概要
1988年に開業した青函トンネル用として使用されていた電気機関車である。急勾配・高速運用・高温多湿など特殊な環境である青函トンネルを通る特急電車以外の貨物、客車列車の牽引を目的として設計された。
EF60形以降の電気機関車としては珍しい「新造車と他形式からの改造編入車が混在する」形式である(先行の試作機だけが別形式だったEF66形・ED77形・ED78形は除く)。同様の形式にEF61形があるが、こちらは新造車と編入車では用途がはっきり分かれており(前者は旅客、荷物用、後者は瀬野八の補機用)、ほぼ同一の区間を走行する目的で作られた形式としてはこれが唯一である。
JR北海道とJR貨物が所有していた。
国鉄→JR北海道(0番台・100番台)
1985年に日本国有鉄道(国鉄)がED75形700番台から改造したグループである。
元来、牽引力ともども余裕のあるギア比をEF65形同様の高速向けに振り向け、ED75形700番台の後期製造車を改造・サイリスタ位相制御・回生ブレーキ装備、新幹線同等のATC搭載とした車両が基本番台(0番台)、貨物重連用にED75形700番台の初期製造車のギア比のみを改造した単機自走不可能である補機が100番台である。JR化の際には全車がJR北海道所属となった。
JR貨物(50番台)
0番台と同等の仕様でJR貨物が新造したグループであり、青函トンネル開業後の1989年にまとめて製造されている。初期製造の51~54号機までは当時のJR貨物標準色である車体上部が青の濃淡のツートン・下半分が極めて白に近いライトパープルであったが、55~60号機は製造時は台枠部分にに青帯が追加された。後の初回全般検査で全車初期製造車同様に統一された。
運用
当初は全車JR北海道所属だったことから、貨物列車もJR北海道が担当していた。
1989年に50番台が、2006年にEH500形が投入されてからは貨物運用を譲り、以降の0番台は旅客用に専念した。
しかし、2002年に快速「海峡」が廃止され、2006年には寝台特急(ブルートレイン)「日本海」の北海道乗り入れ廃止により、同年に100番台が早くも消滅。
更に2016年から青函トンネルが交流20,000ボルトから25,000ボルトに昇圧され、北海道新幹線と共有化することが決定した為、後継のEH800形が投入され、50番台は2015年に全廃された。
0番台は「カシオペア」と「はまなす」の牽引機として最後まで活躍していたが、こちらも北海道新幹線開業と同時に全車が運用を離脱。ここに50年以上続いたED75形タイプの定期運用が消滅した。
もはや時代遅れである直流モーター車ゆえ転用はされず、全車が廃車・解体された(機器自体は西日本地域の60Hzに対応してはいるものの、コストをかけて長距離回送と周波数対応改造をする必然性は低かった)。
余談
- 青函トンネル用機関車としてJR北海道はED76形500番台の一両を内部機器の大半を撤去しED79形と同等の機器・性能に大改造の上、ED76-551として使用していた。
- 一部の車両は後年になってパンタグラフをシングルアーム式に交換した(常に使用していた函館(2エンド)側のみ)。国鉄型電気機関車でシングルアーム式を装着した例は非常に珍しい。
- 本形式のうち2003年に100番台の2両が部品取り車として関門トンネルを通過した。