日本においては青い客車列車によって運行されていた寝台列車の愛称。
車体が青色でない「カシオペア」や「トワイライトエクスプレス」は含まない場合が多い。
概要
趣味的な分類にゆれがあるものの、公式としては「固定編成前提の系列(20系・14系・24系)で寝台車中心の編成を組む優等列車」となっていて、その対象である列車には時刻表に流星マーク(特急の場合、青地(モノクロ時は黒)に白い☆とそれが流れるような切り欠きのあるマーク)が表示される。
なお、かつては急行にも「銀河」に20系が転用された際に登場した、これを反転させた(白地に★)マークが存在したが、これをつけた公式急行ブルートレインは、臨時列車を除くと「銀河」、「天の川」、「新星」の3列車のみである。
ブルートレインの起源は、1956年に初めて20系客車を使用した「あさかぜ」である。
その後、20系を使用する寝台列車が増えるに従い、ブルートレインも勢力を拡大していった。
当時としては豪華な設備と優雅なデザインで大衆を驚かせ、「走るホテル」と呼ばれ世間の憧れの的となった。
元々はビジネス特急であるため、小中学生の人気を博した昭和50年代も含めて、主たる利用客層はサラリーマンの出張客であった。お盆・正月などには家族連れ・旅行客も多数利用した。
かつてはブームになるほどの人気を博したブルートレインであるが、そのブームとほぼ同じ時期に「寝台スペース拡充」と「省力化」の名目で利用可能な席数(寝台数)が減り料金も上がり(14系、更には15形・25形の二段寝台車)、結果1列車あたりの売上(特に運賃+特急料金の部分)はどんどん減少していった。
さらに国鉄分割民営化後は全国規模の鉄道ネットワークの解体、格安航空機や夜行バスの台頭、新幹線の整備等が進み、競争力を失い、利用客の減少と列車の廃止が相次いだ。
最後まで残っていた「北斗星」も北海道新幹線開業に伴い、2015年3月に定期運用、8月に臨時運用を終了。約60年にわたるブルートレインの歴史は完全に幕を下ろした。
ブルートレインに使用されていた客車は殆どが解体もしくは海外輸出されており、保存車は僅かである。
但し、簡易ホテルに転用された車両があるため、走行こそしないものの車両への宿泊自体は可能。
唯一、秋田県の小坂鉄道レールパークに保存の24系あけぼのは朝夕の2回構内移動をし、宿泊客は走るブルートレインに乗ることができる。
現在は定期運行の寝台列車は「サンライズ瀬戸・出雲」が現役である他は観光列車で、不定期運行の豪華クルーズトレインとして「ななつ星in九州」、「トランスイート四季島」、「トワイライトエクスプレス瑞風」、不定期運行の夜行特急として「WESTEXPRESS銀河」が相次いで誕生している。
現在
このように列車としては完全に消滅したブルートレインだが、実は2024年現在も、「ブルートレインとして走った車両、使われた車両」であればまだ現役の車両が存在する。
客車では、JR東日本の尾久車両センターに1両のみ現役で残っており、それが、24元の電源車であるカニ24-510を、カシオペア用の予備電源車に改造したカヤ27。定期運用はなく尾久にいることがほとんどだが、訓練用試運転列車に使用されることもあるほか、イベントなどでその姿を見ることができる。
それどころか、同車両センターにはまだ3両のみブルートレイン用の24系客車が車籍を残したまま留置されている。
また、かつてブルートレインを牽引した経験を持つ機関車たちも数を減らしながらも現役である車両も存在しており、ブルートレインの存在が完全に消えたとは言い切れない。
牽引機
かつては初代ブルートレイン20系に専用の装備が必要だったため(1965年の電磁ブレーキ使用開始後。最低限、供給空気管(MRP)は必須)、ブルトレ牽引機はそれ専用に新製・改造を受けた専用機が担当することになっていた。
直流電気機関車
最も花形とされた東海道ブルトレの東京口の牽引機であり、最も華やかな存在だった。
- EF58
- EF61
- EF58と共通運用されたため20系牽引用のEF58の検車時に代走する事があった。
- EF60 500番台
- 東海道ブルトレ増車とセノハチ補機解消用に製造されたが、本来最高速65km/h程度の貨物用で定格速度が低く、故障が頻発した。EF65 500との交代後は二度とブルトレの先頭に立つ事はなく、EF65不足の際はEF58の再登板になった。
- EF64
- EF65
- 500番台(P型) 20系電磁ブレーキ化の際に製造された、汎用機EF65のブルトレ仕様。しかしすぐに東海道ブルトレは大半が14系・24系に置き換えられてしまい、本来の機能を生かした期間はごく短い。しかしその後もしばらくブルトレ牽引機であり続け、最後の旅客特急専用機関車(になると思われていた)として、EF58、EF66に比肩する人気を持つ。
