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ノスタルジックビュートレイン

のすたるじっくびゅーとれいん

1990年に登場した、JR東日本のジョイフルトレイン及びそれを使用した観光列車。乗車体験型という新しいジャンルを開いた先駆者。

概要

1990年、五能線の活性化を目的に、JR東日本が秋田所属の50系を改造して誕生させたジョイフルトレイン。同年4月21日より秋田・東能代-弘前間を結ぶ観光列車として運行を開始した。

特筆すべきはそれまでのお座敷列車などの大口団体専用車とことなり、現代の主流というべき「乗車体験型」として設定されたことである。


展望車であるオハフ50 2500番台はオハ50をベースに片側の車端を開放式のオープンデッキに改造し、側面窓を大型の固定窓に変更、ピッチの広い旧3等車風の緑色モケット固定クロスシート、きらびやかでない白熱灯照明と、レトロ調の内装に改造されたうえで床下に冷房装置を新設するなどかなり手が加えられた。ムード重視ではあるが、それまでの定番装備であるカラオケ・大型リクライニングシート・お座敷などとは無縁で、けっして豪華一点張りというわけではなく主に車窓の光景を重視し五能線そのものを楽しむことに指向していた。

それまでのイベント車はいたずらに豪華・デラックス一点張りであり定期列車に投入するという思想はなく、メイン利用者は大口団体、最大限考慮しても有名観光地までの多客臨時運用までであった。だがこれはイベント臨時用でなく、マイナーなローカル線の指定券さえ買えば一般客の乗れる定期列車の普通車指定席として、路線込みの売り出しの一環として運用されるという、これまでになかった発想で営業開始したのである。自由席車両として塗装を揃え、壁紙やモケット交換で指定席車とイメージを合わせたオハフ50・オハ50を連結した。後にアメリカントレイン用のオニ50 2両を改装して冷房付き指定席車オハ50 3000番台が登場したが、これはコンセプトがブレた、単なるデラックス志向のリクライニングシート装備車であったことから乗客からむしろ敬遠され、ほどなく運用から外されて廃車となっている。

1993年5月には、運用コンセプトが真逆の夢空間と連結運転されたという珍事もあった。話題づくりもあろうが、現代で言えばリゾートしらかみトランスイート四季島を強引に連結しただけのようなもので、定期客が連結されていること以外全く無関係の夢空間の設備を使えたわけでもなく、企画の意図ははかりかねる。


しかし50系客車が本線筋から消えると運転・維持に困難をともなうようになり、リゾートしらかみの運転開始に先立つ1996年11月で運転を終了。オハフ50 2500番台は高崎へと転属して臨時列車などに運用されたが保守の困難から2001年に廃車された。


活躍は短かったが、その後五能線では発展的コンセプトのリゾートしらかみが定期的に運行され、全国で似たコンセプトの乗車体験型観光列車が登場するなど、後世に与えた影響は多大なものであった。

考えてみると良い、もし単に中高年が目的地まで騒いで飲み食いするだけの大口団体向けの欧風・お座敷車しか存在しなかったら、2000年代には客層の変化でイベント車はほぼ絶滅し、「ななつ星in九州」をはじめとするクルーズトレインも存在しなかっただろう。


関連タグ

ジョイフルトレイン 50系客車

リゾートしらかみ - 事実上の後継列車。

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