14系700番台「サロンエクスプレス東京」
若年者層を主なターゲットとした「欧風客車」として、当時の日本国有鉄道が1983年3月に14系座席車を改造して誕生させた。いわゆる「ジョイフルトレイン」の1つである。座席は個室を主体にしており、1号車を展望室つきスロフ14 701「パノラマコンパートメント車」、2号車~6号車を普通のオロ14 701~705を「コンパートメント車」、7号車を展望室・ラウンジ一体型のスロフ14 702「パノラマラウンジ車」とした。7両すべてがグリーン車扱い。1980年より企画開発は進められ、当時の主流であった大口団体企画旅行に若年層を取り込む目的であり、ヨーロッパの車両も調査研究の対象になったという。特徴的な展望室は、種車の便洗面所側車端の鋼体を台枠を除き切除し、流線型の新造鋼体を乗せたものである。一方それ以外の車体鋼体は接客設備とはうらはらに、一部の窓埋めおよび片側のデッキを埋め封鎖したくらいで実はあまり手を入れておらずスロフの車掌室部分などは殆ど原形のままの丸妻で妻窓も残っている(一方、サロンカーなにわなどの関西系工場で施工した12・14系改造ジョイフルトレインは平妻に改造され妻窓は埋められている。)が、内装工事や配線・配管は輸送力増強とやらで(クロ151なども持て余したあげく改造で潰してしまっている)1960年代を最後に国鉄から失われていた優等客車のノウハウを再構築するため非常に苦心したという。
ジョイフルトレインの原点とも言える立ち位置の車両で、1983年8月に運用開始登場の翌年には改造車ながら鉄道友の会ブルーリボン賞を受賞している。当初は臨時運用で半定期的に伊豆急行線に入線することも多く、251系スーパービュー踊り子やE261系サフィール踊り子に続く道も作った。実際の運転では塗色が似通ったEF58 61と組むことが多かった。
14系700番台「ゆとり」~それは、再活用での蹉跌~
全室が個室であったうえ、伊豆方面への「踊り子」などの半定期運用を失い、コンセプト的に本来向かない(得意とするレンジはむしろ半定期の路線限定運用である。)お座敷車のような大口団体輸送に振り向けられたことから、1990年代以降は稼働する機会が少なくなり、民営化後のJR東日本は1997年2月にサロンエクスプレス東京としてのさよなら運転を実施。客車のリニューアルを実施。7両のうちのオロ14 702のみ新潟地区のお座敷列車のサロン席へ転用したため、残る6両が「ゆとり」へ再改造されることになった。外観はほぼそのままで和式客車・お座敷列車仕様に改められた。(編成短縮と窓配置の関係か、再改造前よりこころもちしまらない印象をうけた。)しかしこのような古典的な走る宴会場的お座敷車に代表される、中高年者の「飲んで騒ぐ」大口団体旅行は時代と客層の変化から衰退していった。そう、再活用の手段を完全に誤ったのだ。
「ノスタルジックビュートレイン」を祖として「リゾートしらかみ」以後に続く、乗車体験型のジョイフルトレインが増えつつある中では、後世の目で見た場合、目先の需要だけにとらわれ、結果再活用の機会を失い時代に逆行した、クロ151の轍を踏んだ不適切な改造処置であったともいえる。
2008年まで活躍。両端の展望車のみ保留車扱いで2015年まで在籍していた。