- 1000番台(PF型) 500番台では20系客車用のP型と10000系貨車用のF型に分かれていたものを、統合したタイプ。20系牽引用装備を一通り揃えており、20系の定期特急(「北星」「あけぼの」)に使われた。重連を考慮した貫通扉がやや不評。いわゆる「ブルートレインブーム」が起きた当時の東京口の牽引機関車でもあったので、知名度は高い。
- EF66
- 長年、狭軌最大最強を誇った電気機関車。元々高速貨物用だが、ロビーカーの増車に伴い牽引定数増加が必要となり、国鉄末期からブルトレ牽引に投入された。貨物用といっても高速コンテナ特急用であり全界磁定格速度は72.2km/hと高い。なお、この数字はEF60以降の電気機関車で初めてEF58を上回るものである。意外にも牽引機としての期間はEF65よりも長いが、衰退し遂には消滅する九州ブルトレの最期を看取る役にもなった。
- EF57
- 急行「新星」のみだが、20系化当初東北本線上野〜黒磯間でEF58と共通運用だった為時折牽引した。EF58の先代に当たる戦前型機関車。
- EF10
- 20系デビュー時点での関門トンネル内専用機関車として牽引を担当。元々は戦前型の貨物用機関車。一部の車両はステンレス車体を採用しており、特に24号機は無塗装だったため注目を集めた
交流電気機関車
- ED71
- 東北本線黒磯以北の牽引を担当。初の50Hz用量産型交流電気機関車。
- ED72,ED73
- EF70
- ED74
- ED75
- 国鉄交流電気機関車の決定版。ブルトレ牽引は主に東北で見られたが、少数ながら九州でも活躍した(300番台)。当初は20系用の装備を備えた専用の1000番台(P型)が新製されたが、後に14系・24系が主流となってからは従前の車両も牽引するようになった。
- ED76
- ED75の改良型。登場後から九州一円で活躍し、EF66と共に九州ブルトレの最期を看取った。同様に当初1000番台が新製されたが、後に指定は解除された。また、変わったところでED79の補完用に北海道用500番台から1両だけ改造された550番台が青函トンネル内の牽引に当たっている。
- ED78
- ED79
- 青函トンネル専用機でED75からの改造車。JR貨物には新製車(50番台)も存在するが、通常ブルトレの牽引はJR北海道車。
交直流用電気機関車
- EF30
- 九州島内交流電化開業・門司駅構内交流切替の際、EF10の後継として製造された。対食用のステンレス車体が特徴。後にEF81に置き換えられた。
- EF80
- EF81
- EF65 1000の交直流・ヘルツフリー型として登場した万能型機関車。国鉄時代は単一形式の長距離運用は安全面に支障がある(という事にして要は機関車交代の要員を駅に残させる)という労組の主張により北陸本線・常磐線、及び東北本線の盛岡以南と老朽化したEF30の代替用に限られていたが、JR化後は「日本海」「トワイライトエクスプレス」の大阪〜青森間を最大とする長距離運用が普通になった。「北斗星」の牽引機として一躍全国区となり、衰退著しい九州ブルトレ東京口の牽引機に代わって、ブルトレ牽引機の代表格になった。
- 関門口を通るすべてを牽引したこともあって、意外に牽引した本数自体は多く、むしろ歴代で牽引していない列車の方が少ない(直流区間のみの安芸、瀬戸、直流と非電化のみで交流区間を走らない出雲、紀伊など)。
- EF510 500番台
- 元々JR貨物が開発したVVVFインバータ採用の特急貨物用機関車だが、JR東日本がEF81の老朽取替え用に投入することを決定した。新製急客機としては31年ぶりとなる。なお、これまでの「交流・交直流機は暖色系塗装」という概念を破り、特定の列車の専用機以外では初めて(これまで直流用とされてきた)青塗装が採用された。「北斗星」廃止後は全機がJR貨物に売却されたが、塗装がほぼブルトレ時代のままなので判別は容易。
ディーゼル機関車
- DF50
- DD50
- 北陸線で活躍した電気式ディーゼル機関車で、後述するDE10ともども米原~田村間で「日本海」「つるぎ」を牽引。
- DD51
- 国鉄液体式ディーゼル機関車の決定版で、登場以来非電化区間で幅広く使用され、牽引しなかった寝台列車は少なかった。
- 最後は北海道の非電化区間で「北斗星」を牽引し、その最後を看取った。全国各地で、廃止まで半世紀以上におよびプルートレインを牽引を牽引し続けた機関車でもある。重連で運用されることが多かった。
- DD54
- DE10
蒸気機関車
