概要
大阪駅と青森駅間を結ぶ寝台特急列車。1947年に夜行急行として運転開始、1968年に特急、ブルートレイン化。1988年の青函トンネル開業で函館まで運行が延長したものの、2006年に青森までに戻されている。
定期運行時は2往復が運転されたがそのうち「1・4号」がJR西日本の担当で、24系25形のB寝台車のみの編成が使用された。「2・3号」はJR東日本の担当で、24系24形が使用された。こちらはA寝台車も連結していたが、青森止まりだったという違いがある。
青函トンネル開業時には札幌駅まで延長する計画があったが、これはトワイライトエクスプレスという形で実現している(食堂車も連結予定で、485系から改造された当初はトワイライト色でなく白帯に青色であった)。
2014年の北陸新幹線開業を待たず、2012年3月17日ダイヤ改正での定期運転が終了。同時に「きたぐに」も定期運転を取りやめた、日本海縦貫線を走る定期の夜行列車が消滅することになった。その後は臨時列車が運転されたが、2013年以降は設定がなく、事実上廃止となった。
エピソードなど
・1969年、北陸トンネルを通過中だった「日本海」の電源車から火災が発生。当時の国鉄の規則では「火災が起きた場合は速やかに列車を停止させなければならない」となっていたが、このときは機関士が「トンネル内で停まるのはかえって危険」と機転を利かせ、トンネルを脱出するまで走り続けてから消火したことで、死傷者が出ずに済んだ。しかし、これに対し国鉄はこの機関士を規則違反として処分してしまった。そしてその3年後に急行「きたぐに」で同様の火災事故が発生。このときはトンネル内で停止した結果、30人の死者を出してしまった。その後、実験の結果などからこの機関士の判断は正しかったとして、処分は撤回され、規則も改正された。
・かつては「1・4号」に増結する形でライダーをオートバイと一緒に運ぶ「日本海モトとレール」が運転されていた。この列車は当初は「日本海モトトレイン」という名称だったが、これだと関西弁のニュアンスで「元取れん」に聞こえてしまうため、「元取れる」の語呂合わせになる「モトとレール」になった。
関連タグ
きたぐに 以前は青森まで運行されており、重複していた