ジョイフルトレインへの改造
165系を改造したジョイフルトレイン。国鉄東京西鉄道管理局管轄路線である中央本線と大糸線は雄大な景色を楽しむことができ、遮るもののない前面展望は大きなセールスポイントになるものと考えられた。そこで自然を車窓から楽しめるように「展望」をテーマとした車両を大井工場と共同開発することとなり、1986年6月に設計開始。同年10月に改造に着手、翌1987年3月に運行を開始した。3両編成2本全てがグリーン車。走行部の構造上は前述の通り3両×2本だが国鉄・JRにおいては実際には殆どの場合6両編成として運用された。
183系と併結も可能に考慮されたが、実際に運用された実例はない。多客期には急行「しんせん・やまなし」運用の際、6両では足りず編成中間に同じ塗装にそろえた167系4両を増結した10両編成で走行した例や、同じ165系ベースの千葉局のお座敷車「なのはな」を併結し12連を組んだこともある。
乗客が列車最前部に着席しうるという点は小田急ロマンスカーや名鉄パノラマカーと同じであり、万一の事故時の乗客の安全確保には同様の手法(大容量油圧緩衝器の設置)が用いられている。
改造の範囲が大きいため、先頭展望車は車体を新製している。車体を新製する車両をいずれも制御付随車(クハ165→クロ165)としたため、真ん中で制御電動車(クモハ165→クモロ165)が向き合うよう片方のユニットの向きを逆転している。一方、クモロ・モロの車体は外観や接客設備は作り直されたものの、すでに経年20年を超えた車体の基礎部分は特別保全工事相当の不徹底な構造の補修であり、晩年には外観以上の老朽化が問題となっていく。
日本テレビとの関係
同車は日テレ系の特番に多用された経歴がある。
落成直後の昭和62年3月31日から4月1日にかけて放送された日テレの国鉄特番では東京駅をJR移行後最初に出発する記念列車「ZERO EXPRESS未来号」として東海道線の12番線ホーム(翌昭和63年3月に廃止・東北新幹線ホームに改築され消滅)を出発し原田知世氏やバブルガムブラザーズなど豪華ゲストが出演し車内から中継された。
同年には特番で山手線を走行しJR晩年期の平成12年には高校生クイズの主な舞台「特Qファイヤー号」として中央線・信越線・上越線を運行した。
富士急行へ移籍後
2001年にJR東日本で廃車された後、富士急行(※現在の富士山麓電気鉄道)に譲渡され、富士急行2000系としてフジサン特急として運用された。「パノラマエクスプレスアルプス」時代は6両での運用が多かったが、「フジサン特急」は3両で運用。このため、パノラマエクスプレスアルプス時代ではほとんど使われなかった貫通型先頭車が先頭に出るようになった。
また、編成の向きはそのままとしたため、2001号編成が富士山駅方、2002号編成が大月駅・河口湖駅方が展望車となり、号車番号も逆転していた。
2002号編成は小田急電鉄より譲渡されたロマンスカーRSE・20000形を改造した富士急行8000系へ置き換えられ2014年2月に引退。引退を前にJR時代の塗装に復元されて運用入りした。残る2001号編成もJR東海371系の改造車である富士急行8500系富士山ビュー特急に置き換えられ、2016年2月に引退した。こちらは3種類のフジサンキャラ(1号車前面のフジニッコリ、1号車側面のフジサンクン、3号車前面のフジポッポ)が号泣するさよなら装飾がされた。
富士急行2000系の引退をもって、現役の国鉄165系(由来の車両)はすべて営業線上から姿を消した。
なお、クロ2001が下吉田駅で静態保存されている。