概要
1950年11月改正で上野駅~金沢駅~大阪駅間を高崎線・上越線・北陸本線・東海道本線経由で結んでいた夜行客車急行に「北陸」の名称が与えられたのが始まり。1956年11月改正で、大阪駅〜富山駅間が「立山」(特急「雷鳥」や「サンダーバード」の前身)として独立。「北陸」は福井駅発着に変更され、1959年9月改正で金沢駅発着となった。1969年10月改正では同じ区間を信越本線周りで運行していた夜行急行「黒部」を季節化し運行経路を上越線経由に変更して吸収し2往復(1号は季節列車、2号は定期列車)となった。
1975年3月に季節列車の1号(旧「黒部」)が20系寝台特急「北陸」に格上げされて定期化され、定期列車の2号は「能登」に改名した。設定当初は東京駅~大阪駅間の寝台急行「銀河」よりも運転距離が短い上に、所要時間も「能登」と大差なかったことから「増収目当て」と批判されることも少なくなかった。しかし、似たような批判を浮けわずか三年半で消えた新大阪駅~下関駅(呉線経由)の特急「安芸」と対照的に「北陸」はJR化後も走り続けた。1990年代になると「北斗星」での経験をフィードバックし個室寝台化が進められ「走るビジネスホテル」と呼ばれるなどデビュー当初の悪評は過去のものとなっていた。
しかし、2000年代に入ると14系寝台車の老朽化に加え、航空機や夜行高速バスには太刀打ち出来ず2010年3月のダイヤ改正により廃止された。