国鉄→JRが1956年から2005年まで東京駅~下関駅・博多駅間に運行していた寝台特急の愛称。
概要
「あさかぜ」の誕生
ここでは「あさかぜ」の前身として急行「玄海」「高千穂」についても触れる。
「あさかぜ」の源流は。1951年4月、大阪駅〜博多駅間で運行を開始した臨時急行3033・3034列車に遡る。
1952年9月に平仮名で「げんかい」と命名され定期列車化、1953年に東京駅まで延長される。
1954年10月から「げんかい」は都城駅発着の急行「たかちほ」に併結されるようになり、1955年7月から愛称は漢字書きの「玄海」「高千穂」となった。
そして1956年11月、「高千穂」は単独運転となり「玄海」は格上げされ東京駅~博多駅間の特急「あさかぜ」が誕生した。
「あさかぜ」は初めて東京と九州を夜行で直結した特急列車である。それまでは現在のJR京都線やJR神戸線エリアに翌朝到着し、九州島内へは翌日の夜か翌々日に着くダイヤが組まれていた。しかし、「あさかぜ」は深夜に関西圏に発着するダイヤを組んだために大阪鉄道管理局(今日のJR西日本近畿統括本部)からは猛反発に遭った。運転を開始すると(夕方に出発し翌日の午前中に現地到着する)出張ビジネスマンには特に大好評となり以降に登場した「さちかぜ(のち「平和」→「さくら」)」などの東京駅発着の九州特急は関西圏を深夜に通過するダイヤが当たり前になった。
元祖ブルートレイン爆誕
1958年、それまでの一般型客車に代えて初代「ブルートレイン」20系客車が本列車に最初に投入された。ブルトレ色のEF58と組み合わせた美しい編成は、鉄道ファンの羨望の的となった。また、「つばめ」「はと」用の青大将塗装のEF58が引くこともあり、これはこれで注目された。
1960年に年末年始の臨時列車として「臨時あさかぜ」を熊本駅発着で運行。これがのちに「みずほ」となった。
直流区間の牽引機もEF58からEF60(500番台)、EF65(500番台)と変更されていき、山陽本線が全線電化されてからは東京駅~下関駅間をロングランしていた。1968年10月に博多駅発着の臨時1往復を定期化。
1970年10月には呉線経由の急行「安芸」を西条駅経由に改め下関駅まで延長し格上げした1往復が加わり3往復体制になった。
1972年3月からは当時新鋭の14系客車が博多発着の1往復に投入された。
殿様列車
1963年12月からの博多「あさかぜ」の編成は20系14両編成の内一等寝台車(現在のA寝台車)全形式とナロ20形一等車(現在のグリーン車)を含めて半分の7両が一等車という後述の殿様時代以上の豪華さを誇っていた。
1968年10月ダイヤ改正以降はA寝台車の両数も減っていったが個室寝台車ナロネ20形を唯一連結したブルトレではあり続けた。
1972年7月からの20系使用の博多「あさかぜ」には運用効率化の観点から「はやぶさ」と「あかつき」に使用されていたナロネ22形をナロネ21形に差し替えて「あさかぜ」に集中投入し、個室寝台車を連結した当時唯一のブルトレとなった。内訳は1人用と2人用の個室を備えたナロネ20が1両、開放形A寝台のナロネ21が1両、1人用個室と開放型合造のナロネ22が3両、グリーン車のナロ20が1両と15両編成中6両も上級クラス車両をすべて組み込んでおり「殿様あさかぜ」とあだ名された。
山陽新幹線全線開業後
山陽新幹線が博多駅まで延伸した1975年3月ダイヤ改正で14系を使用していた1往復が廃止され、編成は急行「銀河1・1号」「紀伊」を格上げして誕生した特急「いなば」「紀伊」に転用された。また先述の「殿様あさかぜ」からナロネ20形とナロ20形が外されナロネ22形が減車され「殿様あさかぜ」は終焉を迎えた。
1976年2月に臨時の51号に24系25形が投入された。そして下関「あさかぜ」が1977年9月に、博多「あさかぜ」も1978年3月に25形化された。後述の民営化後には1988年から運行される「北斗星」のモデル列車としてグレードアップした金帯車が「あさかぜ」に一番に投入されている。
国鉄分割民営化〜廃止
1987年4月改正で国鉄が分割民営化されJR化された以降も九州ブルトレのフラグシップであり続けた。
1990年、定期「あさかぜ」から20系が撤退した後も20系が使用されていた臨時の81・82号が品川駅〜博多駅間の急行「玄海」に格下げされた。なおこの「玄海」は1993年3月まで運行されている。
1970年代の国鉄の運賃値上げや航空路線の大衆化などもあり利用率に陰りが見えだしていたが、1990年代に入るとバブル崩壊や高速バスの台頭に押され利用率が低迷。そして1994年に博多発着の「あさかぜ」1・4号が臨時格下げとなり2000年に廃止。残る下関発着の1往復も2005年2月28日~3月1日の運行をもって廃止された。
その後は「サンライズ出雲・サンライズ瀬戸」と同じ285系を使用した臨時特急「サンライズゆめ」が東京駅~広島駅間で運行されていた。なお285系が新製された際に側面方向幕の一つに「あさかぜ:下関」が用意されていたが、現在に至るまで使用された実績はない。
余談
- ラストランの列車のみ、「2005.2.28」と日付が入った特製のヘッドマークを装備した。このヘッドマークは現在でも下関総合車両所に保管されている。
- 末期には発着駅だけでなく、機関車・客車・乗務員の所属もすべて下関であった。このため下関地区のJR西日本社員にとっての思い入れは特に強かったようで、下関地域鉄道部には廃止時に社員が作成した冊子が存在する。
- 九州方面のブルトレ愛称はさくら はやぶさ みずほ など、新幹線の列車愛称として復活されたものもあったが、言葉として朝のイメージが強いこともあり、地域イメージが強い富士と同じく復活はなされなかった。
- 本列車で使用されていたJR西日本所属の24系25形寝台客車の一部がタイに無償提供され、分散電源化による冷房電源取付や改軌など再整備の上でタイ国鉄の夜行列車に使用されている。
関連タグ
北斗星:こちらは北へ向かった金帯ブルトレ
はかた号:東京(バスタ新宿)~福岡(天神BT)間を運行する高速バス
トランスイート四季島・ななつ星in九州・トワイライトエクスプレス瑞風:現代の殿様夜行列車たち