マニ50形
日本国有鉄道(国鉄)が製造した荷物車である。当時老朽化していた鋼体化改造車のマニ60やマニ36(32系・35系の旅客車を中心とした荷物車への改造車)など旧形荷物車の置換え用に、1977年から1982年にかけて236両が製造された。50系客車は赤一色の車体が特徴であったが、荷物車であるマニ50や、同系の車体を持つ郵便・荷物合造のスユニ50に関しては青一色(青15号)の車体となった。
1979年以降の新製車は、台車架装のブレーキシリンダーが車体側に移され、車番も2101~となるなど、数回のマイナーチェンジが行われている。
運用
前述のように0番台72両、100番台164両が製造され、普通列車や急行列車に併結、また荷物列車に連結され、九州から北海道まで全国でその姿を見ることが出来た。
しかしながら、ライバルであるトラック事業者による個人向け小口輸送が、その簡便性と利便性、さらに速達性を武器にしてあっという間に国鉄から顧客を奪ってしまった。年々減少する荷物輸送が国鉄改革の中、時代錯誤の不採算事業として縮小・廃止の方針に転じると、製造間もないマニ50などの荷物車も失業の憂き目に遭うことになる。
民営化を前にした1986年10月をもって、ごく一部の新聞輸送を除いて鉄道荷物(と郵便)輸送は全廃となり、全車が本来の用途を喪失して大半が廃車となり、清算事業団の所有物となって処分されていった。
特に1982年10月製造の2262~2264の最終3両は、早くも2年余の1985年4月の時点で運用を失って休車に追い込まれており(その時点でマニ50全体で49両が余剰休車)、その後救援車代用になった2264を除く2両はJRに引き継がれず、そのまま廃車になってしまう惨状であった。
民営化の際JRに継承されたのは、救援車(事業用車の一種、災害や事故現場に復旧のための資材や人員を運ぶ車両)や控車(この車両の場合連結器が異なる車両を連結するためや建物内に機関車を入れないように車両を押し込むために用いられている)及び、1986年から始まったバイク輸送(後述するMOTOトレイン)用に転用された63両に過ぎなかった。
民営化後本来の目的である荷物輸送として使われた例はあり、MOTOトレイン(上野駅-青森駅間旅行先でのツーリング目的のため寝台急行八甲田に荷物車を連結し、オートバイを旅客と同時に運搬する形式、運用の問題や営業面の問題があり1986年から1994年まで定期運行その後臨時列車となり1998年に消滅)およびモトとレール(大阪駅~青森駅間の日本海(列車)に荷物車を接続しオートバイと同時に移動可能としたもの、1986年より行われ、廃止時期は不明であるが1998年ごろと思われる)としてバイクの輸送に使われていたこともある。
特筆事項
マニ50 2186
485系のジョイフルトレイン「リゾートエクスプレスゆう」が1991年に登場し、非電化区間はマニ50形を電源車(客車や電車等のサービス用電源を供給するため発電機を搭載したもの)として連結・運用させるよう、JR東日本所属の2186号車に改造工事を行った。エンジン搭載部は荷物扉を埋めたうえで吸排気ルーバーが増設され、業務用に車内の半分が荷物搭載スペースとして残されている。外部塗色は「ゆう」編成と同一のパステル系配色とされたため、マニ50形のなかでは一番注目を集めており「ゆうマニ」と通称された。改造後は運用がない時は水戸駅構内に常備されており、目を引く存在であった。「ゆう」運用の他、電車の長距離非動力回送の際の機関車との控車兼電源車としても長らく重宝された。活躍機関も長く運用範囲も広かったことでの人気故、塗装変更しただけの「タイプ」物模型製品は存在するが、完全なスケールモデルは量産製品ではいまだ発売されていない。