信じられないかもしれないが、ブルートレインがデビューしたのは昭和33年の事で、東北方面、九州島内はおろか山陽本線すら電化は完了していなかったのである。また、この時まだディーゼル機関車は技術開発の途上だった。当然、非電化区間は蒸気機関車の牽引でスタートしたのである。
- C57
- 「さくら」の博多以西の牽引に活躍。
- C59
- 九州島内で「あさかぜ」「さくら」「みずほ」の牽引に活躍。軸重の為鹿児島本線熊本以北に限られた。
- C60
- C59の軸重軽減改造車で九州島内で幅広く活躍。また、東北本線では十三本木峠越えの際の前補機としても使用された。
- C61
- D51の改造名義によって登場した蒸気機関車でやはり九州島内・東北地区で幅広く活躍。
- C62
- 狭軌最大にして最速を誇った、国鉄最大の蒸気機関車。ブルートレイン登場時から山陽本線電化完成まで長く牽引機を勤めた。その後間もなく、常磐線「ゆうづる」にて日本国鉄最後の蒸気機関車定期特急仕業を勤め、その最後を飾った。かの48号機はその栄誉を授かった1両である。
- C11
- 中型タンク機関車で「さくら」の佐世保行き分割編成の牽引に活躍。
- その他の蒸気機関車の皆さん
- 現在では高速バスや航空機などの代替交通機関があることから、災害や事故による不通時にはブルートレインは運行を打ち切ってしまうことがほとんどだが、かつては国鉄の長距離列車は生活・経済の大動脈であり、運転打ち切りは考えられず、たとえ何時間遅れようと目的地に到着することが必須であった。その為、山陽本線や東北本線など幹線が不通になると、ブルートレインは考えられないようなローカル線を縫って迂回運転を行った。この際、路線が非電化であることと、汎用性に優れる蒸気機関車の特性から思わぬ迂回代走を行うことがよくあった。主に中型で数も多く残っていたC57やC58が多く使われた。残念ながら突発性の上台風などの災害直撃の最中であることが多く、写真などの映像記録はほとんど残っていない(災害規模を考えると特にレアなケースとしては伊勢湾台風通過直後にD51(おそらく稲沢所属)が停電状態の東海道線を本来の牽引機EF58込みで寝台特急を牽引していくという写真が残っている)。後に蒸気機関車撤収後は先の通りDE10がこの任を受け継いだ。
補機専用機
急勾配線区の補助機関車としてのみ使用された機関車
- D52
- 電化前の山陽本線瀬野〜八本松間を担当。本来の用途は貨物用。
- EF59
- 電化後の山陽本線瀬野〜八本松間を担当。戦前型の電気機関車から専用に改造された機関車。
- EF71
- 板谷峠専用で「あけぼの」のみ担当、であったが、簡易設計ゆえの積雪・悪天候時の空転問題から1980年から一時期ED78に運用を明け渡した。ブルトレ以外では、同区間の補助機関車としても活躍した。
後に1982年に編成が短縮されたことにより条件が緩和、ED78と共通運用もされた。
海外のブルートレイン
日本国外にも青色に塗装された客車を用いて運用された、「ブルートレイン」と呼ばれる寝台列車の例が2つ存在している。尚、どちらも日本のブルートレインよりも前に運行が開始されている。
- 1922年から2007年までフランスのカレー・パリからコートダジュールの間で運行されていた列車、「ル・トラン・ブルー(青列車)」の英語での名称。フランスの国内列車としては最後まで残った個室寝台車であった。
- 1946年から南アフリカのプレトリアとケープタウンの間で運行されている列車。「世界一の豪華列車」としてギネスブックに掲載されている。
日本で役目を終えた客車はタイなどに払い下げとなり、タイでは車体を紫に塗り替えた「パープルトレイン」として再び寝台用車両として使用されている。
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関連イラスト
「夜明けの富士」
寝台特急「富士」は、ブルートレインの代表格として人気の列車だった(2009年廃止)。
「特急に抜かれる特急」
電車に比べ、客車列車はスピードが遅い。これは単に両者の特性の問題だけではなく、1960年代後半から約四半世紀にわたって国鉄の技術開発がストップしていたことも起因している(電車は在京・在名・在阪・在福大手私鉄によって技術革新を続けており、1985年になって一気に国鉄側にも流れ込んだ)。また、「夕刻に発車して翌朝到着する」という性格上、高速ダイヤを組みにくい状況でもあった、これらが運行上のネックになっていた事も、ブルトレ衰退の一因。
なお、このような現象があることは西村京太郎のトラベルミステリーシリーズで何度か取り上げられていたが、JR化後の極端な合理化ダイヤのせいか、同シリーズからいわゆる「時刻表トリック」は徐々に消えていった。