構造
165系電車をベースとした修学旅行形電車。
153系ベースの155系・159系と同様に乗降の機会が少ないことからドアの幅を1mから700mmに狭め、大型の脱着式折りたたみテーブルを備える。
しかし多客期の一般臨時列車に投入することも考慮して客室設備については165系との差異は少なく、全面低屋根構造だった155・159系と異なり低屋根構造はパンタグラフ部分のみとなっている。
デッキ部分には児童の水筒に給水するための水タンクと夜行運用時のための洗面台が備わっていた。
運用
1965年度に関東地区増発用として、翌年度には山陽地域用として、全52両が汽車製造にて製造された。
長距離修学旅行輸送の新幹線への移行とともに在来線の修学旅行列車が廃止されると、デッキの水タンクと洗面台を撤去したうえで塗装を湘南色へ塗り替え、主に波動輸送に用いられるようになった。
1981年10月からは定期急行列車であるごてんばに用いられたこともある。
一般の165系に遅れて1978年初夏から1981年にかけて冷房改造が施されたが、塗装変更と時期がずれる車両もあったため、冷房搭載かつ修学旅行塗装という過渡期的な姿が1981年まで見られた。
湘南色・冷房化まもない1982年にクハ167-2が伊豆急線内において事故で台枠を破損し廃車となったため、代車として神領電車区から余剰休車中であったクハ165-3を転属させを組み込んでいる。
JR移行時はクハ167-2を除いた51両が継承された。JR東日本へ35両・JR西日本へ16両が継承された。
JR東日本の田町配属車は首都圏近辺の臨時用として運用され、クハ165-3を含めて全車更新工事が施工、大半は「田町色」へと塗装変更の上内装を簡易リクライニングシートやリクライニングシートに取り換えたほか、更新工事の際ヘッド・テールライトを新型の一体型に交換し前面の印象を変えた車もある。湘南色はH11・H19編成が残り、主に近距離修学旅行輸送に運用された。
1989年から東京ディズニーランド向け臨時快速「メルヘン立川」「メルヘン大宮」運用のためH17・H18の2編成が,発生品のR-24リクライニングシートに交換の上塗装を変更され充当されたが、1990年の京葉線立川開業で一旦運用を終了し、更新工事の上(内装のリクライニングシートは継承、その後もファンの間では「メルヘン車」と通称された)一体型ライトに取り換えられている。
1992年の成田線大菅踏切事故で、同様の前面の113系が過積載の大型ダンプカーと衝突大破し、運転手が救出の遅れから死亡したことにより、緊急対策で全車に対し前面補強工事が行われることとなった。田町所属車は湘南色のH11編成(補充のクハ165-3を含む編成)を除き、ライト交換車も含めファンに「鉄仮面」と通称される急ごしらえのステンレス補強板が設置され大きく外観を損ねた。
H11編成にも補強工事は施されているが、外観は国鉄時代の定期補修工事同様の、一見前照灯をシールドビーム交換しただけのようにしかみえない処理となっている。(細かく見ると貫通扉幌枠や前面ステップの下に微細な補強材が存在するが、よほど注意深く観察するか、言われなければわからないレベルである。)
1993年には急行「しんせん・やまなし」に充当された先述のH17・H18編成「メルヘン車」が「パノラマエクスプレスアルプス」の増結用として塗装を同色に揃えられ、廃車まで塗装を保って運用された。
1996年の通称「大垣夜行」が指定席快速「ムーンライトながら」への変更に伴う373系への転換とともに、多客時の臨時増発便用としてメルヘン車を除く田町車が充当されることも多く、ときに新前橋の165系とも併用されることもあった。
JR西日本からは2001年に姿を消し、JR東日本からは2003年に姿を消した。
保存車は存在しないが、鉄道博物館入り口に原形状態のモックアップが残されている。