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概要

489系とは、交直流両用特急形電車決定版・485系に、既に登場していた169系機構をフィードバックすることで信越本線碓氷峠区間(横川 - 軽井沢間)における電気機関車EF63形との協調機能を追加した車両形式である。同区間では単純にEF63側に動力を委ねていたため、連結器強度等、安全上の理由から最大8連に制限されていた従来車両と異なり、最大12連までとより多くの車両を連結して運転できるようになり輸送力増強に貢献した。

峠のシェルパ」EF63形と連結される上り方クハ489形500・600・700番台は、連結器カバーが省略され、ブレーキホース(500番台のみ)・協調制御用KE70形ジャンパ連結器が設置された。これによりクハ489形はクハ481形と異なり、片渡りで方転出来ない構造となったため、上り方と下り方で番台区分を変えている。また、横軽間での急ブレーキ時の座屈対策のため当該区間では空気バネからら空気を抜いて運行するので、クハにはコンプレッサーが増設され床下配置が変更されている(これは協調運行しない165・183・185系及び12・14系客車も同様)。

協調装備を追加した結果、T車についても全て489形となり、485系T車(481形)とは別形式となった。なお、協調機能は失われるが、基本設計が共通の485系と混結することは可能である。

485系デザイン過渡期と同時期の1971 - 74年及び7879年に製造されたため、それぞれに対応する区分番台が誕生している。ボンネット型先頭車にキノコ型カバーのAU12形クーラーを備えた0・500番台、貫通型先頭車に小振りなカバーのAU13形クーラーを備えた200・600番台、貫通型先頭車を非貫通に改めた300・700番台、グリーン車のみの1000番台がある。

1972年より主に信越本線を経由する特急白山」「あさま」で運用された他、協調機能を使わない限りは485系と共通運用可能であったことから北陸本線系統特急列車にも運用された。1987年の国鉄民営化後に、JR東日本が485系サロ481から本系列サロ489形1050番台に2両改造したため、最大で180両が存在した。

なお、東日本所属車は直流電化区間限定運用のため、先の改造サロを除き交流機器が一部撤去され交流区間での使用が不可能になっており、碓氷峠廃止時に485系同等への転用がきかず、そのまま廃車になっている。

1997年長野新幹線開業に伴う碓氷峠区間の廃止とともに本来の用途からは撤退。さらに、2010年3月のダイヤ改正で最後まで定期運用されていた急行能登」が臨時列車化され定期運用が消滅。2012年4月時点では、波動輸送用に9両編成1本が残存していたが5月に金沢総合車両所へと回送され、保留車クハ489-1と小松市に譲渡されたクハ489-501(小松付近で静態保存)を残して中間車は全て解体された。2015年にはクハ489-1(京都鉄道博物館で静態保存)が除籍されたため、正真正銘489系は廃系列となった(他型式に改造された車両のみ保留車で在籍(後述))。

補足

  • 寝台特急「トワイライトエクスプレス」や「北斗星」用食堂車24系客車「スシ24形」の一部は489系サシ489形からの改造車であった。北海道新幹線開業に伴い用途を失い大半が廃車となったが、「北斗星」に使われたスシ24-506(元サシ489-83)のみ保留車で2020年現在もJR東日本の尾久車両センターに在籍しており、489系として製造された車両では最後の生き残りとなっている。
  • なお、この車両は客車に改造されるまでの経緯も複雑で、元は信越本線特急「白山」用として誕生したものの、1978年に食堂車が1度中止となり、東北本線用特急用に転出。485系化したものの、1982年、東北・上越新幹線開通で再度「白山」に食堂車が連結されることとなり、489系に戻され、1985年の在来線特急食堂車廃止で保留車となり、1988年に24系客車化され、約10年の間に3度型式変更されたというものである。
  • サハ489-5」として製造され、後の改造で485系となったジョイフルトレインきらきらうえつ」の先頭車「クハ484-702」が、485系列編成に使用された最後の生き残りであった。「きらきらうえつ」は2019年に運行終了、翌年に除籍された。
  • 車輛需給関係から181系100番台食堂車サシ181を種車として1972年に改造編入したサシ489-100番台が2両存在する。181系100番台は隠し設計的な交直流改造準備工事が施されており、それを活用した格好である。車体高の違いは台車 - 車体間にスペーサをかます改造で揃えたが、よく見ると車体断面の違いなどからに判別出来た。当初は連結方向も反対だったが、後に他車と接客上の仕様を揃えるため方向転換改造を受け、向きも揃えられているほか、厨房方に回送運転台及び前照灯も追設されている。一方、内装は181系「あずさ」運用時代からほぼ手を加えられず、MGなどの補助機器は種車直流用のものに手を加えて使用したため、交流区間での故障が他車より比較的多く検修泣かせであった様である。1985年の北陸特急食堂車廃止で編成から外され翌年に廃車となっている。種車の時点で1966年製と流石に車齢が高過ぎ、以後の長期使用に難があると判断されたのか、スシ24などに復活再改造されることはなかった。
  • 1990年の改造車であるサロ489-1050番台は貴賓・御料車代用として防弾処理などを行い、JR東日本電化区間全線で運用を可能とするために用意されたものである。サロ481基本番台の最終型がもともとの種車のため、製造時期が似通った485系1000番台にほぼ準じた姿となっている(この前に需給調整のため、「つばさ」対応改造で1度サロ481-1050番台を名乗っている。)。長野運転所の489系とは基本連結されることもなく、1号編成が再整備される1996年までは各区所の485系と組んで他社線を含む各地にお召代用として運転された(1号編成の運用機会をなくし、各地での機関車の晴れ舞台を奪った極めて嫌な車輛ともいえる。そもそも見た目はただのサロ481全く変わらない)。その後も予備として長く残されたが、新造のお召用編成E655系の登場と共に存在意義を失い、2010年に廃車、警護上の機密もあるのか、あっさり解体処分された。
  • JR東日本編成は元より3本しかなかったが、晩年には「あさま」としては全く走らない日もあった。これは定期運用が「あさま」1往復と上野到着後に大宮までの回送を兼ねたライナー列車1本しかなく(その他に臨時用として普段から大宮を拠点とする編成が1本あり通常は平日のライナー列車にのみ使われていた)臨時列車がメインであったことと北陸新幹線開通前年秋に臨時「あさま」として運行中に長野で入換中であった定期「あさま」に衝突。一部車両が大破したため、新幹線開通を待たずに先行廃車となったことがキッカケ。代車には長野で予備車両となっいてたバラの189系と「あずさ」に使っていた189系集結させ、編成を補充(車両を持って行かれた「あずさ」には千葉地区183系を転用して補充)他の列車と定員を合わせるためこの補充編成が優先して特急運用(189系運用のみならず、185系非デラックス車運用にも使われた)に入ったため、本来の489系はこの事故以降臨時列車が中心となった結果、平日に走ることが大幅に少なくなったためである。

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特急「はくたか」代走時のもの。

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