概要
1.国鉄時代の1959年9月に東京駅〜米原駅〜金沢駅間で運行開始した夜行急行列車。1968年10月ダイヤ改正で廃止になった。
2.国鉄時代の1975年3月ダイヤ改正から上野駅~金沢駅間で運行を開始した。国鉄民営化後も運行されたが2010年に定期運行を終了。2012年に臨時列車としても休止。
歴史
初代
1959年9月に東京駅〜金沢駅間(名古屋駅・米原駅経由)で運行開始。東京駅〜名古屋駅間は鳥羽駅発着の急行「伊勢」と新宮駅発着の急行「那智」を併結していた。東京駅〜米原駅間はEF58形、米原駅〜田村駅間はE10形(のちD51形)、田村駅〜敦賀駅間はED70形、敦賀駅〜金沢駅間はDF50形が牽引していた。
1961年10月ダイヤ改正で単独運転となった。1962年に北陸トンネル経由となり1964年10月の北陸本線富山電化開業後は敦賀以北もED70形の通し運転に変更された。東海道新幹線開業後から1年後の1965年10月から東京駅〜湊町駅(現:JR難波駅)・和歌山市駅間の急行「大和」と併結開始。
1968年10月ダイヤ改正で「能登」は廃止、「大和」は王寺駅発着となり急行「紀伊」の一部となった。
二代目
1975年3月ダイヤ改正で、上野駅〜金沢駅間(上越線経由)の寝台特急「北陸」が誕生。このためそれまでの夜行急行「北陸2号(上り2号)」が「能登」に改称され運行開始。
1982年11月の上越新幹線開業によるダイヤ改正で列車自体は無くなったが、上野駅〜福井駅間(信越本線経由)の急行「越前」を改称、金沢駅発着とし存続。この時、客車も「きたぐに」同様、14系14形寝台車や14系座席車にグレードアップされた。「越前」時代と同じく[[[横川駅]]〜軽井沢駅間(通称・横軽)ではEF63形電気機関車の助けを借りて碓氷峠を登り降りした。
JR化された1989年から1990年の多客期には金沢駅到着後、一部の編成は七尾線に入線し輪島駅まで足を伸ばしている。
1993年3月ダイヤ改正で同区間を走る特急「白山」の間合い運用で489系電車に変更され座席車のみの編成となった。「白山」の間合い運用で充当された。
1997年10月ダイヤ改正で北陸新幹線の高崎駅〜長野駅間(通称・長野新幹線)開通と信越本線の横川駅〜軽井沢駅間廃止に伴い、再び上越線経由に戻る
2010年3月ダイヤ改正で定期運行と489系での運用を終了して臨時列車化。
臨時列車になってからはJR東日本に移管され485系での運行となったが、2012年2月24日]]の運行を最後に事実上廃止されている。
国鉄の分割民営化後、車掌はJR西日本が全区間を担当した。