EF60
いーえふろくまる
※wikipediaから引用。2次車と1次車の共通事項は省略
次車区分 | 初期車(1次車) | 2次車,3次車,500番台 |
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全長 | 16000mm | 16500mm |
全幅 | 2800mm | |
全高 | 3814mm | 3819mm |
運転整備質量 | 96.0t | |
運転最高速度 | 90km/h | 100km/h |
軸配置 | Bo-Bo-Bo | |
両端台車形式 | DT115形 | DT115A形 |
中間台車形式 | DT116形 | DT116A形 |
主電動機 | MT49B×6基 | MT52形×6基 |
動力伝達方式 | 1段歯車減速クイル式 | 1段歯車減速吊り掛け式 |
歯車比 | 1:5.466 | 1:4.44 |
1時間定格出力 | 2340kw | 2550kw |
1時間定格引張力 | 19200kgf | 23400kgf |
定格速度 | 44.7km/h(全界磁) | 39km/h(全界磁) |
制御方式 | 抵抗制御・3段組合・弱め界磁制御(バーニア制御) | |
制御装置 | 電磁空気単位スイッチ式 | |
重連総括制御 | なし | |
ブレーキ方式 | EL14AS自動空気ブレーキ | |
製造初年 | 1960 | 1962 |
- 動力伝達方式について
1次車はベースとしたED60と同じくクイル式が採用された。つりかけでは動力を伝える歯車と車軸の位置関係が変わらないように配慮していたが、クイル式では電動機を支持する部分や動力を伝える軸にバネを仕込み、車軸に合わせて位置が変わるようにした。国鉄ではギアボックスを密閉できず異常な振動や噛みあわせの不良が発生したことから2次車以降の新規製造車は吊り掛け駆動に戻され、1次車はリンク式と呼ばれる方式に改造された。ちなみにクイル式の先輩であるED60とED61(こちらはED62時代)も同様の改造を受けた。
- 制御方式について
こちらもED60と同じくバーニア制御が採用された。従来の主抵抗器だけの制御は電圧の急激な変動で空転や乗り心地の悪化を招いたため、主抵抗器のほかに副抵抗器をもうけて電圧の急激な変動を防ぐ方式が開発された。この副抵抗器を用いた方式がバーニア制御と呼ばれる。例えるなら主抵抗器だけでは1、2…と1刻みの大きな変化となるところを、副抵抗器を用いて1,1.1,1.2…と0.1刻みにして変化の差を小さくしている。国鉄の電気機関車では1958年登場のED60から導入。以降、交流専用機以外すべての形式に採用されている。
1960年、山陽本線は倉敷駅まで電化されたことで貨物用機関車の増備が必要になったが、すでにEF15では能力不足となっていたことから、一車体六動輪の機関車で二車体八動輪のEH10並みの性能を持つ機関車として計画された。
EF60は1958年に登場したED60をベースとして作られた初の新性能F級直流機である。とはいえ、元がEF15の後継機が目的の低速向け設計であり、牽引力こそ高かったものの高速性能はEF58どころかEH10にすら及ばなかった。そのため連続高速運転を強いられる寝台特急運用では苦行を強いられた。新機軸を用いた新性能世代なのだが性能面から今日では旧型電機に分類する辛口な鉄道ファンもいる。EF60 4次型の改良版であるEF65が客貸両用で活躍したのに対し地味な活躍に終始した。EF58の増備機としてEF60の歯車比を高速向けとした上で蒸気暖房発生装置を搭載したEF61はさらに不遇であった。民営化後は19号機のみがJR東日本に継承され、2019年までイベント用として活躍していた。
貨物用として製造された車両。クイル駆動の1次車は1~14、駆動方式をツリカケ式に差し戻しMT52モーター搭載となった2次車以降は15~129号機となる。3次車は運転台側面窓がHゴム支持になる若干の外観差異がある。4・5次車(84号機~129号機)はEF65に近い車体となっており、遠目からの識別は難しかった。
駆動系にトラブルの多かった1次車は1983年までに全廃。このうち一部は山陽本線瀬野駅~八本松駅間(通称セノハチ)の補助機関車EF61形200番代へと改造されるも、問題が多く重量貨物に使用できない失敗作であったため8両で改造を中止、EF67 100番台に置き換えられ1992年までに全廃された。なお、形式を変更したのは基本番代のEF61も補助機関車改造を施す予定であり改造後は共通運用をするためだったが、失敗作であったことから計画中止となったものである。
2次形以降も上述の理由により低速向けのギア設定であることと、ヤード系貨物列車廃止による余剰からJR移行前に動態保存機である19号機を除きすべて廃車されている。19号機は12系お座敷車「やすらぎ」の専用機となったほか、1988年に「アメリカントレイン」のけん引機として活躍(キャンペーン終了後はやすらぎ色に復元)した。
やがて2001年に「やすらぎ」が引退した後は青とクリームの国鉄貨物機標準色へと復元され、イベントや工臨で長きにわたり活躍した後、2019年7月に廃車。これによりEF60は廃系列となった。その後、秋田総合車両センターに送られ2022年に同所で解体された。
またEF67は4・5次車を改造種車にしているが、内部機器はチョッパ制御へ改められたためほとんどが交換されてしまった。
悲運の二代目ブルトレ牽引機
九州方面の寝台特急の牽引を念頭において開発された車両。当時の寝台特急は20系客車が主力だったため、車掌用無線電話と電源車の保安設備を遠隔制御する設備を搭載した上で、塗装の意匠を20系に合わせたいわゆる「特急色」をまとっている(と言いたいところだが、手違いで512と513が一般色で落成している)501号機から511号機は0番台3次車に準じた車体だが、512号機から514号機は4次車に準じた車体となっておりEF65 500番代との識別は難しかった。
ただ、走行系が特別に強化されているわけでもなく、電磁ブレーキやブレーキ増圧装置などの110km/h運転装備は最初から施されていなかった。
1962年からEF58に代わって運用に就き東京駅〜広島駅間を牽引し、間合い運用で瀬野駅〜八本松駅間の補機も務めた。1964年に山陽本線全線電化が完成すると下関駅までのロングランをこなした。しかし、元々が低速向けであることから高速域での牽引力はEF58にかなり劣り、弱め界磁の多用による高速運転で足まわりに故障が多発し、またEF65登場までのつなぎと最初から割り切られて製造されていたことから、1965年にEF65 500番台(P型)登場とともに特急運用から離脱。その後は0番台と共用で貨物列車の運用につき、特急運用はEF58とEF65に譲る形となってしまい、1970年代前半の関西ブルトレ全盛期の際にも再び抜擢されることはなかった。