概要
国鉄により1959年に修学旅行専用電車として製造された。製造当初は82系と名乗っていたが落成後間もない1959年6月の車両称号規程改正により155系に改称された。愛称は使用された列車の愛称より「ひので形電車」。
スペック
基本構造
153系電車の基本システムを踏襲して、コストダウンを図りながら修学旅行に必要な設備を盛り込んだのが特徴。主要機器は153系と同一のため153系との連結も可能。しかしコストダウンのため台車は金属ばねのDT21/TR62系が採用されている。車体構造も153系に比べドアの幅が狭い(153系が1000mmに対し155系は700mm)ことと、後述の特殊な内装を除けば基本構造は同一である。
特徴的な点はオフシーズンに臨時列車などに投入する際、中央東線などの架線高さが低い路線へのできるように低屋根となっているが、デザイン上パンタグラフ搭載車(モハ154)のみならず、編成全体が低屋根になっている。
車体塗装は朱色3号に黄1号のツートンカラーを採用。以後の修学旅行専用電車/気動車の基本カラーとなる。(後に色調が変更される)
修学旅行用の特殊設備
修学旅行用という特殊な性格から、車内構造は可能な限り定員を多くすることに注意が払われている。
主な装備は次の通り
- 主な利用者である当時の中学生の体格を考慮して、座席を3人掛けと2人掛けの5列座席とすることで収容力をアップ。
- すべての座席に着脱式のテーブルも備え、荷物棚は通常のレールに平行でなく枕木に平行に設けた。
- 移動中の退屈を紛らわせるため、先頭車車内にはスピードメーターと時計も設置。
- 移動中の水分補給用に飲料水タンクも備えたほか、学生たち自ら掃除ができるよう、箒と塵取りも完備。
運用
車両は1959年に24両製造され、12両ずつ田町電車区(東京)と宮原電車区(大阪・後に明石→網干に担当が変更)に配属された。田町所属車は品川~京都間に「ひので」号を運行、宮原所属車は品川~明石間に「きぼう」号を運行してそれぞれ片道は夜行運行とした。
修学旅行シーズン以外は臨時準急「すばる」(東京~大阪)や上越線のスキー臨時列車などで運用した。
1961年に2編成8両増備、1964年から1965年にかけて4編成16両増備された。しかし、1971年に国鉄が修学旅行利用の新幹線特急料金の割引を開始したことにより、新幹線での修学旅行が一般化されたたこともあり利用者が激減、「ひので」と「きぼう」は1971年10月に廃止、最後まで残った「わかば」も1973年6月に廃止された。
終焉
1973年から網干区配置車が修学旅行専用車両特有だった設備を廃し、座席も通常の4列に改造した。
1974年に網干区所属車が大垣区に転属となり、153系や159系と混用で急行「東海」や大垣夜行や中京地区の快速・ローカル運用に就いた。他にも臨時列車運用などに就いたが、1980年から1982年にかけて廃車された。
田町区配置車は原型を保ったまま、近距離の修学旅行その他の団臨などに運用されたが、1977年に車内を一般仕様に改造(同時にベンチレーターを押込型に交換)されたが、1981年に廃車になっている。
なお、晩年の1978年に修学旅行電車の塗装規定が廃止されたため、その後153系同様の湘南色に変更されたが、大垣区配置車の一部は廃車まで原色を保っていた。
なお、155系以降修学旅行専用電車は159系(主に中京地区で運用)や167系が登場したが、先に述べたとおり新幹線での修学旅行が一般化されたため、専用列車廃止後は155系同様に普通列車や臨時列車として運用された。(一部急行運用の実績もある)