改造の上3000系と名前を変え、線内の有料急行「秩父路」や臨時列車で運用されたが、いかんせん老朽化が激しくなり、更新工事にもかなりの費用がかかるため新車に置き換えた方が安上がりだということで2006年に全廃、6000系に置き換えられた。
ジョイフルトレイン「パノラマエクスプレスアルプス」に改造された6両(3両編成×2本)はそっくりそのまま富士急行へ譲渡され、富士急行2000系と名を変え「フジサン特急」として運用を開始。
しかし老朽化のため、2014年に小田急電鉄20000形(ロマンスカーRSE)を購入し、2000系のうち1編成(第2編成)が「パノラマエクスプレスアルプス」時代のカラーにに変更されて退役。またJR東海の371系の導入(富士山ビュー特急用の8500系へ改造)が決まり、もう1編成も2016年2月に運行を終えた。
- ちなみにこの2000系の元になったパノラマエクスプレスアルプスのうち、第2編成に連結されていたクモロ2202・モロ2102の種車であるクモハ165-123・モハ164-846は急行かわぐち号用に製造された車両。製造費を利用債で賄ったが、その利用債の引き受け元は何と富士急行である。何とも数奇な巡り合わせである。
余談
JR化直後のある日、こんなとんでもない編成が登場した。
…その列車の名は「お父さん感謝大漁号」。使用されたのは日根野電車区所属の165系3連、
この前後になんと同じ日根野電車区所属の103系を連結した6両編成だったのである。
クハ103+クハ165-モハ164-クモハ165+モハ102-クモハ103
まるで鉄道模型のような編成だが、1987年6月21日に阪和線で運行された列車で実在した。
(西武百貨店が企画した父の日に因んだ団体列車、”103=父さん”と掛けている)
後にも先にも、165系と103系が混成で運用された唯一の営業列車であろう。
日根野の165系は「紀勢線用合図ボタン」なる特殊装備がついていた。これは、まだ車掌が乗っていた時代に見通しのよくない駅の多い紀勢線南部で使っていた装備で、ドアを閉めても車掌が確認ボタンを押さないと運転台の戸閉ランプが点灯しない、という仕掛け。車掌がドアを閉め、安全確認を行った後にこのボタンを押して運転士に安全確認に問題ないことを知らせた後発車する、という流れだった。
太公望列車用にATS-Pを搭載した車両は運転台のすぐ後ろの座席2つ分をつぶして設置していた(その部分の窓は埋めてある)。
関連タグ
急行形車両の仲間達:153系 455系 457系 475系 キハ58系 キハ65
107系:本系列の台車・走行関係機器を流用している。