「リゾートエクスプレスゆう」退役に先駆け2018年に除籍となったが、東急電鉄と伊豆急行が運行している観光列車「THE_ROYAL_EXPRESS」をJR北海道管内で運行することになり、伊豆急行の親会社・東急電鉄が電源車用に同車を購入。車体を「THE_ROYAL_EXPRESS」と共通のデザインに変更することになり、東急電鉄長津田検車区に入場し、2020年7月に改造出場。車体各部の整備とともに張り上げ屋根へと改造され、白色系の塗装となるなどだいぶ印象が変わった。
8号車側先頭車に連結され、北海道での運用に使用されている。
マニ50 2236
オリエント急行の控車。ワゴン・リ客車は全てEUのネジ連結器を使用しているため、ソ連(当時)以東の各国は控車がないと自国の機関車と連結自体できない(EU内では直に連結可能なはずであるがなぜかソ連(現ベラルーシ)・ポーランド国境までSNCFの荷物車が挟まっていた)。単なる控車ではなく、ベッドシーツなどリネン類の保管庫として活用されていた。
マニ50 5001/5002
1988年に上記の「日本海MOTOトレイン」(後にモトトレール→モトとレール)用に改造したもの。原番号は2230/2256。
その他
JR発足直後、短期間ではあるがイベント用に車内の改装・車体色の変更を行った例がみられた。
他系列への改造車
マニ24 500番台
1989年、寝台特急北斗星3/4号の定期運行化、季節列車エルムの設定で24系の電源車が不足したため、マニ50を種車にして2両を電源車に改造したものである。
JR東日本(501)とJR北海道(502)が1両ずつ所有した。501は南秋田運転所の2048(救援車代用)、502は清算事業団で処分待ちの2070を購入・復籍して改造した。
あまりコストをかけたくなかったのか、鋼体は極力改造を抑えており、電源室部分の荷物扉は埋められ、荷物室の扉も室面積が半分以下になった分片開きとなった。発電エンジンはカニ24などの振動・騒音・排気ガス・重量が過大かつ基本設計が1950年代の旧式化したDMF31Z-G形エンジンでなく、当時としては新型のJR化以降の新系列DCに実績を積んでいる、小型軽量・低燃費・低振動・低騒音の直噴式DMF13Z-Gを採用したことにより車体補強・防音などの改造内容を簡素化することができた。(後年、本家筋のカニ24も同系エンジンに積み替えている。)なお窓から機器室を覗くと「ゆうマニ」と似た発電パッケージが搭載されているだけのシンプルな内装であり、カニ24のようなダクトや配管が張り巡らされた大量の機器類や汚損の激しいエンジンの鎮座した内装と比べると世代の違いを感じたものである。
車体幅は原形のままの2800mm、屋根はエンジン・発電機搬出口を兼ねた24系の断面に合わせたハリボテ的飾り屋根を乗せている。一方、上野~尾久間の推進回送を考慮して後尾側の(マニ50時代からある)車掌室には貫通路を閉鎖したうえで妻窓と愛称幕表示装置が設けられたが、妻面の折れ方などは元の50系時代のままであるため、カニ24とは似て非なるもの的な若干面妖な外観となった。(シロウトはだませるが、マニアなら小学生でも騙せない外観、と言えば大体あっている。)
「ニ」の形式を名乗るものの、荷物室は事実上の業務用室でしかなくブルートレイン便としての役割はあまり考慮されず、荷重は1tしか積載できなかった。(皆無というわけではなかったが、かつてのような大口向けの積載量は時すでに必要とされなかった。)
主に北海道・東北方面を運用範囲としていたが、元来が予備的性格が強いこともあり東日本所属の501は車両運用の都合で、本来は品川車の担当である東海道・山陰方面の出雲に充当されたことが複数回ある。
東日本所属のの501は2006年に廃車、北海道所属の502も2010年までに廃車となっており、502がミャンマーに輸出されたがその後の行方は不詳。
特徴のある外観で運用範囲も広く、連結しておけば編成上のアクセントになるため、模型製品では妙に人気があり、数社からセット物に付属される形で量産製品化されている。